「かるみ」を求めての旅をしてきちまったよん
バルト三国とロシアをめぐってきた。実はドストエフスキーが執筆のために住んでいたサンクトペテルブルグに、かなり興味があった。学部の時の卒論で扱ったからである。苦学していたから、相当入れ込んでいた。
ドストエフスキーにである。深刻で、虚無的である。大都会サンクトペテルブルグで生きているラスコリーニコフや酔漢マルメラードフに入れ込んでいた。
それにサンクトペテルブルグのどんよりとした空は、まさに虚無的に過ごしている青年にはうってつけの舞台である。そうなのである。ボキも現実に押しつぶされてしまいそうになっていたからである。仕事と学業の両立は確かに苦しかったからだ。マジに。
サンクトペテルブルグ生まれの現地ガイドのお嬢様が、いみじくものたもうていた。鬱が多いのだそうだ。このお嬢様日本語学を学ばれた俊秀で、かなりの美人であった。この美人、なんと岩手にも山形にも行ったことがあるという。ボキ好みのロシア美人であった(^_^)。
いろいろと文学の話をさせていただく機会も得た。さすがに本場である。可能ならば、観光旅行なんかではなくて、ドストエフスキー博物館にも行きたかった。しかし、この旅行のカネを出しているのはボキの古女房ドノである。文句は言えない。言えないが、きっかけを狙ってはいた。タクシーでドストエフスキー博物館に行きたいと思っていたからである。
ドストエフスキーの住んでいたアパートも見た。というよりバスで通った。彼の学んだ学校も見てきた。しかし、あえなく頓挫してしまった。夜は、ロシアの民族衣装を着たレストランでロシアの家庭料理を食いたいとなって、仲良しになった数名とタクシーでそっちの方に出かけたからである。ホテルのレストランではないのだ。自費でオプションである。こういうチャレンジというのは、女性陣はやる。積極的にやる。
とうとう、ボキはドストエフスキーを断念してしまった。
ま、いいか。また来るかも知れないではないか。
これもまた「かるみ」の連鎖である。
そうなのである。
ボキは、成田発の飛行機でフィンランドに行くときにKindleで、長谷川櫂氏の書いた「奥の細道をよむ」(ちくま新書)を持参していって読了したからである。さらにご丁寧に、持参していったB6のマメノートにエッセンスをメモしてしまったのである。フィンランドに着くまでにやってしまったのじゃ。
で、思った。つまり、芭蕉は誤解されているってぇことを。
あまりにも深刻で、宗教的な心境に深まりがあって、かの有名なる「古池や・・・・」の俳句も誤解されているというのである。長谷川櫂氏の論法は最近知ったのであるが、いちいち納得できたのである。古池が先にあって、読まれた俳句ではないと言われる。蛙飛び込むという「音」が先にあって、それから芭蕉の心の中に古池が登場してきたのであると言われる。
これはこれは。
俳句について、またまた新しいことを教えていただいた。そう思ったのである。
さらにある。
芭蕉の心の中にある「かるみ」である。芭蕉の俳句は、そもそも俳諧の伝統を受けていて、「かるみ」をモットーとしていたはずであるというのである。
これも目を開かれた思いがした。
で、ドストエフスキーである。
実際に、サンクトペテルブルグの町並みを見て、ボキは自分の心の中に、ドストエフスキーの「かるみ」を感じてしまったのである。
言葉はその後についてきていたのではないのかと思ってしまったのである。
こいつは大いなる発見であった。
今、人生観が変わるほどの感動をしているのだ。
なにも深刻ぶって、ニヒルに生きているばかりがニンゲンではない。
説教クサイジジイであっても仕方なし。ジジイのブログだからと言っても、説教じみている御仁のもあるが、あれではいかがなものかと思うからである。
「かるみ」のあるおもしれぇジジイでありたいのじゃ、ボキは。
もうなっているってか?
わははっはははっはははっははははっはは。
ヾ(*´∀`*)ノ