と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

こころを痛めて

2010年01月26日 19時33分10秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 マスコミにしばしば取り上げられることの一つで、帰る家を持たない方々の報道には実にこころを痛めております。

 若い人も確実におります。
 家がありませんと携帯も持てません。職業キャリア意識の必要性が最も求められることでもあります。

 いろいろな立場から書くことのできる内容であります。個人としてはいろいろ意見がありますが、それは避けましょう。
 
 そういう方々を支援されている方の講演を先日お伺いして、たいへんこころを揺さぶられる思いでおりました。
 
 同先生からお聞きするのは、二度目の体験でありました。

 市川の方であります。
 口で言うより実践だともおっしゃっていました。
 NPOを立ち上げて支援活動をされています。

 実は、この先生から「関係性」ということを初めてお聞きして、以来5年間ほどですが、ずっと考えてきたことがあります。

 先生は、関係性を持たないということに、大きな原因があるとおっしゃる。わたくしは、そこから出発して、社会的役割を持たない、持とうとしないということはどういうことなのかという事を考えてきました。家庭や、家族との関係性を持たない、社会生活の中で相互の関係性を持とうとしないということでは、それはちょっと待ってくださいよということなのです。なにか違っていませんかということです。

 大きな示唆でありました。
 
 学校の教員としても、新たな視点を与えていただきました。

 学ぶということは、そういう新たな視点を持つということでもあると最近は思います。

 どうしても、一人前になったとうぬぼれていると、新たな視点を持とうとしません。そんな簡単に、ある分野で一人前になれるものでしょうか。完全ということは、あり得るのでしょうか。すべてを把握できる人はいるのでしょうか。
 
 また、人を十把一絡げにして、決めつけることも多々あります。なかなかそれは人間性の把握という点で困難なことであります。ですから、教育は難しいのです。30数年やってもまだまだ難しい。それは実感です。

 専門の教科であっても、完成はありません。
 いつまでも勉強です。
 トライ、トライ、トライです。
 なにも長期間にわたった仕事だからライフワークではありません。
 60歳からまったく新しいトライをする人の人生と、そうでない人の余命数は同じでも、濃度は全く違うでしょう。とらわれず、とらわれず、です。試してみたいことは本当に数多く世の中には存在しております。楽しそうなトライの対象がたくさんありそうです。今、ここで書くわけにはいきませんがね。冗談のように言っていますが、100歳までの人生設計をたてておりますよ、わたくしは。

 もっともこれは懶惰なわたくしだけの課題なのかもしれませんが。

 
 勉強しましょう。

 勉強。


 また明日!

コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/