と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

就活のことで、疑問に思うこと

2013年01月13日 18時32分11秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

あのぉ~~~と、おそるおそる切り出すしかないんだけど。

就活の問題です。大学生の。なんだか就職するためだけが学問する目的なんですかねぇ。不思議な国だと思うんですが。我が日本って。それだけのために高等教育機関があるんですかねぇ。自分を安売りしているだけだと思うんですが。いくらでもいいから、オレをやとってくれっていうのは。雇用側も雇用側で、それに胡座をかいていて、一生涯年収300万でどうだという会社もあるそうな。なんてこった・・・。

甚だしいのが、院生。しかもドクター。まったく就職先はありまへん。それなりにプライドもおありだろうに、じじぃのボクは本当に博士課程に学んでおられる方がかわいそうだと思っているから。これからの方になんていうこったと、こっちはリタイアしているから余計そう思うんです。これじゃぁ日本から学問の灯火は消えてしまいます。

昔なら、そう1970年代なら、博士後期課程は大学の教員に間違いなくなれたという数字があって、ボクもその頃に学部のガクセイさんでいたので知っているのです。その頃は、間違いなくなれた。それよりも院生になること自体不可能な時代でありました。良くも悪くも。

徒弟制度だったしねぇ。親友で院生になっていったのを、たくさん知っているけど、いろいろあらぁなぁと思って見ておりました。東京の帝国大学を頂点とした学問の世界があって、彼らはそれなりに成功していったわけであります。

心から応援していましたし、事実そうやって大学の先生になっていったのもいますから。

ボクは、実戦部隊で生きるしかなかったし、事実それにマンゾクしておりますです。そういう一生を送ってしまったので。楽しい経験もさせていただきましたし。これはこれでマンゾクしているんです。

否、言いたいことはそうではなくて、人件費を削減しようという真の狙いが裏側に隠されていて、それに乗っかって、ワイワイ・ガヤガヤと騒いでいるだけでおまへんか?と申しあげたいのです。

なんだか、危険な匂いがするんですが。誰がこういうシナリオを書いたか知りませんが、国際化とか自己責任とかの美辞麗句に踊らされて、自分を見失ってはいませんか?とお聞きしたいのです。

昔なら大学で学ぶようなことは無かった資格取得のためだけの大学というもの、専門学校化した大学も多くありますし、短期大学が4年制にシフトしているというのもなんだか別の世界の計算がありそうです。別に大学数が多いと言っているわけではありません。そんなのは、単位を変更すればいいだけで、少子化だから大学を高校を減らせといのも本当の狙いはどのへんにあるのか、わかったもんではないんです。これもまた誰かがシナリオを書いていると思って間違いないでしょう。

大学(高校)受験だけを教えていれば公教育の使命は果たされたという輩と一緒で、本当に我々日本人はアタマが悪くなっているとしか思えません。おっと、と~ま如きにそんなことは言われたくねぇってお怒りになる方もおられるでしょうなぁ。

そういうオモテヅラのことだけやっているから、システム自体に変調を来すことになるんです。教育を受けるとカネになるからというのと一緒です。だから、学校に行くのだとのたもう。これじゃぁあかんでっせ。金儲けのために学問をするんですかねぇ。

あるいは、教授になるためだけの目的で、学問をするんですかねえ。

今日は、なんか随分「ねぇ」「ねぇ」が多いですが、致し方なし。世を憂い、ふううううっとため息をつくときは、ボクはねぇねぇウサギになってしまうんです。マジに。

 

こんなことをやっていると、つまり高等教育において、経済の論理が支配していると、我が日本はつぶれっちまうって憂慮しているからであります。留学生を見ていると本当に目を覚まさなくちゃあかんでっせと申しあげたいくらいです。学問のために、学問するっていう姿が、留学生の方にあると思うからです。学問を就活の道具にしているわけではないからです。

こんなことを、このつまらないブログでくっちゃべっていたって、なんにもならないのか・・・・

徒労だな、徒労。

 

ははははははははは。

(^_-)-☆

 

 

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今日からはまたまた新生「と~ま君」

2013年01月13日 07時29分16秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

概説的にものを考える方と、そうではなく、自分のオリジナリティを求める方とボクの周囲には二種類の方がおられる。このことに最近気がついてきて、人間観察にはとても楽しい日々を過ごしている。

概説的な方というのは、いわゆる受験秀才である。学校の教師にたまにいる。幅広く、浅く知っているというタイプ。しかも、他人に指導するのが大好きというタイプである。

鬼来迎のことで、指導をいただいた。若い時から知っている方であるから、謙虚に聞いていた。ボクの論文を見て、ふんふんとそれこそ概説的にざっとながめてくださった。因果応報のことが書いていないとか、鬼の面のこととか、言われておる。しかし、ボクは根拠の無いことは書かない。推測で論文が成立するなら誰でもできるのである。

既知のことであったので、反論もしなかった。はいはいありがとうございます、である。指導の好きな人である。小学校の教師だったから。だがそこに落とし穴がある。あまりにも概説的な知識であると、部分的にアナができるのだ。民俗学はそこのところが恐ろしいのである。部分的には、自分よりも詳しいのが世の中には必ずいるからである。

世間は厳しいもんである。絶対にうぬぼれてはならんのである。戒めである。ボクちゃんには。自分だけが知っていて、他人は知らないだろうとか思っちゃいけないんである。ボクは、絶対にそんなことはいたしません。

(^_-)-☆


 

外国人の論文を拝見させていただいていた。本人から、日本語のチェックをしてくれと頼まれたからである。こういうことならお安いご用である。日本語のネイティブだから。(苦笑)

いろいろと書き込みをしていた。原稿に。

そして、気がついたことがある。概論的ということにである。非常に多くの文献を読みこなしているけれども、自己の考えがない。つまり文献の解説的な文章が多くなっている。これは研究手法としてはいかがなものかと思っているので、本人ともオオイニそのことは議論している。出身国家によって手法が異なるんであろうけれども。

だから難しいものなのである。謙虚にならざるを得ないのである。

他人はいざ知らず、ボクちゃんは能力に乏しいからなぁ。お助けはできても、指導は一切できねぇから(^▽^)

 

今日からは、音というものから中世の史料を眺め直す作業が始まる。楽しいものである。論文のテンプレートも使い慣れたし。しかし、このテンプレートってかなりいいですねぇ。参考文献、注を書いて、それを訂正しても、連動して全部数値が入れ替わるんです。修士論文提出のときに、かなり苦労したのでまるで夢のようです。知らないってことは、まったく仕合わせなアタマだってことを証明しているようなもんですな。あははははですわ。まったく。

今日からはまたまた新生「と~ま君」であります。

どんな老後が待っているのか、これだけは自分でもまったくわからんから、楽しみですなぁ。

楽しいから生きてられるんで。

 

(^-^)/

 

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1月12日(土)のつぶやき

2013年01月13日 04時29分51秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

いつもTwitterはおはようございますから始めるのですが、今日はこんばんわ!からです。千葉市に行っておりました。朝の7時に家をスタート。何時間もかかっちまう(^▽^)


ずっと、性能の悪いアタマを使っておりました。すこし潤滑がよくなりましたかな?古文書まで読んでいたし。見たこともないいい史料でした。さすが江戸幕府の官僚機構はすばらしい。達筆であるんですが、崩してあるからなかなか読めない。しかも、佐倉藩が天狗党との関わりで佐原を・・という話。


これからの愚生の転機になりそうな史料でしたねぇ。学部のときにもっと勉強していればよかったですなぁ。いつもそう思ってしまうんですわぃ。情け無いことかぎりなし。


さっき、書庫のコピー史料を整理していましたら、なんとなんと大量になってきました。また、段ボールで自己啓発書みたいなもんは、捨てます。でないと、スペースがなくなってしまいます。狭い部屋ですから。


ビジネスに役立つだろうと思っていた自己啓発書は、退職したらなんの役にも立たなかったですなぁ、まったく。無駄でしたな。こんなの読んでいるヒマがあったら、論文書きのために史料を集めて、読書していればよかったです。(^-^)/


もう過ぎたことですが。さ、それではまた明日!おはようございますの挨拶からTwitterを始めます。


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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/