と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

小聖は山にあり

2011年02月22日 19時30分43秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

・「小聖は山にあり」という言葉を思い出しました。「小聖は山にあり、中聖は里にあり、大聖は陋巷に在り。」というのが、本当の文なのでありましょう。卒業式の式辞を考えていて、そんな言葉から手がかりを得て、原稿を書き上げました。まだ時間があるので、これから推敲をします。また係の先生方にも見ていただきます。分量も心配です。難しいものであります。

・卒業式当日の朝に、このブログにアップします。よろしかったら見てくださいませ。

・式辞の中にカントも盛り込みたかったのです。合理論と経験論について、具体的な事例をもって思考を展開していけば可能なのではないかと思っていますから。問題は、書き言葉ではないということであります。耳からの言葉で在校生諸君は聞くわけです。これは困難な試みになると考えました。さらに本当に理解しているかとなると、これもまた絶対はない。困ったものであります。永遠に途上の旅でしかない。

・さらに「人間は・・・・すべき」という一見真理に見えるようなフレーズを、カントは疑ってかかっているからです。これは卒業生諸君への最後の語りかけとして試みてみたいことであります。客観と主観との対立をどう説明できるかということでもあります。

・かなり変わった式辞になっているのではあるまいかと言われそうです。そんなことはありません。常識の範囲内での文章はちりばめてあります。わかりやすくという点では充分配慮しているつもりです。所有している読書情報カードを再度見て、組み立て直して、才能の無いのを嘆きながら、チャレンジするしかないようであります。


・卒業式と言うと、感傷も当然あります。また祝福ということで喜びもあります。いろいろあって当たり前であります。巣立って行く若者達を見ていると実に新鮮な気持ちになります。微力な存在であるわたくしは、応援歌を歌わせていただくだけ。なにか困ったら、そのときは思い出していただくことで、なんらかのお力になりたいと思います。

・応援をさせていただく以上、力いっぱい応援をしたいと思っています。がんばれ!がんばれ!であります。

・冒頭の文は「小聖」とはおこがましい。小人物と変えて、それは愚生のことでありますると言うしかないと感じています。








・今日は、前期試験の結果を内定しましたので、掲示をしました。悲喜交々。また後期試験でもよろしくお願い申し上げます。内定された方には、お祝いを申し上げます。待っていますよ。




また明日!








































コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/