木曜日、待ってます
昨日、久しぶりにアルバイトでやっている学習塾に行った。二週間ぶりである。ちょっと体調を崩していたので、遠慮していた。全国チェーンであるから、私のようなじいちゃんはもう不要であると云われかねないと思っていた。クビだと云われかねないとも。それならそれで仕方がないとも考えていた。たいした能力があるわけでもないし、英数国をちゅーぼーに教えたり、英語と国語を高校生に教えたりしていいのかという気持ちは今でもある。あるが、正直云って趣味でやっているという方が正解である。楽しいのだ。まことに楽しい。本当に生まれ持った教師向きのcharacterだとしみじみ思った。昨晩も。
数学は、高校受験レヴェルならまだできるので、これもまた楽しい。分からない問題が出てくると、私もムチュウになって解き方を考える。これは実に楽しい。もっとも、これも大学受験となると理数系のアタマは最初からないから、大学受験の数学はパスする。せめてもの私の良心である。大学の理学部とか工学部に進学したいというのが塾生にいるからである。阪大にも今年現役で進学していった塾生がいるから、とてもじゃないが、私ごときに対応はできない。
しかし、楽しいのはそんなことではない。
体調を崩していた私が受け持っている中学3年生の男子に
「大丈夫でしたか」
と聞かれた。
返事にならないようなことをクチの中でごにゃごにゃとつぶやいていたら
「木曜日、待ってます。お願いします」とのたもうたのだ。
私を指名してくれている男子生徒である。国語専門である。飛躍的に成績が伸びている。楽しみな生徒である。管理職業務をしていた現役時代にはついぞなかった経験である。こういうのが教師としての楽しみであるのだ。だから、私は実にすばらしい職業を選んだものだったと思っている。退職したから、もうできないけれども。
塾の方は完全にアルバイトで、一週間にフタコマしかやっていない。全部で3時間しかやっていない。こっちが本業だと思っている友人知人もたくさんいるが、そうではないのだ。完全アルバイトで、しかも趣味である。ふざけるなと叱られたこともあった。もっと働けということであった。それはそうだろう。私もそう思うからである。しかし、雇ってくれるところがないのである。笑ってしまうくらいにない。条件を付けているからだろうと云われたこともあるが、まったくない。どんなに遠距離でも行くつもりである。しかし、そんなオファーはまったくない。Amazonから時々古本で専門書を買うのに、その資金にしている程度である。それもたいした専門書を買っているわけではない。しがない素人郷土史愛好家である。お笑い草である。
「とーま君センセは、何曜日にいるんですか」
と、突然聞かれた。昨日担当した女子中学生である。3年生である。英語を教えていた。今度友人を連れてくるのだという。塾に。私に逢わせたいのが3人いるという。ただし、塾は有料である。入塾しないといけない。そういうことを話していたら、それでも進学で迷っている友人にこの塾を薦めたいと云ったのだ。ありがたいものである。高校を下支えしているのだ、これでは。こんなことは高校の先生方は誰も知らないだろうなぁと思った。云うつもりもないが。もっとも、高校の先生方は、私のような完全過去の人のブログなんぞ誰も見ていないだろうから私の方は気楽なものである。
そういえば、非常勤講師をさせていただいている大学の方でも、
「とーま君の講義は後輩にお勧めです。」とも授業アンケートに書かれていたっけ。具体性に富むし、これから教員になろうとしている大学生にはいろいろと参考になるからであろうと思っている。指導案を書く前の、授業の組み立て方というか、方法論、教師哲学というようなものをこれでもか、これでもかと提示し、議論するからである。道徳教育、国語教育、情報教育という分野で、現役時代はあちこち論文を書いてきたから貯金はたくさんあるのである。
一番ないのが、専門の中世文学である。
ま、結論は出た。もう諦めた。やはり文学での学位はかなり困難であった。立教大学だって、課程博士なんぞ100年出したことがないのである。ドイツ文学だけど。
漱石だって、博士を拒否したではないか。
もっとも漱石は、天下の名門校東京帝国大学だけれども。
いろいろ考えることが多かった11月であった。
(^_^)ノ””””