と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

去年の記事 オズの魔法使い

2013年08月06日 20時08分49秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年
 
オズの魔法使い

1 はじめに 子どもは、自分の中に行動様式を取り込むときに、周囲の大人から影響されることが多い。また、映画やテレビ、童話などの主人公からも行動の善悪を学び、ものの考え方の基本を身...
 

 

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黙っていたらわからない

2013年08月06日 16時28分44秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

痛いときは痛いと云うべき

 

 

 居住地の祀りが、今日はある。交通整理担当だったのが、足を痛めたので、できない。いろいろ謝罪して今年は参加を見送った。立っていられないのと、けっこう走り回ったりするので、ちょっとオレにはできないと思ったからである。去年は、雨の降る中をやった。去年のようにやりたかったのだが、致し方なし。こんな時もあるのだ。仕方なし。仕方なし。

 それでも、周囲が理解してくれているとは限らない。だから、痛いときは痛いと云うべきである。でないと、サボっているととられかねないからである。黙っていたらよくない。

 黙っていたらよくないというのは、好きなじょせーがいたら、正々堂々と云うべきだとオレは思っているのだが、どうもそれができない世の中になっている。ハラが立つ。独身男性よ!奮起せよ!とオレはどこでも叱咤激励しているのだ。ところが、引っ込み思案な男がいて、実に嘆かわしい。黙っていたらよくないのだ!

 自分の気持ちが相手に伝わっておるはずだというのは、そこに表現の工夫がなくては成立しないのだ。それこそ、表現学というか、文学の真骨頂というか、古来、和歌をはじめとして文学の追究してきた課題である。以前にも書いたことがあったが、それを一律にセクハラだとしたら、もうもうなにをもって告白が伝わるのだと歎いておるのである。じじいとしては。

 現代のわけーしゅうは、ラブレターなんて書いたことがないのではないか。みんなメールで済ましているのではないのかとふと思ったからでもある。

 ふううむ。

 ラブレターの書き方なら、オレは人に教えることができると自慢しているのだが。過去のそういう文学上の話題からいくらでも、拾ってきて、紹介することができる。

 おっと、あれか、と~ま君に教わったらまとまるものも、まとまらないって云われそうだが。そうでもない。オレにはキューピットしての実績があるからである(エヘン!)。

 そういうまともなことを書くときは、まじめになるからである。だからご安心くだされませ。一度会ったらわかります。どっだけオレが、ジェントルマンかということが。わはははははは。

 

 そんなわけで、今日も一日中おとなしくしている。16:15である。寺院の縁起の原文入力が完了した。とうとうここまできた。予定どおりだ。

 ある意味、オレは計画どおりに行動するのが得意である。そう見えないというところも、また不思議なところである。まじめなんだか、不真面目なんだか、まったく常人の理解を通り越しておるのだそうな。もう一度云う。「そう見えない」ということが重要である。

 簡単に相手にバレないということが大切なのだ。拙ブログでは相当個人情報をバラしているようだが、そんなことは決してない。かなり隠すべきところは、隠しておるからである。さらに、文章のいいところは脚色ができるということ。これもまたいろいろなオノレを演じワケて書いているのだ。楽しいのである。俳優にでもなったつもりで、書かせていただいておるからである。こういうのを表現の喜びというのであろう。だから、研究をしているというより、表現の喜びを味わいたくていろいろ小難しい本を読み、駄文を書いているのである。ソレが楽しいからである。演技者のようでもあるし。

 柔道で云えば、なんの技が出てくるか全く予想のつかないという点が重要であるし、そういう人間なんである。オレは。それでいいのだ。それで。そうやって今まで生きてきてしまったからである。もう、今更改めることはできない。時間的な余裕もない。

 

 だから云いたいのである。

 黙っていたらいかん! 

 表現していかなくちゃならないって。

 黙っていたら、そのままになっちまうのだ。そういうのを圧殺するような世の中だけはいかんのである。そう思っている。マジに。

 

 (^_-)-☆

 

 

 

 

 

 

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去年の記事 Buddhism

2013年08月06日 08時45分26秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年
 
Buddhism

1 はじめに アメリカの仏教学者ケネス・チュンは、「中国における仏教の中国化」という視点の重要性を訴えた。『中国仏教研究入門』を参照しながら以下に考察したい。2 異宗教として...
 

 

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8月5日(月)のつぶやき

2013年08月06日 05時09分16秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 旦那が毎日家にいると困る奥ちゃまがいっぺぇおられるということに気がついたからである。そうなんだ、そんなに旦那が毎日家にいたら邪魔なんだねぇ。困っ... blog.goo.ne.jp/tym943/e/72e36…


第22話まで観終わる。昔のアニメらしく「毒」がありますなあ。文科省の道徳教育教材になり下がった,今のなんちゃらとは大違いでやす。

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ど根性ガエルのWikiです。ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A9…

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現在、仏教文化学科の学生が五名、浄土真宗本願寺派の得度習礼に行っております。今日あたり、かなりヘバっている頃ですね(笑)。大学へ帰ってくる日が楽しみです。

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終末論的なヴィジョンによって、戦争と帝国という、ことばが語られることのない全体性が切断される。そのヴィジョンが目指しているのは、全体性として理解された存在の内部での歴史の終末ではない。このヴィジョンにより、むしろ全体性を踏み越えた存在が、無限なものと関係することになるのである。

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『この高すぎる自己評価と低すぎる外部評価の落差を埋めるために、多くの人々が呪いの言葉に手を出すようになる。』←さまざまな問題を解決する良いヒントの様なきがします。 / “内田樹「呪いの時代に」 ネットで他人を誹謗中傷する人、憎悪と…” htn.to/cyRCLt

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西往寺宝誌和尚立像:宝誌和尚は実在した中国南北朝時代の僧侶。梁の武帝が絵師に和尚の肖像を描くよう命じると、和尚の顔が割れて中の菩薩がどんどん変化するので、結局お顔を書く事が出来なかったという。twitpic.com/9csg0t

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先日、北海道と九州の宿坊に泊まってきましたが、そのおかげでほんのちょっとパワーアップできたような気がします。それぞれ対照的な両宿坊。ということを、ブログに書いてみました。 syukubo-blog.com/2013/08/05/1595

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田樂師(デンガクシ)の演奏種目の中、古くからあつて、今に傳へて居る重要な「中門口(チユウモングチ)」と言ふのは、此「門入り」の儀の藝術化したものなのであつた

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自分でもどこかで見たポーズと思っていたが、確かに… @arcykk: 岡部学長が腕組みしている放送大学のポスター発見!。学長がウルトラマンに見えてきた(・∀・) #放送大学

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新宿の帰り、神保町で、「空海金剛般若経開題」を買ってきた。一昨日の続き。1800円なり。和漢墨寶選集第19巻なり。正価は5800円だから、いい買い物をしたものだ。なにしろ印刷と違って、空海さんと直に対話しているような錯覚になるからだ。(^0^) #fb


あ、これも印刷だけどね。ホンモノが手にはいるわけがない。。(^0^)#fb


夏休みだから、新宿駅も、東京駅も混雑していたなぁ。一昨日は、明治のオープンキャンパスをやっていたし。神田で。学生運動華やかなりし時を知っているオレとしては、時代が違ってましたよん。あんなに華やかな大学ではなかったし。男っぽいバンカラという大学だったからなぁ。#fb


それに中央大学が神田にない。これも寂しい。我が青春はもうどこにもないですなぁ。#fb


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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/