あなたへ
さっきまで、NHK大河ドラマの「義経」を見ていた。私は、こういう中世の時期の映画が好きで、いろいろと楽しんでいる。なんでも見てみようというのが、私の主義である。とりあえずは楽しもうというstyleである。こういう作品はいろいろな人がいろいろと批評をする。しかし、それはそれで参考にはするが、鵜呑みにはしない。ま、それもありかと思うだけであって、楽しめればいいというのが私の根底にある。
今日は、「あなたへ」という映画を楽しんでいた。昨日民放で放送されていたのを録画したので、見ていた。録画の方がコマーシャルを飛ばせるのでありがたいからである。
さすが、偉大なる高倉健さんの映画である。それに監督の降旗さんも。台本もいい。珠玉のような台詞がたくさんある。
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ビートたけし師匠が、車上荒らしの泥棒に扮していた。退職した中学校の国語教師という設定であった。それが山頭火が好きであるというのである。笑った。実に笑った。
目的のあるのが旅。
目的のないのが放浪。
旅は、芭蕉。
放浪は山頭火。
また、こんなことも云った。
帰るところのあるのが旅であるとも。
帰るところがなかったら、これから探すことだとも。
なかなかの台本である。こういうことがすらっと出てくるというのが、降旗監督の秀逸なところである。しかも、高倉健さんも刑務官を定年で退職して、再雇用をしている身である。
なにを云いたいのかというと、私もまた定年で退職した人間であるということである。さらに云えば、ふるさとを捨てて、ずっと旅を続けている。また目的のない放浪もしている。旅とも、放浪ともどっちとも云えないのである。山頭火ばりとは云わないが、似たようなものである。
あてどもない時間を送っているだけである。情けないけど、そういうことである。もう、私にはなにもない。無一物である。カネもなければ、髪の毛もない。ついでにいえば、目的もない。そういう覚悟がなければ、私のやってきたような仕事はしないほうがいい。現役時代のことである。
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田中裕子が妻の役を演じていた。
そして、死ぬ。散骨をするために、妻のふるさとである長崎の海に健さんはキャンピングカーを運転しながら行くのである。
劣情的なラブシーンなんぞはいっさいない。あんな体力勝負の誰でもやれるような馬鹿馬鹿しい自称演技はまったくない。だいいち、映画のレヴェルが違う。そもそも健さんにそんなあふぉ~なストーリーは似合わない。
そして、印象的なのが、散骨を終えて、海を見ながら健さんが佇むシーンである。夕日が沈んでいく。夕日も、人生も沈んでいくのである。時間は、人それぞれに流れていくということである。
いい映画を見た。
ありがたいかぎりである。