アジャセ物語
1 はじめに アジャセ物語を通して、スピリチュアリティがどのようにあらわれ、それらが本願とどう関係してくるかについて以下に考察したい。2 スピリチュアリティについて(1) スピリチ...
アジャセ物語
1 はじめに アジャセ物語を通して、スピリチュアリティがどのようにあらわれ、それらが本願とどう関係してくるかについて以下に考察したい。2 スピリチュアリティについて(1) スピリチ...
仮面の下にあるものは
能や、民俗芸能の本を読んでいた。黒仮面のフォークロアという本の一部分コピーを昨日はやっていた。中に、狩りをおこなった集落で、イノシシの頭部を切り取り、神社に奉納するしきたりを持っているところがあることを知った。狩りを行うというところがキーワードである。写真付きであった。なんとも不気味であった。しかし、なぜそのイノシシの死んだ顔が、仮面の本に出ているのかと思った。はっとなった。仮面というものは、そういうものだったのだと思った。
つまり精霊の、あるいは怨霊の祟りを鎮めるものであるのかも知れないと思い至ったからである。
だとしたら、芸能で仮面をかぶるというのは、そういう面もあるのかもしれないと考え始めたからである。つまり、それほど覆い尽くさなければならないほど、現実はシビアーだからだ。そう思った。現実は確かに生きるのに難い。困難が多い。だからこそ、それにフタをしたくなってしまう。嫌な奴は、釜の中に閉じ込めて、フタをしたくなる。出てこないでほしいというわけだ。祟りもそうだ。出てこないでほしいというわけだ。
感情が表に出ている仮面というのは、わかりやすい。怒りの表情をしているもの、笑い顔のもの、哀しみを現しているもの等々たくさんある。
しかしながら、だからと云ってそれをそのまま受け取るのも問題がある。
例えば、八重山のミロク神。笑い顔の素敵な実にいい顔をなされている。見ているこっちまで、仕合わせになるような仮面である。しかし、鵜呑みにしてはならない。どこまでホントに笑っておられるのか、わかったもんじゃない。仮面の下には、おおいなる悲劇があるのかもしれない。あるいは、怒りがあるのかもしれない。またまた、諧謔があるのかもしれない。表ヅラは笑顔でも、まったく違った面があるのかもしれない。
だから我々は(オレだけかもしれないが)、表情だけで人を判断してはいかんのである。オレのような男の顔を見て、この人は不幸の始まりを演技してるなんて云っちゃいけねぇのだよん。
(^0^)
オレだって、仮面をかぶっているのである。聞きたくないことは、聞きたくない。聞こえないふりをすることも当然あるのだ。ミミが悪くなったことにすることもたくさんあったのだ。それでいいのだ。それで。
でないと耐えられないではないかと思うときもあったからである。
世間なんてそんなもんだ。人には厳しく、自分に甘く。冷たいもんだと思っていたほうが、裏切られたときのショックが軽く済む。
だからオレは、男性も女性も美男美女であるかどうかなんてくだらないことを判断の基準にはしない。美男美女というのも仮面の一つであるとしか思っていないからである。誰だって、「魔」というものが、顔という仮面の下にはあるからである。魔女の「魔」である。恨みとか、呪いとか、怒りとか、嫉妬とか、人間には触れられたくないものがあるからである。化粧だって、それらを隠すためにあるとオレは思っているくらいである。
むしろ、自分の持っている「魔」が、強大であればあるほど、我々は(やっぱりこれもオレだけかな?)それを隠す必要があると思うのである。
それをある種のゼッタイ者に預けてしまうという手もあるが。宗教のように。唯一神を奉ずる宗教のように。オレは、意外だろうが、特定の信教がない。信じられないのだ。信じたくてもダメなのだ。なぜか。知的理解でしか接しようとしないからである。これは信者としてはいけない傾向である。ある種のはまる体験を志向しなくてはならないのだろうが、オレにはできない。だから、熱狂的な信仰者からは叱られてしまうのだ。信心が足りないということになってしまうのだ。
音響的効果と云う観点から、コスモロジーという事を最近のオレはよく書く。この間も音のコスモロジーという観点から鬼来迎について書いて郷土史の研究誌に出してみた。そういう観点からしか、オレは宗教に接近できないのだ。オレのような中途半端な人間にはだから救いは無いのである。
それも仮面なのかもしれないのだがねぇ。
ま、ミロク神様のように毎日、あはははは、おほほほと笑って過ごしたいもんでっせ。マジに。
(^_-)-☆
体罰の事例集などハンドブック作成 公立校教職員に配布 岡山(産経新聞) - Y!ニュース headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130813-…「体罰防止ハンドブック」。ネット上で公開している自治体も多い。
高校無償化の所得制限、公明が930万円以下案 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) yomiuri.co.jp/politics/news/…「930万円に制限を設けると2割の世帯が無償化の対象外になる」。
また、私の聞いている所で、主は他の人々にこう言われた。「彼の後に従い街を巡って、撃て。お前達の眼は情け容赦してはならない。憐れんでもならない。老若男女問わず殺せ。抹殺せよ。しかし、徴を付された者には触れるな。まず、私の聖所から始めよ。」『エゼキエル書』9・5~6より
聡明さとは、精神が真なるものに対して開かれていることである。そうであるなら、聡明さは、戦争の可能性が永続することを見て取るところにあるのではないか。戦争状態によって道徳は宙吊りにされてしまう。-全体性と無限-
まさに。 だからネットから出られない RT @yu_zzie: いくらネットで影響力!と言っても実社会は容赦なく冷たい風が吹き付けるもので、フリーランスだ、ノマドだ、俺はネットでは影響力があるぜとゴチャゴチャ言ってても「どうでもええ、つーか、オメー誰?」となるのがオチなんですよね
月刊文藝春秋8月号:安倍総理への手紙特集。ある若手社会学者が「総理、若者向けの政策が見当たりません」と提言しているが、この人、この前まで選挙に行ったこと無かったって公言していた。編集部は「名前が売れている」というだけで選ばんと、若者の代弁者を真剣に探した方が良いのでは。
※E_Levinas_jpはボットです。レヴィナスの主要著作から抜粋した言葉をランダムに呟きます。一部字数の関係上要約した部分、また解釈込みで補填したものあります。呟く言葉については随時更新していきます。
けれど、もっとおおきな苦しみは、だれも側にいてくれない、孤独で愛されていないことなのです。だれからも愛されないこと、これこそが、人類が経験することの中で最悪の病気だということを、私はますます確信するようになりました。
マザーテレサの言葉です。痛いです、オレには。
>けれど、もっとおおきな苦しみは、だれも側にいてくれない、孤独で愛されていないことなのです。だれからも愛されないこと、これこそが、人類が経験することの中で最悪の病気だということを、私はますます確信するようになりました。 #fb
[戦争に基づいている諸帝国の]平和によって、疎外された諸存在が、失われた自らの同一性を取り戻すことは出来ない。そのためには、存在との本源的で独特な関係が必要なのである。-全体性と無限-
予想と期待でもって、他者と関わるのはいけないことだ。オレのことをこう考えてくれている筈だとか、予想と期待をもってみちゃいけないのだ。世間はシビアである。おめぇのことなんか誰も知っちゃいねぇよというのが普通なんだと思っていりゃええんだ。それでもオレは他者に親切でありたいけど。#fb
20~40代の独身男女3割が「付き合った経験なし」 原因は「外見64点以上」の高望み?: 東京バーゲンマニア bg-mania.jp/2013/08/051010…このへんは,厚労省の『出生動向基本調査』とかでも分かる。
こういう書き込みを見つけたが、だったら結婚できたオレは、現代の奇跡か?(^0^)
>20~40代の独身男女3割が「付き合った経験なし」 原因は「外見64点以上」の高望み? #fb
さ、これからジムに行こうっと。
昨日バーベルを上げてみたら、あああああ、30キロしか上がらないのだ。
じじいになったもんだよん。
でも、今に見ておれ!
100キ... goo.gl/nq2iKa
[戦争を生起する]閃光の暗い輝きのうちで描きとられる存在論的な出来事によって、それまではそれぞれの同一性につなぎとめられていた様々な存在が、運動の中に投げ込まれる。その存在論的出来事は、絶対的で孤立したものを、誰も逃れることの出来ない客観的な秩序によって動員する。-全体性と無限-