「人生の、あるいは世の中の諸相に流されることなかれ!」。くだらない出来事が多すぎる。そんなもんに巻きこまれそうになったから、余計にそう思っているのだ。
千葉往還でタゴールをずっと読んでいた。久しぶりに電車で郷土史の会の総会に行ったからである。タゴールは現在7冊目。今日も県立図書館からタゴール著作集を借りてくるから、ドンドン増えて行くことになるが。読書体験としては。
なにが良いのかというと、知ってのとおりタゴールのレベルの高さに魅了されているからである。知性もそうだし、第一人格が高い。品性が違っている。ボキのようなくだらない庶民とは。
ボキは、時々オノレのくだらなさにほとほと愛想が尽きてしまうからだ。これまでどんなに悪さを重ねてきたであろうかと思うからだ。ヘラヘラ・ペチャクチャとくだらない冗談ばかり言って、周囲の方々にご迷惑をおかけしてきた。ゼニの亡者でもあった。今は亡者から、文無しになったけどねぇ。年金暮らしだから(^_^)。
「ギタンジャリ」という詩集を読んでいたのである。電車の中で。その前に医師の鎌田實先生が、「タゴール 死生の詩」という本を推奨しておられたので読んでいたのだが、これが面白うてならぬ。さすがに医師がムチュウになる本である。死生の問題を扱っているからだ。
ニンゲンは誰でもミンナ死んでしまうのだから。乏しいゼニもあの世までは持っていけない。土地も家も滅びる。いつまでも生きているわけにはいかないのである。
こいつを忘れているから、人生万般のトラブルが起きる。
金銭がらみのトラブルなんて(例えば離婚、相続、借金、サラ金等々)、いつまでも生きていられると思うから発生するのである。
大学進学の高校生もアルバイトで教えているが、大学進学だって通過点である。人生という長いスパンから見たら、ほんの一瞬である。
要するに実力がなければ、どんなに立派な大学を出ても勝負にならない。
親分子分も関係ない。ボキは、新聞配達してやっとこすっとこFラン大学を出た愚昧な男だったが、勝負だけはできた。人生の生き残り戦争で。親分もいなかったし、子分もいなかった。先輩にかわいがってもらったという記憶もない。自分で人生を切り開いてきたのである。定年まで勤め上げることができたけど。ありがたいことに。
Fラン大学だから、学閥の恩恵を受けたことも一切ない。当たり前でアル。エリートとはほど遠いからだ。
ま、そんなこんなで「ギタンジャリ」を読み終えた。そして、千葉市市民会館でノートをとってさらに読み返していた。「ギタンジャリ」の方は、Amazonから新本で買った自分の本である。こっちを電車の中では読んでいたのである。
そして思った。
「人生の、あるいは世の中の諸相に流されることなかれ!」ということをである。
くだらない出来事が多すぎる。
そんなもんに巻きこまれそうになったから、余計にそう思っているのだ。
すべては滅亡する。
この観点から考えることである。
組織もニンゲンもである。
こだわりなんか持っていたって、すべては無くなってしまうのである。
哀れな生き方だけはしないことである。
ゼニだけを勘定しながら、幽鬼のように生きないことである。
多彩な趣味を持って生きていきたい。
しみじみそう思った。大都会千葉市で。
今日は一日ヒマである。タゴールをずっと読んでいるつもりである。アルバイトしている方の某大学にも原稿は送ったし。課題・宿題は終わったから(^_^)。
郷土史の会に投稿してみたい原稿をちょっと書き始めるけど。これもまた趣味である。趣味。
趣味と言えば旅行。明日は、老人大学時代のお友達とバス旅行に行ってくる。川越である。楽しみである。唯一それだけである。老人大学の旅行クラブに入っているけど、良い思い出になっているから。
Gymにも行かなくちゃ。昨日行けなかったので。
(^_^)ノ””””