最も身近な人が一番優しくて、厳しいのである。
生まれてこの方、優しくしたことはあったけれども、優しくされたことはなかった。だから、弱いのである。優しくされると。本当である。私の周囲にちらばっていたのは、屈強なオトコども、つまり柔道マンだけであったから、油断していると寝首をかかれる。絞め技あり、関節技あり、投げ技あり、寝技ありで油断も隙もあったもんじゃない。さらにいえば、柔道マンは武人であって「もののあはれ」とか、趣というようなことを云ったらバカにされるような気がしていた。事実そういう人間は周囲にいなくて、母校の高校柔道部の連中は、全員が地方国立大学の工学部とか文理学部の理科系に進学していった。あ、一人だけ、仙台の旧制帝国大学の医学部に現役で進学していったのがいたが、あいつは応援団長であった。ま、そういう程度のレヴェルでしかないのだが、そもそも文学の香りとかはまったく無縁であったのである。だから、愛だの、恋だの、ナンパだのという世界とはまったくガキのころから無縁であったのである。
そして、大病もしたことがないから、車いすとかも乗ったことがなかった。ところが、無理矢理乗せられた。本人はまことに元気で歩けるのに乗せられてしまった。拒否してもダメだとドクターが云われるのである。こいつは困った。ぴんぴんしているのに、歩くなというのである。理由は書かない。
そんなことより、看護師の若い女性に車いすを押していただきながら、実に優しくお声をかけていただいたのである。若い方である。私の娘よりも確実に若い。こんな私のような汚いじーちゃんを面倒みてくださるのである。感動した。感謝した。まったく。普通ではこんな体験できない。頼んでもできない。無理矢理頼んだら、セクハラじじいになってしまう。それだけは嫌だから、絶対やらないが。
「すみません」という言葉を私の方から何度も云った。
看護師の声は、調子も実にやわらかい。安堵できるのである。これがポイントである。
私のようなドスのきいた声ではないのだ。当たり前である。
「なにをしていらっしゃるのですか」
とも聞かれた。
「ただの年金生活者ですよ」
と答えた。
そんなたわいもない会話をしながら、生まれて初めて乗った車いすであちこち連れていっていただいた。東洋一と云われる13階建ての大病院が私の居住地にはある。最新設備と優秀な医師が100名以上おられる。最上階からは、九十九里海岸が眺望できてなかなかのものなのだ。太平洋の青さが目にしみる。そして、外は、あたたかい日差しが降り注いでいる。なんだか、dramaのようなシーンであった。老いさらばえたじーさんと、看護師がゆっくりと院内を移動しているのである。彼女は、笑顔の素敵な実に良い顔をしておられる。看護師というのはこういう方がふさわしい。
ありがたいものである。
そう云えば、いろいろとこれまで病院には世話になったが、どの病院でも看護師の方は親切で、優しかった。職業意識がさせるものであろうが、それを抜きにしてもありがたかった。入院もいろいろしたから、体験もいろいろある。まず間違いなくそういう看護師の方がいたのである。男性看護師もそうであった。一昨年入院したときは、クリスマスに家庭にいられない私のことをエラク心配していただいたっけ。孫がいるのかというような会話になり、楽しみだったでしょう?とか聞かれたからである。
もしかしたら、人間の持つ汚さとは無縁なのではないかと思ってもいた。
現役時代は、まことに元気で、剛力だけで生きてきたから、人間の弱さというものまで考えが及ばなかった。それは私の弱点であった。今は違う。柔道をやったせいもあって、あちこちガタがきている。関節も痛んでいる。事実、柔道で両腕の骨折を二度している。これまでに。
それでバランスがとれてきたのであろう。たそがれてきたんであろう。夕方になってよく見えてないからたそがれというのだが、逆に私は世間のこと、人間のことがよく見えるようになってきたと感じている。それが家庭を顧みないで、ひたすら働いていたということの反省につながっている。一番近いのが家庭である。家庭こそ基盤である。生きていられるのも家庭があってこそである。健康で生きていられるということが基礎である。
地位や、名誉や、欲望や、資格や、学位なんていうものを求めてもなんになろうか。健康で、生きていられるだけでいいのである。家庭も大事にしましょうぜと云いたい。そういう小さな幸せが基盤である。
最も身近な人が一番優しくて、厳しいのである。
そんなことを今月は感じた。
やっとである。やっとそう感じるようになったということである。ずいぶん、私も大人になったもんだと思う。もう遅いけど。
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