先週末、NHKの番組で「無縁社会」のことが取り上げられておりました。このことについては、以下に慎重な言い回しで書きたいと思います。
思ったのは、無縁という以上、有縁というのもあるはずで、ある意味、こちらの世界はわたくしの18歳以来の追求課題であります。
生き物はみなどこかでつながっているはずであり、地球だって宇宙に浮かぶほんの小さな星の一つでしかないわけです。人間だけが、無縁、有縁を問題にしているのかもしれませんが、番組内容については割り切れない思いをいたしました。
これくらいにしましょう。
ただし、わたくしの好きな歌手の小椋佳様の歌には、その無縁・有縁のことがいくらでも出てきます。さすがに、東大法学部から銀行員に、歌手をしながら東大文学部、同大学院で哲学を専攻されただけのことはあります。 歌手としてよりも、彼の修士論文に注目しております。歌はそれはそれ。まさかここで宣伝をしていると言われてもかなわないですから。そんな気はまったくございませんし、ね。
在校生諸君と同じ学校で学んでいるということが、有縁であります。
これは大切にしたいということを申し上げたいと思っております。
具体的にどうするかということも含めて、ことしのわたくしの課題でもあります。レポートを書かねばなりません。4万字です。気の遠くなるような作業です。と、ここまで書いて、4万字というのはたかだか原稿用紙100枚。やってやれないことはないとほくそ笑んでいますが、ね。
生涯学習であります。
トシをとったから完成したのではありません。
また、ご立派な学歴をお持ちだから、誰にでも指導できるという勘違いをしてもいけません。
謙虚に学ぶしかないのであります。どこまでいっても、完成はない。そういう老人になりたいのであります。
そうすると、嫌われるかもしれませんが、生き甲斐だけはあるようになります。完成が無いからです。いつまでも楽しく学ぶことができます。
自己限定をしないということにもつながることです。
だとしたら、有縁の中で精一杯生きるしかありません。
こんな生き方を学んだのは、苦学生時代でありました。
なんども書いておりますが、親から一切の援助をもらわないで、大学進学をさせていただいたからです。あの世界で、ほんとうに真剣に生きること自体を学ばせていただきました。感謝です。あんなに懶惰な学生を、矯正してくださったのは、実社会の存在そのものでありました。
それもまた有縁でありました。無縁であったならば、ここまで生きてこれたはずもない。
柔道もそう。
肉体を鍛えさせていただきましたが、実は、思考の肉体化という点で言葉を鍛えていたのだったと思い至ります。
言葉というのは、諸学の基礎であります。
そんな偉そうなことは言えないのですけれども、考えるという点では、なかなかの効果があります。
BeCOM様のご縁によって、日本語暗唱教室にピンチヒッターで出させていただきました。あの経験で、思考の肉体化は言語によるという認識はだんだんはっきりしてきたと感じています。
たとえば、簡単に東洋哲学とか西洋哲学とか言います。しかし、かなり基盤は怪しいと言わざるを得ません。思考がそれを語ることができるほど勉強していないからです。この点は謙虚にしないと、脱線いたします。
だから無知の知を求めているのです。
指導者面はなかなかできるものではない。
ソクラテス様に笑われてしまいますよ。
三宅雪嶺とか中江兆民もこのことは厳しく指摘されています。日本に真の意味での哲学者なんぞいないと。困難なものです。だったら、全部自分で学ぶしかない。そんなことは不可能です。なぜなら、わたくしは凡人・凡夫でありますから。
そうであっても、やるしかない。勉強するしかない。勉強そのもののシステムを教えてくださる方も、組織もあります。学校もそうです。通信教育もあります。高校、大学、大学院、専門学校等。相手はいくらでもあります。その中から、ご縁のある学校や先生を見つければよろしい。それは求めないといけません。座っていては、待っていてはなかなかご縁は生まれません。
頑張りましょう!
また明日。