・こんなタイトルで書くことができるほど、武道に精進しているわけではない。もっとも、人に自慢できるような得意な分野はない。まったくない。およそ、すべてが素人芸でしかないのだ。されど、なぜこうやって読書感想文めいた駄文を書くのか。それは、書くことによって深まるからである。知識が、である。あるいは、知らないことが明らかになるからである。
・実は、専門分野の本ばかり読んでいたいのだ。しかし、20代のころから乱読病にかかっている。我慢できないのだ。いろいろな分野の本を同時並行で読んでいる。もっとも、人文科学系がもっとも多いが。
・だから、研究で身を立てることができないのである。これまでも、これからも。それはそれで仕方のないことである。大望はない。あくまで、知らないことを教えていただく、あるいは自分で学ぶというスタイルであるからである。
・しょうがない。世渡りも下手であるし、なかなかごますり根性も身につけることができなかったからである。つまるところ、かわいげのない男ってことである。
・今日は、同時並行で「よみがえる武士道」(東京大学大学院人文科学研究科助教授 菅野覚明著 PHP)なる書を読み終えた。なかなかである。日本倫理思想史がご専門で、葉隠の研究で名高い先生である。
・こういう先生の存在自体が私にはありがたいのである。
・「武士の仕方のすすどさよ」という序章に(pp.1-4)に近松門左衛門の「堀川波鼓」が紹介されている。誤って不義を犯した妻が自害するのを、武士である夫がとどめをさしてやる場面である。冷静で(しづしづ)で、しかも果断な(すすどさ)武士の仕方は、限り無く深い。
・近松門左衛門も当然抱いていた武士のあるべき姿というものは、どこからくるのか。それをこの書籍は明らかにしている。それは、武士の「自己」と「実力」という問題にかかわる。柔道をやってきて、まさにこのことは個人的に喫緊の差し迫った問題でもあったから、切実である。
・いろいろ疑問も感じるからである。柔道についても。なぜフランスのようにできないのかとか、競技人口がフランスより少ないのはなんで?とか、本当にいろいろ感じている。しかし、書けない。素人であるからである。4段になって30年。これじゃぁ、発言禁止。稽古をしていない証拠であるからである。(^0^)/ウフフ
・「実力とはなにか」という章がある。ここもおもしろい。武士の実力とは何かというのである。著者は「それは、自己の持っているものすべての力である」(p.43)と書いている。腕力、武芸ばかりではない。知識、才覚、身体能力、財産、家族、肩書き、容貌、性格、気質から・・・いろいろと上げてある。肉体も、精神も武士達には武器であった。だって、闘って負けたら一瞬のうちに死んでしまうのだから。
・古くは「つわものの威」と呼び習わしていたのだそうな。私の好きな「今昔物語」にもいくつも説話文学として出てくる。
・「なぜ大将と僧侶は気が合うのか」(pp.70-85)も面白い。沢庵和尚とかに興味を持っている私には、である。「甲陽軍艦」の文章をもってきて、著者は説明をされる。越後の謙信公が、曹洞宗の僧侶法興和尚に会ったときのことを例にあげておられる。栗を10にせよという謙信公の言い分に、ごりごりで10にしたという一休さんのとんち話のようなことが書いてある。(謙信公だけ尊称させていただくことをお許し願いたい・・私事ではありますが、米沢の人間ですので)
・領地拡大にむかってひた走った武士であるからこそ、名利にはことのほか拘ったであろう。しかし、名利をも超えたミチに至ってしまっては、武士というあり方の逸脱になる。一種の逃避であり、武士としては、あるいは大将としてはあまりにニヒリストすぎる。家臣団としては危険である。こういうのが、大将では。
・名利にも拘る。しかし、またいつでも何の未練もなく一切を捨てきれるのもまた武士の本質である。この点武田信玄の出家の理由もまた著者の見識が光る。「人は落ちるのが当たり前である」というのが信玄の覚悟であったのだそうだ。(p.83)・・・見識である。実にいい。だから信玄は、防御の天才であったのだろう。
・「国を滅ぼす馬鹿大将」という章も楽しい。(pp.88-137)なかでも、「得意とするところで醜態をさらす」というところは実に楽しい。まるで私のようだ。得意技は自信のよりどころであろう。しかし、かえってそれであるが故に失敗もする。体力や気力が衰えてくるとなおさら得意技に頼ろうとする。
・なるほどである。まったくいいことを言われる。
・「馬鹿大将は多芸・万能」(p.96)もいい。なんでもできることを自慢しているスーパーエリートが世の中にはごまんとおられるが、「甲陽軍艦」はそれも戒められる。うなる。自分は一国一城の主であるという自負が、多芸・万能に導いてしまうのである。
・家来に知恵を盗まれる大将もいけないと戒めてくる。家来は自分の主君がなにを考えているのかをなによりも知りたいのである。隠すべき内側を家来に知られてはならないと戒めてくるのがやはり甲陽軍艦である。
・「一生を見事に暮らす」のが、究極の生き方なのであろう。いろいろなさむらいたちの生き方を通して、まさに著者の思想を教えていただいていたが、この書籍は繰り返し読んでこそ味わいのあるものであろう。
・現役時代に読んでおけば良かったと思う。