と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

柔道も中途半端病であるな~

2014年11月01日 22時28分21秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

一生ものと云えば、柔道も死ぬまでやっているのだろうな~

 

 

中途半端ということになると、柔道もそうである。15歳から始めたから、なんとなんと50年近い。まぁ~飽きもせずよくやりますね。

今晩は、柔道教室にも行ったのである。そうなのだ。もうハラは決まったから、ちょっと路線を変更したからである。元に戻るのである。健康第一、身体大事である。

能力も髪の毛も無いから、柔道も才能もパワーも無いのである。ナイナイのパーである。武道家に憧れた時もあったが、完全にこちらも(『も』なのである)中途半端病にかかっている。得意技も素人同然である。まったく指導者ズラなんかできやしない。50年近くやってきて、まだ四段である。31歳で取ったから、それっきりである。腕力もカネもないのだから、おなごにもてても良いはずなのにダメである。もうどうしようもない。中途半端なのである。なんでもそうであったから自業自得である。

研究者にもなれないし、学者は当然なれない。こちらも中途半端である。Wifeが怒るわけである。道楽じじいって。ボクは基地外じじいだと自分で思っているけど。わかる。実によくわかる。こんなじじいがhusbandでいたら、即離婚である。

ま、それでも今日は、柔道教室に行ってきた。夜の7時からである。9時まで。そうなのである。ハラが決まったからである。元の生活に戻るだけである。

最近yogaをやっているから、準備運動は自分だけyogaをやっていた。ま、柔道独特の準備運動はボクのような劣等生でもできるのであるが、なにしろすべてを犠牲にして、この3年間原稿を打ってきたから身体が硬くなっていて、とうとう猫背になってしまった。腰も痛い。そういうときはyogaである。呼吸を楽にして、やる。

柔道の創始者である嘉納治五郎センセの全集も持っているが、こういう心境で柔道をやりなさいということなのだろうなと思った。とらわれない心、無心、静座をしてひたすら自他共栄を、あるいは精力善用を思うのである。体力が無くなったけど、こういうlife styleならボクでもできそうな気がするからである。

なんちゃって、分かったようなことを書いていていいのかね?

ボク如きが。

柔道だって弱いし、素人である。オリンピックにも出たことなし。厳しい練習にも耐えられなかったし。高校から始めたのだけれども、かなりの進学校であったから、運動は剣道を除くと弱かった。どうせ負けるんだからと、奇襲戦法ばっかりやっていたのである。絞め技とか、関節技とか、今でいう総合格闘技みたいなものをやっていたのである。市内の私立高校の柔道部がボクの高校と対戦が決まると喜んだくらいである。必ず、勝てるからである。あっちが。(^0^)

今日は、チューボーともやった。一年生。

結構強い。

マジに戦った。わはははっははっははっははは。

そしたら、相手をしてくれたおにーちゃんがのたもうた。

「けっこう強いじゃぁないですか」

だって・・・・・・・・・・・・・・・

4歳くらいから面倒みてきたおにーちゃんに、云われたのである。

 

あああああああああああああああああ、一生柔道をやるしかないのか。

中途半端に。

ボクらしいなぁと思った次第である。

 

 

(;_;)/~~~

 

 

 

 

 

 

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無いのは「能力と髪の毛」だ

2014年11月01日 14時21分19秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 

一生「自称論文」書きをしているのだろうなぁ

 

 

さ、朝である。5:21である。今日は、3時に起きて、いろいろカードを作ったりしていた。そして、はたと気がついた。そうである。今日から11月である。とうとう11月である。学会の勉強会で発表が今月はある。楽しみにしている。ボクがやるからである。修士をとった母校でやらせていただく。
先生方にいろいろとご指導をいただけるからである。


所詮素人がやっているから、勉強になるのである。年齢の差では無い。マジに。伊能忠敬先生は、この点で実にすばらしかったと思う。憧憬の人である。(^-^)/

そうえいえば、ボクは一生論文書きをしているのだろうなぁ。人に教えるのはもう定年でおしまいになったから、いつまでも、チャレンジである。終わりのない旅でござんすよん。好きだねぇ。ものにならなくてもなってもどっちでもいいから、チャレンジしていれば、年もとらないというもんだねぇ。

そして、永遠に中途半端である。それでもいいのだよ。書かせていただけるチャンスがあれば、チャレンジしていく。それが余生を送るうえでの、キーワードである。評価のために書いているわけではないからなぁ。そんなことを云ったら嘲笑されるよねぇ。まったく、まったく。今更、誰にごまをするというのだろうか。無駄である。無駄なことは一切しないことである。

さらに、自らその「書くチャンス」というのは求めていくべきである。昨日と今日、今日と明日は同じでいいというただ安穏にいていればいいというのでは、寂しいですからなぁ。なんと云われてもいい。バカとか基地外とか、なんとでも云いたい方には云わせておくべきである。気にしないことである。他人の云うことは、聞こえないからである。しかも最近耳が遠くなっておる。実に都合がいい。「云いたいことは言い放題」である。「書きたいことも書き放題」である。オノレの云いたいことは云っている。都合の悪いことと、他人からの悪口が聞こえないのである。それでいいのである。

利益誘導型で、***にしてやるから月給15万くらいで働かないかと云われても、だまされないことである。そんなウメぇ話があるわけもないけど。金をもらったら、海外旅行に行けない。国内旅行も厳しくなる。死ぬまで働くなんて御免蒙る。今様でいうところの「遊びをせんとやうまれけむ」である。

10:34である。

図書館にいる。そうなのだ。学会勉強会で発表をする資料を作っている。材料は充分にある。これを使って縦横無尽に書く。チャレンジである。ベネッセである。(分かるかなぁ、この洒落)

無いのは「能力と髪の毛」だ。

 

やるしかないか。。。トホホ。

 

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10月31日(金)のつぶやき

2014年11月01日 05時35分25秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

さ、今日からは現実に戻ろう。うかれれている場合ではない。明日から大学祭である。学部生には楽しみなのだろうが、ボクには関係がない。ちょっと図書館に行ってそれから佐倉の国立民族博物館に行く。夜はボク... goo.gl/pi4oA7


幸福の科学 大学認可のために文科省職員に対して脅しのような発言 - ライブドアニュース fb.me/7aPjjQhnu

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歴博の研究資料が買いたかったが・・・・トホホ

2014年11月01日 04時23分02秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

おバカキャラが、遊んでいる場合ではなかったなぁ~♪

 

 

佐倉の国立歴史民俗博物館は実に勉強になる。昨日、一日中いたからである。距離は40キロくらいであった。愛車で行った。当然、一人である。つきあってくださる方は誰もいないからである。わはははっはである。

こんなに深い勉強が出来るところは日本広しといえどもなかなか無いのではないか。しかも、以下のような講義もあるのである。今日である。しかし、定員になったのでボクは行けない。申し込みできなかったからである。

 

 

第95回「古代東アジアの文字文化交流」

開催要項

日程        2014年11月1日(土)時間         10時00分~15時00分

場所        歴博講堂

定員        260名(先着順)※定員満了につき、申込受付は終了させていただきました。

参加費   無料

主催        国立歴史民俗博物館

 

 

一流の講師である。聴きたかったが、普段からチェックをしていないから締め切りに気がついていないのだ。しかもだ。呆けているから、温泉なんかに行ってる。後悔と慚愧と、劣等感でさいなまされているだけの、じじいである。やれる範囲でやっていくしかない。またの機会があるだろう。売店で、歴博の研究紀要が売っているから、こちらも毎回楽しみで買ってくる。一冊買ってきたが、実は大原幽学の研究紀要(資料)で、日頃尊敬している大学教授のS先生の論文が掲載されていたので、こちらもほしかった。旧干潟町にある幽学記念館の学芸員である先生の論文も出ていた。残念ながら、持ち金が乏しくて買えなかった。次回までの楽しみにしておこうと思っている。なにしろ年金生活者には大金である。研究費などどこからも出てこない。これまで大学へ行かせていただいて、感謝するしかないだけの基地外じじいである。

道楽もいい加減にせんかい!

亡父がどっかで叱っているような気もするよん。まったくどうしようもない。ちょっとホントに、いい加減にせんかいである。まったくである。反省だけは、昔から得意だったけど、これほどでたらめな生活をしていると、罰があたりますなぁ~。歴博に行くと、論文・資料等のレベルが高くて参ってしまう。これだとボクは、100歳まで学生とか、生涯学習者とかやっていなくちゃ基本すらマスターできないことになる。道遠しなんていうレベルではない。凄い世界に足を踏み込んでしまったものである。現場の教育実践人だったから、基礎ができていないなんていう言い訳は云っちゃならない。凄い世界はどこにでもあるからだ。英語の世界もそう。先月までクラスメイトだった方々も大秀才である。トエ**とかなんとかというtestで850もとっているのだ。そういう方々がボクの周囲にはごまんとおられる。マイッタね。学問の世界は厳しいものであることよ。ボクなんか、その片隅にすら置いていただけないのだから話にならない。古文書もろくすっぽ読めない。碌なもんじゃないのである。歴博のところどころにある古文書コーナーでも四苦八苦してきた。都合5時間はいたけど、歯が立たない。テキスト入力専門のポメラという機械で、ノート代わりにいろいろ打鍵していたが、打てば打つほど、なんにも知らないことに気がついて、がっかりした。

だから、勉強するしかないのである。

就職するためにやっているのではないから、邁進するしかないのである。ただの基地外である。集中力だけはあるから、昼食も喰わないでポメラで打鍵していた。それでいいんである。ボクごときが、周囲の方々にご迷惑をおかけしないためには、ずっと生涯学習をやっているしかないんである。郷土史の方々にも、在籍大学の方々にもご迷惑をおかけしてはならないのである。そのためには、必死でついていくしかないのである。乏しい能力と闘いながらである。

遊んでいる場合ではなかったのだなぁと思う。

熊と一緒に温泉なんか入っているなんて、大いなるおバカである。(^0^)

 

 

(;_;)/~~~

 

 

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/