これも良かった。
蔵の並ぶ風景は、香取市(旧佐原市)とも相通じる趣があって、なかなかのもんでしたな。
あまり江戸近世史は興味がなかったけど、これでまた興味関心がわいてきたから。
今回、これでよかったのかも。
(^_^)
これも良かった。
蔵の並ぶ風景は、香取市(旧佐原市)とも相通じる趣があって、なかなかのもんでしたな。
あまり江戸近世史は興味がなかったけど、これでまた興味関心がわいてきたから。
今回、これでよかったのかも。
(^_^)
行って良かった喜多院。
川越には何度も行ったけど、喜多院だけはご無沙汰していたから。
良かったですな。
まったく、悪業三昧の生き方を反省してまいりましたよん。
どうせ独居老人ならば、過去のことはどうでもいいからだ。だれでも基本的には独居老人だ。おしめで産まれて、おしめで死んじまうのである。
憂愁という。老後のことも言うらしい。老いて、なにもすることがなく、世間から相手にされず孤独なままに生きるしか無い場合に。
昨日は図書館でタゴール著作集をあちこち読みながら、そんなことを考えていた。最近、ずっと続く人間関係なんてあり得ないということを体験したからである。一人の友人を失ってしまったのだ。親戚(姻族も含む)・友人・知人関係も危ういものである。もっとも長年連れ添った女房ドノでも離婚されてしまうのは可能性としていつでもある。だから人生はなにが起きるかわからないのである。
もし、そうなった場合ボキはどうするのだろう。独居老人として生きていくしかないのであろうか。長女の住んでいる遠隔地に移住して、一人アパートかなんかで生きていくのかって思った。思ったがそんなことは不可能である。思っただけであったが。
孫はいるが、孫だってそんなジジイをていねいに扱ってくれるわけもない。邪魔なだけである。そもそも誰かの世話にならなければ、ニンゲンは生きていけないのだが、それを当てにしていちゃアカン。それが当然だろうという傲岸不遜な生き方では。
ニンゲンはそもそもが孤独なのである。一人で生まれて一人で死んでいくしかない。このことを理解していないと、ちょっとした人間関係のトラブルで(*_*) マイッタとなる。
ボキは、もう仕事をしていないから仕事がらみの人間関係はまったくない。ないから気楽なのである。ま、相手にされていないというのが正解なのだが。それも詮方なし。そういう生き方をしてしまったのだから。
結局独居老人になっていくのだ。誰でもである。家族がいても、親戚がいても、友人知人がいてもである。基本的にはミンナ独居老人になるしかないのである。
一人の知人がいる。ボキよりちょっと年下である。これまで一度も結婚をしたことがなく、家族がいない。両親も亡くなっている。その彼と時々会うことがある。家にもおしかけていく。なんとなく気が合うからだ。パソコンのことで話をしたり、旅行の話なんかをすることがある。親の残した立派な家に住んでいる。宅配の弁当を持ってきてもらって、それを食っている。
実は、今日これから彼と彼の仲間と一緒に日帰りバス旅行に行ってくる。楽しみにしていたのである。そういう人間関係を持てたということが、実にありがたい。仕事をしていた時期には絶体にあり得ない人間関係であるからだ。
世間が狭かった。仕事だけやっていればいいというのでは、世間はドンドン狭くなっていく。それでもいいというのなら、それでいい。自己満足していればいいだけである。
ううううううううううううむ。
ボキは、その知人によく言われる。「と~まクンは、絶体に前の仕事の話をしないなぁ」って。「ホントに、***という役職をやっていたのか?」とも言う。特別にボキの前歴を得意そうに言った覚えは無い。自慢できるような仕事をしていたわけもでもないからだ。ボキは前にどんな仕事をしていたのかということは言わない。聞かれても言わない。聞かれたら、今やっているアルバイトのことを言う。単年度契約のアルバイト二つである。
噂で知ったらしい。ボキのことは。確認されたから、仕方なく認めたのだったが。それでもボキは、前職のことは言わない。言いたく無いからである。思い出したくもない。思い出すとアカン。悪業三昧であった時代を思い出すと、それこそ死んでしまいたくなっちまうからだ。慚愧の思いとはよくも言ったりである。
だから、かつて生徒さんだった方々から***と当時のボキの肩書きで呼ばれると卒倒しそうになっちまう。そうなのである。そんな資格はないからである。
こうやって打鍵していても自己嫌悪に陥る。だからこれくらいにする。
*
前しか見ない。
ボキはそう思っている。
どうせ独居老人ならば、過去のことはどうでもいいからだ。
だれでも基本的には独居老人だ。
おしめで産まれて、おしめで死んじまうのである。
憂愁なんて言っていても、誰でも死んじまうのである。憂愁なんてオノレが永遠に生きていられると錯覚しているから考えてしまうのである。
今が大事だ。
さ、これから出かける。
ルンルンと。
(^_^)ノ””””
「人生の、あるいは世の中の諸相に流されることなかれ!」。くだらない出来事が多すぎる。そんなもんに巻きこまれそうになったから、余計にそう思っているのだ。
— Waishan Richunan (@tym943) 2017年6月11日 - 06:58
千葉往還でタゴー... goo.gl/8HXlk0
北朝鮮が「超強硬対応措置」 トランプ米政権の制裁圧力を非難 - ライブドアニュース fb.me/1Nm7XFRfs
— Waishan Richunan (@tym943) 2017年6月11日 - 07:50
幻のサメが次々に出没 専門家「地震の前触れとして警戒すべき」 - ライブドアニュース fb.me/1x3SxTkiZ
— Waishan Richunan (@tym943) 2017年6月11日 - 07:50
『維摩経』 (ゆいまきょう、梵: Vimalakīrti-nirdeśa Sūtra ヴィマラキールティ・ニルデーシャ・スートラ[1])は、大乗仏教経典の一つ。別名『不可思議解脱経』(ふかしぎげだつきょう)。
— Waishan Richunan (@tym943) 2017年6月11日 - 13:56
サンスクリット原典[2]と、チベット語訳、3種の漢訳が残存する。漢訳は7種あったと伝わるが、支謙訳『維摩詰経』・鳩摩羅什訳『維摩詰所説経』・玄奘訳『説無垢称経』のみ残存する。一般に用いられるのは鳩摩羅什訳である。
— Waishan Richunan (@tym943) 2017年6月11日 - 13:56
維摩経は初期大乗仏典で、全編戯曲的な構成の展開で旧来の仏教の固定性を批判し在家者の立場から大乗仏教の軸たる「空思想」を高揚する。
— Waishan Richunan (@tym943) 2017年6月11日 - 13:56
内容は中インド・ヴァイシャーリーの長者ヴィマラキールティ(維摩詰、維摩、浄名)にまつわる物語である。
以上、ウキからの引用でした。
— Waishan Richunan (@tym943) 2017年6月11日 - 13:57
タゴール「裸身」 そのヴェールとそれらの衣裳を脱ぎ捨てよ!光をまとって、素裸の美の衣裳をつけた聖なる娘のように。
— Waishan Richunan (@tym943) 2017年6月11日 - 14:54
おんみの蓮の肉体は花盛りだ。それはかくも豊かな生命と、かくも豊かな青春の重みでうなだれる。
世界の前に立つがいい、孤独な女よ、風はおんみの四肢のすべてに接吻し・・
タゴール「裸身」その2 ・・月光はおんみのむきだしの肉を雪白にしている。
— Waishan Richunan (@tym943) 2017年6月11日 - 14:57
おんみ自身を空の青にまぎれこませて、無数の星の玉をつらねた衣裳をまとうことだ。(山室静香訳 タゴール著作集第二巻Ⅱ p.9)