と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

葬送の問題と、死をどうとらえるのかといふこと

2013年01月03日 12時30分56秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

葬送を大げさにしたくないという家族が増えたという。密葬とか、家族葬というものである。高齢化が進み、70代の息子が、90代の親の葬式を出すことも珍しいことではなくなったということである。

社会を引退してからの期間が長いから、世間的な交際も減り、参列者も少なくなる。このことはある意味当たり前でもあろう。だからおおげさにしたくないという遺族が増えるわけである。特に、核家族となって葬儀についての行事関係について知る人がいなくなってしまっている。地域文化が継承されないのである。だから何をどうしたら良いかわからないのだ。

葬儀は規模がすべてではない。大規模だからいいのではない。むしろこじんまりとしたアットホームな家族葬もいくらでもある。ただし、「簡素化」だけが優先されるとなると、意味がまったく違ってしまう。

昔は、世間体もあって、あるいは遺族の見栄もあって、普通より相場を高く設定してくれというのが多かったという。ところが最近は、これが違っている。葬式なんかにカネをかけたって無駄だ、遺された方の生きる手段の方が大切だと言われてしまうのだそうだ。なんでもカネなのだ。こんなところにも、功利主義的な考え方が出てきてしまっている。カネが儲かるか、儲からないかという選択しかないのだから。

火葬する炉の前で僧侶が読経するだけの格安バーゲンもあるという。「炉前密葬」というものだそうである。

あるいは通夜のみで、すべてを済まそうという風潮もある。通夜の告別式化というのだそうである。本来は通夜というのはプライベートな性格があったのにもかかわらず、である。そのうち本葬とか、告別式が無くなってしまうではないのかと思うと心から寒くなってしまう。

喪主の側でも可能なかぎり、手間のかかる行事を拒否しているのだそうである。会食もなし、出棺の前に初七日をやるケースもある。香典も、辞退するケースがあるとのことである。特に都市生活者にとっては、老人がなくなったのだから、世間体を取り繕わなくてもいいという理由で、簡素化を目指すのであるとのことであった。

これ以上家族に迷惑をかけたくないという理由で、直葬を選ぶ老人も多いとのことである。田舎に住んでいても、先祖代々の墓は、子ども達が大都会に移っていってしまって、荒れ果てている。この先だれも管理してくれる人間もいないから、死んだらゴミと一緒だ、焼いてもらうだけでいいと言われる老人が増えているとのことだ。

自然サイクル保全事業協同組合という団体がある。火葬場に残ったお骨を骨粉になるまで処理する専門業者である。ある北陸のお寺に観音像があって、その裏手にコンテナが置いてある。そのコンテナの中には、残骨が埋葬されて永代供養されている。

遺族がまったくお参りにも訪れず、管理料も払っていなければ、「無縁墓」となる。法律も整備されていて、平成11年には「墓地、埋葬等に関する法律」が簡素化の方向で改正されている。

自分は将来無縁墓になるかもしれないという不安を抱えている人は、高齢者の25%であるという。法律の整備により、無縁墓は、納骨堂などで供養されるものの、官報への掲載と墓地内の看板に掲示(一年間)だけで、撤去できるようになった。遺骨は納骨堂で供養されるものの、墓地自体は転売可能となったのである。

供養する人がいなければ死者は忘れられる。

亡くなった方をどうするかということでは、「財産を減らしたくないから」という理由で葬儀を簡単にしてほしいと言われる遺族も増えているとのことである。

ゴミと一緒だからという理由だそうである。しかし、亡くなっていく方々は自分を本当にゴミだと思っているわけではない。人間の尊厳に関わる問題と、家族とのあり方をこの発言は示しているのである。自分をゴミだと言わなければならないという哀しい家族関係がそこにはあるからである。ある意味姥捨て山伝説よりも哀しい現代の風潮があるのだと思う。

散骨についてもふれたいが、このことはまたの機会にやってみたい。

葬儀を考えるということは、ある意味終末期医療のことであり、家族学のことであり、死生学を考えることである。誰にでも例外なく突きつけられたこの真摯なる問いが、我々には確実に迫っているのである。誰にでも、である。誰だって死ぬんだから。

誰も逃げる事ができない問題。

それが「死」の問題である。




※産経新聞大阪社会部  「死の教科書 なぜ人を殺してはいけないか」 (扶桑社) 2007年 を読んでの感想文

 

 

 

 

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老犬が騒いでいたから

2013年01月03日 06時04分41秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

老犬が6:04騒いでいたので目が覚めてしまった。ガレージでクルマに挟まっていた。クビが抜けないでいた。それで助けてくれぇというワケであった。困ったもんである。完全に、ぼけている。かわいそうである。まったく、まったく。わが身を見るようである。

それから拙ブログに記事を書いている。朝トレーニングである。文章の。指ならしである。何がこのぶっとい指先から出てくるのかはわからない。すべてお任せである。

他の方々の論文書きを拝見することがよくある。早い。早い。実に早い。アタマの中に全部文章が入っているから、早いのである。すばらしいことである。愚生は原典を明らかにしながら、根拠頁を打ち込みながらやっているから、けっこう時間がかかる。しょうがないでないか。コピーだけはいかんからねぇ。

ところで、県の生涯大学志願受付が終わっていることに気がついた。締め切りは、去年であった。しょうがない。でも、これも千葉市でやったり、銚子でやったり、けっこう交通費がかかるんですわ。かえって良かったんかな?

後は、居住地の社会人講座を聴くしかない。こっちは3月ころが締め切りだったと思ったけど。違ったかな?

老人クラブも検討している。地域に関わっていかないとこれからの時代、元教員様でございましたってお高くとまっていたら、相手にされない。教員なんて、それでなくても誰にも相手にされないからねぇ。ホントだよ。これって。たいしたことないのにねぇ。大したモンだって思っているのは自分だけ。退職したら、ただの人でありんすよん。勘違いしちゃいけまそん。このことは、大先輩達からうるさく言われたから、アタクシの戒律でございます。(^-^)/

ボク自身もそう思っているし。

地域と共に生きるって言っても、あんまり張り切って大活躍してそれで健康を損ねてもいかんです。ものにはほどほどというものがある。あんまりワサワサと力まない方がよろしいんです。力むと碌なことがない。力むということは、プッツンと折れることがあります。柔道で多く経験しているんです。手首を骨折したことがあったっけ。あれは、成田北という学校の教頭時代でしたな。左手手首だったからまだ助かったケド。

それに、柔道は健康に良くない。(^▽^)

あんまりいきむというか、力むというか、そういう無酸素運動は感心しない。立ち技が特にそうであります。瞬発力が要求される。あれはよくない。

要するに柔軟な対応力というものがどれだけ自分の身になっているかということが、大切なんですねぇ。それが生きるための、あるいは生き残るための実力でありまする。

エビだって、柔軟に伸びたり縮んだりしています。これが要なんですね。カナメ。原理原則と言ってもいい。それが大切です。あんまり固定的に凝り固まって、ガチガチになっていてはいかんです。

 

 

困ったことが起きたですな。

年末は床屋さんが混んでいるからって行かなかったんです。年が明けたら行こうと思っていたら、明日の4日から営業となっている。これは(*_*) マイッタ

もっともボクのアタマは、髪の毛が無いから、あっというまに終わるんですがね。バリカンでバリバリとやるだけ。一番床屋さんがお慶びになるって言われたっけ。簡単だから。ハハハ

明日からアルバイトだし。塾の。きれいにしていきたいんだけど。これだけは限界がありますなぁ。

つまらんことです。

 

さ、これからまたまた駄文書きを始めなくてはなりません。

孫も帰ってくるし。

 

(^_-)-☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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1月2日(水)のつぶやき

2013年01月03日 04時16分37秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

もうお昼か。。。。。


正月は予想どおり実に多忙です。年賀状は少なくなったんですが、なにしろなにしろやることが多くて参りますなぁ。


これで今年は酒を呑んでいないから、まだいいけど。


呑んでいたら、行動ができないっすねぇ。酒は呑むと酔うから嫌いです。(^-^)/


これから来客がある。横浜から来るから駅伝で混んでいるらしい。たいへんっすねぇ。選手も地元の人間も。


現役時代とは違う静かさ=就活不成功になりますよん goo.gl/tAWPz


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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/