往生要集とダンテ「神曲」について
「小佐野重利著 『言葉とイメージ ダンテの地獄と源信の地獄』 2008年 東京大学出版会」 を読む
1 はじめに
源信とダンテの神曲を比較検討するという視点は愚たる衆生である私には持ち得ないものである。まず非常に広範な東西にわたる知識がなくては、このような考察が可能になることはない。非常に困難な歩みである。およそ学際的な学問というものは、この点を克服しなければならないということで、浅学非才の我が身にはおそれ多いことである。
しかしながら、小佐野重利先生の論文の読書感想文を書くことで、少しでも先生の説かれる世界に迫りたいと思う。以下に述べることとする。
2 往生要集と神曲(同書 pp.23-27)
(1)両者のイメージ
10世紀末に源信の著した「往生要集」は、各種漢籍仏典に依拠して、その膨大な知識をバックボーンにして、六道苦界や、極楽浄土の様子を克明に記述している。
つまり衆生にとって(これはわたくしも当てはまる・・)善き死を迎えるための阿弥陀浄土思想の実践教科書である。
これに対してダンテの「神曲」は、特異な体験を描いているのだが、共に天国や浄土への願いを実現させようとする点において、非常に似通った性格を持っている。
視覚イメージを喚起する記述に注目したのは、アーサー・ウィリーもそうである。自ら英訳した「枕草子」の中で彼は源信の作品がダンテ風であると述べている。
仏教では、極楽浄土も、地獄も地方説をとる。「往生要集」厭離穢土には、地獄道は人間の住む地下深くの八層からなる立方体の八大地獄と、各地獄の東西南北の門の外に付随する別処、いわゆる小地獄からなると説く。
一方ダンテは、地獄、煉獄、及び天国の位置、形状をプトレマイオス的な天動説に基づいて地形学的に考えた。地獄は神に反逆した天使の一人が、天界からイエルサムの地に墜落した衝撃で、地球の中心まで及んで倒立円錐型をしていて、それが同心円状の9つの圏谷からなっているとする。
ダンテの描写する地獄の形状や、場所、大きさについては、早くから「神曲」の注解の中で述べられてきた。
同書(p.25)によると以下のとおりである。いくつかを書かせていただく。
①ブルネッレスキの弟子アントニオ・マネッティが、地獄の形態と規模を数学的に正確な数値で割り出した未公刊の研究が紹介されている。
②ボッティチェッリによる「神曲」のための素描の中に、地獄の形状全体を描いた洋皮紙一葉を図で紹介している。(同書 p.26)上層から下層へと渦巻き状に地獄に下っていく様子が微細に描かれている。これは実際に書物を見ていただくか、ITの世界でも紹介されていればいいのだが。
※これから調べるけど
ほかにもいくつかあるが、共通点について小佐野教授は「洋の東西で共通なのは、地獄に入るには川を渡らなくてはならないことだ」と書かれている。(同書 p.27)
この点は非常に興味のある資料である。多くの日本人にとって、まさに潜在意識としてあるいは原体験として、川の存在は大きい。冬の東北地方で、農家の大きいいろり端で、年寄りから聞かせられてきた話の中に、川と地獄の存在はで~んとしてある。(で~んというような書き方をしたら小佐野先生に叱られるかな・・とほほ)
(2)聖衆来迎寺の「六道絵」とボッティチェッリ「神曲」の挿し絵素描(同書 pp.27-34)
滋賀県の琵琶湖西岸にある天台宗の古刹聖衆来迎寺にある国宝「六道絵」15幅は、往生要集に依拠した絵画イメージとして名高い作品である。
源信ゆかりの比叡山横川も霊山院周辺で制作され、織田信長による比叡山焼き討ちの際に、この寺に渡ったとされる。六道絵が描かれている。この読書感想文にはその絵を載せることはできないが、非常にリアリティのある絵である。(もっとも、地獄を直接見たことのある方はおられないわけで・・・)
相違点から見てみよう。
源信の地獄には、個性のない一般人が描かれている。つまり私のような衆生である。ダンテの地獄には、固有名詞が出てくる。
古代の英雄アレクサンドロス大王、ブルートゥス、カシウスとユダなどである。
生前の現実社会と未練を断ち切るのが、源信の世界であるのに対して、ダンテの方は地獄に存在すること自体ある意味自分が選択した結果のことであって、地上の世界と断ち切れないわけである。
この点については非常に興味深い展開がなされている。東西の文明の特色でもあろうと思われる。
(3)臨終行事(同書 pp.35-39)
国宝の法然上人絵伝に、隆覚律師が臨終を迎えている場面が描かれている。
当時、日本には死ぬための作法があったと考えられる絵である。
源信も臨終の作法について書いている。要点を以下にあげよう。
①阿弥陀仏像や仏像から瀕死の人物まで、五色の糸を結びつけること
②用意した道具を使って、自らの極楽往生を観相するように勧めること
③死すべき人は、周囲の人に死の間際の幻視したイメージを語らなくてはならないこと、また看病人も進んで問い、共に念仏を唱えるべしとある。
3 最後に
このような臨終行事が何を物語るのか。
それは日本人の死生観である。特定宗教を取り上げて言っているのではない。そして、そこから我々の祖先たちはなにを考えてきたのかということを、これから私は考えていきたいのである。自分もまた、臨終をこれから迎えるのであるから。
※ちょっと今日は書きすぎました。ここまで読んでいただいて感謝申し上げます。
※今日中に、前職の時書いていたブログは削除します。これからジムに行って、帰ってから行います。いろいろと ありがとうございました。