と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

やって後悔したことは幾多もある

2013年12月18日 21時10分39秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

あちゃ~

 

 

 またやってしまった・・という後悔はいくらでもしてきた。ホンマにたくさんある。ある意味それが青春だなぁと思う。青春の蹉跌だ。誰にだってある。そういう体験は。以下に並べてみよう。バカバカしいけれども。どうせ場家の書いていることだから、許されよ。

 

1 センセに叱られたこと

2   親に叱られたこと

3   友人に迷惑をかけたこと

4    学校に迷惑をかけたこと

5    柔道の技でキタナイ技をかけて失敗したとき

6   チンピラに絡まれて、逆にお引き取りいただいたとき。

7    駅に傘をワスレテ、駅のヒトに叱られて、だったらいらねぇよ!とか云って凄んできたとき

8    「あ~たのようなヒトが好きです」と云って、世界で一番キタナイモノを見たような顔をされたとき

9   大学受験の時に、トーダイを受けたいと云った時の担任の先生のショックのとき

10   両親に大学受験を反対されたとき、フン!と云ってじゃぁてめぇで行くから、この場で勘当してくれと云ったとき

11  大学紛争のときに、ヘルメットかぶったガキ共に大学正門前で、ブルジョワは帰れと云われて、なぜか反論できなかったとき(オレこそ、真のプロレタリアだったのだぜ、苦学していたんだから)

12 学部を出てすぐ就職先(旅行会社)がめっかったのに、赴任地がチェンマイだと云われてビビってしまい、結局入社を拒否したとき

13 生涯一担任を決意していたのに、つい、管理職試験を受けてしまったとき

14 生涯一柔道部顧問を決意していたのに、ふらふらと教育行政職にはまってしまったとき

15 新聞配達のアルバイトをしていたときに、玄関から「ごめんください」と云って入っていって、「御用聞きは勝手口から入るもんだ!」と云われて世間のことを初めて知ったとき

16 片思いの同級生に3年間一回もクチをきくことができなかったとき

17 呑みたくもねぇ酒を呑んで、二日酔いのとき



 ほんとうにたくさんある。

 それもナミダと共にある。懐かしさと共にある。悔恨と共にある。あああああああああああああ、あのときあんなことをしなければ、こんなふうにはならなかったのにという意味でである。そして、いつも発する言葉は「あちゃ~」だった。しまったでは意味が違いすぎる。やっぱり「あちゃ~」である。それがふさわしい。
 

 ソレがオレらしいのだよ。まったく場家丸出しだよ。還暦を過ぎても、まだ世間のことがよくわからねぇし、女性心理もまったくわからねぇし。カネもまったくもってねぇし。相変わらずボービンだし。あ、ボービンじゃなくて貧乏だし。

 それでも一番はあれだな。あれ。

 能力もねぇのに、大学院に入って勉強をしているふりをして、この一年で4回も学会発表をして自分だけ満足しているってこったなぁ。

 恥ずかしくないのかね?

 

 わはははっははっはははっははは。

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去年の記事 弱者

2013年12月18日 20時16分35秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年
 
弱者は、世間をズラして見る

弱者にとっては世間は冷酷である。このことは身に染みている。確かにそうである。さらに、オレのような庶民はあくせく働くより他はない。いつの時代でも庶民は働くより他はなかった。室町時...
 

 

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天才の素顔

2013年12月18日 15時49分47秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 

南方熊楠流記憶法

 

 

 今日大学に来る電車の中で、南方熊楠の記憶法なる内容の書籍を読みながら来た。たいへんおもしろかった。巷間伝えられているような、大蔵経やいろいろな古典を暗記して、走って家に帰ってそのまま記憶から全文を復元できたというのは、若干眉唾ものらしい。かなりそこに近いことはできたらしいが。それにつけても、非常な天才であることは間違いない。

 インデックスをつけて、記憶のネットワークを辿って復元できたというのが真実らしい。それにしても、なかなか常人ではできないことである。こんなに博覧強記であった人はいないからだ。

 それと興味深かったのが、熊楠の英文論文と和文論文の論理性の違いであるという指摘である。周知のとおり、熊楠の英文論文は優れていたそうだ。そうだというのは、英文論文はまだ読んでいないので、知ったかぶりはできない。さすが、熊楠は語学の天才である。ところが、和文は項目羅列的なものであった。これは見たことがある。たしかにそうかもしれない。英語を十分使いこなしていたということなのだろう。外国人で、論理性の問題で、英文と和文でまったく違うという方は散見されるが、熊楠ですらそうだったのだと思うと、ここのあたりが、大変なもんだと感じるのである。

 それにノートも、基本図書の使い方もなるほどインデックス法だ。頭注がそのインデックスになっているのだ。細かい字でびっしり書かれている熊楠のノートもそうだ。項目を重点的に書いていって、それがインデックスになっている。そこからあの膨大な、まるっきり博覧強記の論文が出てくるのである。そして、それが和文論文の場合、外付けハードディスクみたいなものになって、記憶の助けになっていたというのである。なるほど、文章で書くと記憶はしっかりしてくる。それは言えている。

 繰り返しいうが、ここらあたりが、実に参考になるということである。

 抜き書きというか、ノート作りも非常に熱心であった。ここも実に基本的なことである。注目したいのは、カード派ではなかったということである。もっとも、これはオレの勉強不足であるかもしれない。知らないだけであるかもしれない。実に熱心にノートを生涯作り続けたのだ。このことは、オレもやらなくちゃならない。

 問題は、ノートを作って、記憶が後によみがえるかということである。

 そこなのだな、そこ。

 オレもできないけどねぇ。

 ただし、あまりノートばかり作っていると、文章が書けなくなる。こちらも同時進行で行うべきであると思う。読みながらノートを作っていくと時間ばかりかかるからだ。細部にこだわりすぎて、樹木の全体が見えなくなる。それに、情報量が膨大になっている。膨大な情報を全部ノートにとっていたら、死ねなくなるのだよん。2000年くらい生きていないとアカンことになる。これじゃぁしょうが無い。そういうことなのだ。

 捨てる情報があっても仕方ないではないか。

 ま、いろいろなことを考えましたよ。

 今朝から。

 

 じゃぁ、これにてブログからは退散いたします。

 一応ですが。

 

 

 (^_-)-☆

 

※「南方熊楠記憶の世界 記憶天才の素顔」 雲藤等著 彗文社を参考にして書きました

 

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勝谷誠彦ザボイスそこまで言うか!_2013年11月04日

2013年12月18日 12時40分45秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

勝谷誠彦ザボイスそこまで言うか!_2013年11月04日

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12月17日(火)のつぶやき

2013年12月18日 07時29分20秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

現在の在籍校である城西国際では、オレのことを知っているヒトはまったくと云っていいほどいない。クラスメイトは今の段階では2人のみ。こいつはありがたい... blog.goo.ne.jp/tym943/e/e0966…


今日は、大掃除の結果、段ボールで4箱雑書を捨てた。そして、数学の参考書を買ってきた。105円である。カードになっていて、なかなか便利だ。ほんとうに頭を切り換えるには数学は最高である。理系ではないから、なかなか困難だけどねぇ。チャ... fb.me/2Aj8sbkgY


居住地の大図書館にいる。そろそろ帰ろうかなぁ。駄文は、一つのテーマだけに絞ってある。途中から方針を変更して、あれもこれもとは書いていない。他のテーマは、トーンダウンしている。ま、これでいいか、これで。今日はこれから塾があるから。... fb.me/2rXoPcIhU


【実話】お父さん お母さん ありがとう goo.gl/BQXD9p


■「愛について学んだのであれば、神について学んだことになる。」【フォックス族】

と~ま君さんがリツイート | RT

堀越二郎はよくしゃべる人間ではないですから、そうすると、やっぱり存在感が大事なんです。思い入れたっぷりに演技されるよりも、ボソッとしゃべってくれたほうがいいんですよね。それで、庵野がいい、と。ほんとによくやってくれました。
amzn.to/18uWSn6

と~ま君さんがリツイート | RT

体罰で教員処分、過去最多の2253人 実態把握進む - 朝日新聞デジタル (asahi.com) t.asahi.com/di6r

と~ま君さんがリツイート | RT

「好きな御家人」がいる時点で普通の人ではない気がする(笑)。>RT

と~ま君さんがリツイート | RT

鎌倉時代オタに好きな御家人を聞かれた時……と続けようと思ったが、即答できる時点で、あまりにわかではない事に気がついたので、とりあえず「お、おぅ」と言われて会話を終わらせたい場合は三浦胤義と答えてみればいいんじゃないかな。

と~ま君さんがリツイート | RT

■「われわれは力あふれ、強く、戦い方もわきまえてはいるが、望むらくは闘いなどしたくはない。」【チェロキー族】

と~ま君さんがリツイート | RT

沈黙というのは言い淀んで黙ってしまうという方の黙るではなく、ある一定のものを表しておきながら、何かを意図的に語らないという意味です。そうしておいて読者の中にそれが湧いてくるのを待つのですね。そういう意味で私は文学は「沈黙」の芸術であって「語り」の芸術ではないと言いたいのです。

と~ま君さんがリツイート | RT

オレの今後を指し示して、くださっているようだ。ありがたいねぇ、こういう情報は。武蔵野大学の時に出会った86歳の大先輩と同じ感動です。オレも、まだまだだよ。「やらなかったこと」の後悔だけは持ちたくないです。マジに。 fb.me/1W1gBU50N


さっき帰ってきた。塾から。なかなかである。良き体験ばかりである。まさに「やらなかった後悔」を彼ら、彼女らにさせてはならないのだ。まったくだなぁ。まったく。


養成課程ある国立大の全部に教職大学院を ‐斎藤剛史‐【Benesse(ベネッセ)教育情報サイト】 benesse.jp/blog/20131128/… @benesse_kyouikuさんから


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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/