ヘラクレイトスの暗い断片を引き、存在は哲学的思考にとって戦争として啓示されることを明かすまでもない。戦争は、最も明白な事実として哲学的な思考を侵しているだけではない。現実的なものの明白さそのものとして-或いは真理として-哲学的思考を侵しているのである。-全体性と無限-
エピクテトス曰く、人間は自分自身に専心しなければならない。神ゼウスが〈理性〉を与えることによって、人間を自分自身の手に委ねたからだ。この理性によって人間は他の全ての能力の使用を決定できる。従って我々は神によって自分自身に委ねられ、自分自身に専心しなければならない。-主体の解釈学-
恐ろしい拷問死を、美しい絵、美しい音楽、美しい詩句で表現するとき、何がそれを正当化するのでしょうか? 『M・エンデの読んだ本』『エンデのメモ箱』「親愛なる読者への44の質問」
さあ、わしの杯になみなみと注いでくれ。まず初めに仲違いの為ではなく、互いの気持ちを大切にする為に乾杯しよう。さもないと、誰かの汚れた目の呪いにかかって、わしの好意もふいになってしまうからな。悪魔って強いものでな! 間違いを起すのはわけもないこったよ! ―主婦
人間は万能の神でも仏でもないのですから、人を完全に理解することもできないし、良かれと思ったことで人を傷つけることもあります。そういう繰り返しの中で、人は何かに許されて生きているのです。
■「思考は矢のように放たれたら、的を射る。注意しないと自分の放った矢で倒れることになる。」【ナバホ族】
もし彼が時を過って、堕落した社会主義かぶれの怪物に出会って、何か社会的かつロマンチックな口実のもとに強盗の寄り合いのような徒党を作り、まず試験の為に、誰でも出会い次第の百姓を殺して有り金を強奪しろとたきつけられたら、彼は必ずのこのこ出かけて行って言われた通りをするに相違ない―悪霊
お子さんに「何のために生きるの?」と聞かれたら、「誰かを幸せにするために生きるのよ」と答えてあげて下さい。
■「あとどれくらい行かなくてはならないのかと、尋ねるたびに目的地は遠ざかる。」【セネカ族】
おお、自然よ。僕を君にお返しする。 僕のひもじさも、渇きもみんな添えて。 ――「忍耐」金子光晴訳
私は、神が私たちを通して、この世界を愛してくださっていると信じています。あなたを通して、そして私を通して、です。
制度としての政治権力の理論は、普通法的な主体の法律上の概念に基づいているが、それに対して統治性の分析(可逆な諸関係の総体としての権力の分析)は、自己の自己への関係によって規定された主体の倫理に基づかなければならない。-主体の解釈学-
継起的で可変無常な直観、一般的に情という広範囲の概念のうちに抽象的でないとか明晰でないとかいうネガティヴなレッテルで一括されているところのいっさいを、抽象的な明晰な知にいたるまで、つまり一つの永続不変の知にいたるまで高めること、これが哲学の任務である。
心をこめないで言葉をさがすより、言葉をさがさないで祈りの中に心をこめる方がよい。
扨(さて)、此の後どうなることか……それを思へば茫洋とする。 さらば東京! おゝわが青春! - 『在りし日の歌』後記
言葉がまだ話せず、従ってまだ考えることもできないとされる幼児が、言葉に意味があるとわかるのはどうしてでしょうか? 『M・エンデの読んだ本』『エンデのメモ箱』「親愛なる読者への44の質問」
■「自分自身のことでも、自分の世代のことでもなく、来るべき世代の、私たちの孫や、まだ生まれてもいない大地からやってくる新しい生命に思いを馳せる。」【アメリカ先住民の古老】
ニーチェ、バタイユ、ブランショにとって、経験とは、〈生きることが不可能なもの〉に最も近いような生の地点に到達しようとすることだった。求められているのは、最高度の強度であると同時に、最高度の不可能性だった。-M・フーコーとの対話-
東京大空襲でまだ小さな息子を亡くしたという患者さんが亡くなる間際のある日「息子が来た」って言い出しましてな、これを譫妄で片づけることもできたんでしょうけど「あら、大きくなってました?」って聞き返してしまったオレ。
「不思議なのよう、何十年も経ってるのにハタチぐらいの若者で」って恥ずかしがってたけどなwいい男になってたんでしょうなあ。「こんなこと言ったらバカにされるかと思ってた」って言うから、何言ってるんすか、わたしだってそうやって会いたい人ぐらいいますよ!って言うといた。
それからすぐ患者さんは亡くなっちゃったけど、若者姿の息子に手を引かれて行ったんでしょうねえと夜勤の相棒と気合入れてエンゼルメイクしてお送りした。夫にも死なれてて一人ぼっちの人だったけど、息子と一緒に歩くんだからって思いっきり美人さんにしといたぞ。
愛に見返りはないんです。初めからないと思ってかからないと駄目です。本当の愛に打算はありません。困ったときに損得を忘れ、助け合えるのが愛なのです。