なぜヒトは動かされるか
1 ヒトを動かす 私は、なぜ人は動かされるかという視点でこれまでの教員生活を送ってきた。教育という仕事の関係では、社会的影響の形成過程という点で、特に「社会的規範の形成」「勢力と承...
ちょーまじめな記事ですなぁ。
こういうのも書けるんです。。。。
わははははは
なぜヒトは動かされるか
1 ヒトを動かす 私は、なぜ人は動かされるかという視点でこれまでの教員生活を送ってきた。教育という仕事の関係では、社会的影響の形成過程という点で、特に「社会的規範の形成」「勢力と承...
ちょーまじめな記事ですなぁ。
こういうのも書けるんです。。。。
わははははは
月山・鳥海山参拝の旅へ
今日も新宿に行く。来週の月曜日にも行く。行かざるを得ない用事があって、ま、これも致し方ない。こんな時もあるのだ。じじいだし、いつもいつもバカばっかり書いているわけにもいかない。
ところで、月山・鳥海山に今月行くのだが、斎藤茂吉に月山参拝の短歌があって、ちょっと引用してみたい。
1 午飯を此處に濟ますと唐辛子の咽ひびくまで辛きを食いぬ
2 窓そとを見つつし居れば田の中に浮く青き藻に雨ふりやまず
3 今日ひと日岩根澤口に過ごしたり山杜鵑まぢかく飛びて
4 午過ぎにはやも宿かり親しみて油揚げ餅食ひつつ居たり
5 月山の登山ぐちに草鞋ぬぎ雨一日降り夕ぐれにけり
6 夏ふけし山のやどりは電燈に螢飛びくるも心しづけく
7 いにしへは諸国千人この宿に溢れしことを物語けり
8 家のまへの田のなかに降る雨見つつ雷くだり行く音を聞き居り
9 夜も啼く山ほととぎす我が子にも教へなどして眠りに入りつ
10 山のやどの固き布團に身をすぼめ朝の空を氣にしつつ居り
11 あかつきに近づきゆきてほととぎす啼き透れども多くは啼かず
12 目のまへの山には深き霧ながら心こほしき朝ほととぎす
13 高山に霧のせまりてくるさまを吾が子はときに立ちどまり見つ
14 はしばみの實をまだ若み道すがら取りて食へどもその味無しも
いつもながら秀逸である。
斎藤茂吉さんのことは、18歳までアタシャ山形で過ごしたから、非常に親しみがある。伝記も、地元紙の「やましん」こと山形新聞に連載されたりして、非常に興味があったのだ。特に、奥様との確執は、あるいは愛人の存在もあって、そういう話は嫌いでは無かったから、へぇとかふううむとか唸って読んでいた。
肝心要の短歌は苦手なので(今でもそうだが)、ちーともその後も含めて理解が進んでいない。いないけど、視点を違えて斎藤茂吉を眺めると、そして月山と絡めて読むとまた面白いものである。この「視点を違える」ということがアタクシにとって重要な作業になる。
つまり常識にとらわれないということである。受験国語とか、そういう観点ばかり考えていると碌なことは無い。もっともあれか、学習塾アルバイト講師としては言っちゃいけないことであるが、それはそれ。松尾芭蕉の有名な「五月雨をあつめて早し最上川」の俳句だって、受験国語は大自然の何たらかんたらとか、正解を出してくるが、あれはそんな俳句ではないのだ。ちなみにYahooの知恵袋というコーナーでも「降り続く梅雨の雨を集めた最上川が,水かさを増しながらゴーゴーと勢いよく流れている様子を詠んだ俳句です。」と質問した人に答えている記事があって、笑った。
この俳句は、芭蕉の死生観が如実に出ている非常に優れた俳句である。が、これを言い始めると、生とはなにか、死とはなにかという課題にぶち当たる。もうオレのような一介の田舎教師には手に負えない。
哲学の領域にも関わるとなると、中高生レベルではもう無理である。
しかし、文学を哲学の手法を応用して分析するというのも嫌いではないから、興味関心はある。
昨日でようやく前期のゼミが終了した。
今時の大学というのは、まだ夏休みに入っていないのだ。昨日も、院生室の前のテーブルで、薬学部の学生たちが,前期試験の勉強をしていた。何人かで。いいものである。いい風景である。議論している姿は美しい。脇にコピー機があるので、院生はコピーカードを借りて、コピーをすることができるから、必然会話の内容が聞きたくなくても、聞こえてきたから薬学部だとわかったのである。さすがである。薬品の名前がばんばん出てきて、ついていけない。
頑張ってほしいものである。若い方々には素直にエールをお送りしたいものである。それがオレのこれからの課題である。
自分のことしか興味関心がないと、先週も友人達に言われてしまった。つまりこうやって生涯学習をさせていただいていることを、「自分のためだけ」と受け取っておられるのだ。そうなんだ、そうやって考えていたんだと、はっとなった。確かに、そう言う部分もあったことは否定できない。されど、されど自分のためということは、そこに、生涯学習をしてさらにステップ・アップするとかというオレに言わせれば実にあふぉ~な感覚があるからであろうと想像する。生涯学習は、銭が欲しくて、ステップ・アップするためにやるものではないのではないかと思っているからである。回り回って、他者のためになればいいのであって、まずは最初に自分を鍛えなくちゃならん。だから、オレは資格取得とか、ステップ・アップという道には走っていない。自分のためだけなら、銭のとれるじじいになれるような大学院に行ったはずだ。資格を取って、転職して、第二の人生を歩むためにとかの屁理屈をつけて。あるいは世間相場で通りのよい大学に行って、政治家を目指そうとか言って。
優先順位が違うのである。
ま、そんなことはどうでもいいことだ。
オレはそれよりも、今日、新宿に行く方が優先順位が高いのである。困ったもんだ。あんまり行きたくもないが、優先順位が高いから行かざるを得ない。わははははははである。
じゃぁ!
これからBusに乗って出かけますので。
(^_-)-☆
参考文献 日本の名山 月山 串田孫一他編集 博品社