【青山繁晴】日本の自立を阻むものの正体、自立した大人になるための戦い[桜H25/12/13]
明日はクリスマスだそうな
明日はクリスマスだそうだ。だそうだ、というのは去年のクリスマスは、3日ほど入院していたからである。そう、ちょうど去年のクリスマスの日である。だから思い出したくも無いのだ。男性看護師が、今日はクリスマスなのに、と~ま君さんはかわいそうだとか、つまらないことで二人で場家話をして、大笑いをしながら雑談していたのだ。オレの担当だったから。オレの居住地の大病院で。手術は、レーザーで焼いてくれたのだった。なんの痛みもなくて、なんだ?こりゃと思ったくらいカルカッタのであるが、普通は耐えられない痛みなのだそうな。場所?ふふふふ。どこでも良いでしょう?結石ですよん、ケッセキ。よくあるびょー気でしたが。ま、いい体験になりましたよん。というのは、完全介護で、家の者の付き添いが要らないのだ。びっくりしたですねぇ。だから、家の者は誰も来なかったのだ。わははははは。見捨てられていたって?。。そうかもしれない。
そして、今年もクリスマスは関係がない。唯一、孫にはPresentだけはしてあげたいが、まだわからない。クリスマスというのが。孫は。それに、日本人は、今度は正月にはにわか神道とか、急激な仏教徒になったりするのだ。笑ってしまう。ちなみに、オレはそんなめったやたらにお賽銭を献上したり、柏手を打ったりしない。旅行で神社仏閣に行くことも多々あるが、オレはそういう信仰的ポーズをとることはない。先月行った熊野三山の旅行も、ただの一度も賽銭や柏手を打ったりしていないのだ。本当である。マジに信仰心が無いのだ。だから、クリスマスだっておなじことである。ポーズをとることはしないのだ。ポーズなら、信仰ではないのだから、ある意味、オレの勝手にできる。そう思うことにしているのだ。
ポーズというと、オノレを隠して、ある一定のイメージに導こうとする意図をさすと思ってきた。そういう世界で生きてきたから、なかなかオレは他人を信用しない。だから、安全に生きてきたのだろう。これはマジに云えるよん。もっとも、誰もオレを信用してくれないけどねぇ。そもそも、オレはインテリだとか、エリートだとか自分のことを自分で云っているヤツがキライだ。わははははである。オレと正反対だから。そう、オレは間違ってもインテリだとか、エリートだとかいう種別には属さない人間だからのぉ~~。(^_^)
ところがだ。そういうヤツにひっかかるじょせーもいるというのに、がっかりすることがある。騙されてしまうわけである。真実の姿が見えないからだ。イメージに騙されてしまうのだ。
イケメンの俳優に憧れているのと一緒である。
ま、これは古典にも出ている。在原業平である。
そういう存在に憧れてしまう。もっとも無理はないだろう。そういうことを繰り返して、世の中は進展してきたのだろうからなぁ。
逆のパターンもある。
悪党を気取っているヤツだ。個人的には、同じ匂いを感じるから、オレはつっぱりのおにーちゃんがキライではない。かわいいもんだと思うくらいである。また、ばーかなことをやってやがるってしか思わない。そして、そういう人間が覚醒したらこれは見込みがある。何をやっても食っていけるからだ。生きていくチカラがある。決断力がある。実行力がある。そういう人間をいくらでも見てきた。
妙な、くだらねぇ、つまらねぇ大学自慢とか、ありもしねぇ能力をひけらかしたりしない。あたりまえである。オレと一緒で最初からそんなもん持っていないからだ。
そういう奴らを教育するのを何よりの楽しみにしてきた。
方向性を持たせることが大切なのである。教育の大切さはそういうところにある。
今日はこれから大図書館に行って、原稿を書く。それだけだ。それしかできねぇのだ。つまらん人間だけどねぇ。
毎日、毎日が、穏やかに過ぎていく。これが一番でっせ。オレのような平民が、安穏に暮らしていける世の中が一番である。鼓腹撃壌の世界である。
わはははっははは。
オレ、死んだことにしちゃえば、もう出さなくていいいんだろうけど。わはははっは。柔道界ではオレ、死んだことになっているので。ふふふふ。
14:06 柳田国男の全集が宅急便で来てくださった。ああああああああ、嬉しい。早速書棚に鎮座していだいた。37冊。単行本の、古いけど立派な本である。しかも、前の持ち主は読んだ形跡がないのだ。ありがてぇなぁ。メモもまったくない。こ... fb.me/31yWEwZmI
とりあえず、年賀状は終わった。オレの分だけ。出してこようっと。ジムも行ってこうようっと。それから読書タイムだ。
さっき、そう30分ほど前に、フィットネスクラブで歩いていたら、背中の方から「と~ま君」と声をかけられた。びっくりした。一生懸命歩いている途中で声がかかったので、マシーンからずっこけそうになった... goo.gl/4hWVn9
キリスト教という言葉が、既に一つの誤解だ。突き詰めていけば、キリスト教徒は唯一人しかいなかった。そしてその人は十字架につけられて死んだ。「福音」は十字架上で死んだ。この一刻を境にして、以後〈福音〉と呼ばれたものは、既にこの人物が身を持って生きたものの反対物だった。-反キリスト-
丘の上で菜穂子が絵を描いているシーンがありますけど、あれはふつうに描くと人物が荒くなってしまうので、その部分だけ160%に拡大して、菜穂子だけ大きく描いて、縮小してはめ込んで精密にするというようなことをやっています。
「厭世」とは,世の中が嫌になったということ。当時は,戦前と戦後の新旧の価値観が入り混じっていた時代。生きる指針に困惑した純真な青年もいたことだろう。「人間が生まれ変わるなんて,そんな器用なことができるのか?」。戦争孤児を描いた『お菓子放浪記』(西村滋著)の登場人物の言。
■「沈黙とは、体と精神と魂が完璧な釣りあいをとっていることである。自己を保っている人は、葉の一枚たりとも動かぬ木のように、小波ひとつ立たない輝く池のように、つねに静かで、実存のあらしに揺すぶられることがない。」