お父さん お母さん ありがとう
図書館で本を読んでいたら悪いのかね。わはははっははは。
今日は一日家にいる。夜、塾があるからである。体力温存のためだ。けっこう、塾も疲れるのである。しかも専門外の数学と英語もやるから気が抜けないのだ。しかたないではないか。オレは国文学が専門であるから。自薦してやらせていただいているのではない。いつのまにかそうなっちまったのである。ま、それでもけっこう楽しいからいい。数学がともかく楽しい。高校時代までは、数学好きだったからなぁ。それがなんで文系に行ったのか?と高校の同級生達にかつてよく聞かれた。ついでに云えば、中学まではよくできたのになんで劣等生になったのだ?とも。わははっははは。それは簡単だ。オレは碌でもない男だったからである。それが、まっとうになる修行をして、ようやく普通のじじいになったっちゅうだけのことである。それだけである。
ま、今日は午前中、家の蛍光灯とか修理をして過ごす。家人の買い物にもつきあわないとアカン。老いたら、子に従うではない。Wifeに従うのである。それが一番世の中の平和のためにはいい。それでなくても、普段から道楽みたいに勉強させていただいているのだから。感謝である。基本は感謝。
午後からは、居住地の大図書館に行く。駄文を書くためである。これがオレの最高の趣味である。映画でもない、テレビでもない、酒でもない、ヒトの悪口でもない、美女でもない、ないないづくしである。な~~~んにも興味がない。ひたすら駄文を書き、良い文章を読む。これの繰り返しだ。自己満足と笑えば笑え。どうせ、オレなんかソンな程度である。いいじゃんかとも思う。少しは世の中のためになっているようだから。
Googleで、オレの本名を打鍵してみた。さっき。そしたらたくさん出てきた。全部、仕事をしていたときの記事である。参ったね。いろいろあったのだ。随分あちこちと悪戯していたんだねぇ。ついでに云えば、オレを見かけたっちゅう記事まで散見されるのだ。図書館に居たとか、電車の中で見たとか、まるっきり怪物ではないか(^0^)。そりゃないぜよな。
図書館に居て悪いのかね。電車に乗っていて悪いのかね。
最近は塾の生徒まで云うから笑っちまう。図書館でなにしているの?と聞いてくるのだ。図書館で本を読んでいたら悪いのかね。わはははっははは。
そんなふうには見えねぇっていうことなのだろう。とても。読書するようなタイプには。だから日本人はステレオタイプの思考法しかできないっていうことなのだよん。図書館にいるっていうタイプは、秀才タイプの勉強家というのだろうなぁ。オレは、全く真逆の人相をしているからなぁ。それに、ノートパソコンを持って歩いているのも意外らしい。「へぇ~、Personal Computer使えるんだ?」って塾生が聞いてくるからである。わははっはははである。どんだけオレは誤解の猪八戒されているんだってことだ。
現在の在籍校である城西国際では、オレのことを知っているヒトはまったくと云っていいほどいない。クラスメイトは今の段階では2人のみ。こいつはありがたいことだ。なんにも気を遣うことはない。声をかけるヒトがいない。実に気楽だ。相手も妙なじじいが学内を歩いているっちゅうだけで、気にもとめない。しかも、あと一年ちょっとでお払い箱である。ふ~~~と居なくなっちまう。その程度の人間だ。だからありがたいのだ。こんな程度の人間でも、最高の学問をさせていただいている。しかも、一年間で4回の学会発表をさせていただいた。これは本学大学院に在籍していなければ不可能だったろう。マジに、これは云える。
三ヶ月に一回の学会発表というのは、実に驚くべきハイスピードである。一生の思い出である。こんなにたくさん論文を書き、くっちゃべった一年はなかった。これからも無いだろう。これが教育効果っちゅうものである。しかも、オレは郷土史という死ぬまでできる居場所を見つけてしまった。定年の無い居場所である。こいつが、一番の収穫であった。ありがたいものである。実にありがたいものである。
さ、上ってきた太陽に合掌して、家のことをやらせていただきましょう~~~~。
(^_-)-☆
ゲーテみたいに、70過ぎて、18歳の乙女に求婚するなんてあり得ねぇ話じゃ。これからモリモリ食って、筋肉つけて、強くなりたい... goo.gl/52Al1M
ふうう、疲れた。朝からずっと原稿を書いている。(*_*) マイッタね。もう2時だ。飯を食いながら、5時間くらいやっている。あ、そうだ。こういうときは、数学をやるにかぎります。さ、トイレ行って、これから数学のノートを出して、しばし別ルートの頭を使用します。じゃぁねぇ!
去年の記事 エースをねらえは楽しいマンガだ blog.goo.ne.jp/tym943/e/d02fc…
人種や種族を基点にすると、人類共通の問題がみえなくなります。今や人類全体を基点にしなければ、未来に向かえない時代です。社会が前に進みません。ではその人類共通性とはどこにありうるか。ファクトだけの世界にではなく、意味の関連しあう世界にあるのです。 『三つの鏡』
ちかごろ画面が妙に明るくなってきたんです。もう四十年ちかく前に『アルプスの少女ハイジ』というテレビアニメをつくったのですが、画面の背景はほとんど緑色ですから、それをバックに赤い服を着たハイジがチラチラ走っていると、かつてはしっくりと調和して、元気がいい、という印象でした。
興福寺木造法相六祖坐像:法相宗の六人の高僧の肖像彫刻で、南円堂の復興造営事業に参加した康慶(運慶の父)一門による作品。写実的な鎌倉彫刻の力強さを表す。twitpic.com/9cruaw
批判するつもりではありませんが、私は日本のファンタジー作家と呼ばれている人たちと、何人か知り合いました。その印象で言うと、ファンタジーというにはちょっと軽率で、ただの作り物、愉快な遊びにすぎないような事柄をファンタジーと言ってしまっている。 『三つの鏡』