・今日は、読書感想文を書こうと思っていた。事実、候補の書物も手元にある。しかし、どうも書く気がしない。なぜか。それは、現在の読書テーマがあまりにも膨大であるからである。今日は普段の大学院日記に書かせていただく。
・しかし、気乗りしないだのと、そんなことを言っていたら永遠に駄文は書けない。
・唯識の資料も猛烈に膨大である。昨日は東京にいたので、東金に来たら浦島太郎のような気分になった。長尾雅人先生の「摂大乗論 和訳と注解 上」(講談社版)をやっとの思いで買ったからか?そして、そのあたりのことから、いろいろ資料を調べていると、こりゃぁオラにできるかなってことである。
・隠棲室・・・・・・・・でなくて院生室で、なんとA4で500Pに及ぶ資料作成をしていた。唯識だけである。事実、修士の時からずっとやってきたテーマではある。唯識3年、倶舎なんとかというのである。さらに、わたくしは、若いときに修士をやったのではないから、直近のテーマである。学部からの延長上だと、25才くらいで修士論文を書き上げるのが普通の人であろう。
・アタシャ、皆様と逆を行っている。仕事しながらやっとの思いで60才で修士に合格させていただいたのである。ズレていますなぁ。普通じゃぁないのだね。反省しますよ。
・どうやら本格的に唯識で勝負すべきときであろう。そして、我々日本民族の中にで~んとある空虚さのようなものを、能に表現しているというラインで書かなくてはならないと思っている。
・それに気がついたのである。膨大な量である。質的についていけるか。むむ・・・・・・・困難である。
・出家すりゃぁ良かったのかねぇ。しかし、こんなジジイを受け入れてくれる寺もなし。さらに、厳しい修行についていけないしねぇ。正座も膝が痛くてできないし、ケツも痛い。さらにさらに、オラ・・・煩悩まみれだし。本当に、美人がとてもお美しく見えてしまうのだから、情けないですよ。無理ですな。無理。
・しかしである。今日は非常に大きな発見をさせていただいた。だから読書感想文が書けなくなってしまったのだ。
・それは唯識が、浄土真宗の一信徒の方でも相当勉強されているということである。そのことに気がついたのだ。つまり、信仰されている方は非常に熱心であるということである。ここのところを大いに誤解していた。興福寺とか、法相宗とか、奈良南都仏教の問題ばかりではないのである。このことはすごいことである。
・参考資料も増えている。
・「中論」「大乗荘厳経論」「宝性論」「大乗起信論」「唯識三十頌」「中辺分別論」などが登場してきているのである。
・ま、僧侶ではないというのが唯一の救いかとも思う。逆にである。厳しい修行を経なくても読書だけはできるからである。文献研究というのは、そのあたりは助かる。
・梅原猛先生のように実地研究が可能なのだろうか。唯識の場合。そのあたりは考えてみる。
・しかし、こうやってだらだらと書いていると、なんとなく先が見えてきたような気がする。明日から、また隠棲室で書かなくてはならんのである。なにしろ宿題が出ているからである。学会から。原稿はボツになってもいいのである。書くことによって、自分の問題意識が明確になってくると思うからである。
・今日は、4時には大学を去らねばならない。夕方、銚子である経済人と会わせていただく。要するに、ちょっといっぱいやるかということなんであるが。(^0^)/
・さっき大学に来る前に、電車で実に懐かしい方とお会いした。地元のスーパー進学校の校長先生である。教頭会の会長をさせていただいたときに、いろいろご指導をいただいた方である。どこに行くんだ?と聞かれたので、正直にお答えした。絶句していた。あきれられたのだろうと思っている。
・要するに普通じゃなんだろう。ま、いいか。こんな人生を選んでしまったし、後戻りはできない。強制退学ならできるかもしれないが、いつまでもしがみついていたいんである。本学にである。居心地がいいからである。
・じゃぁそろそろ帰り支度をします。また明日!