高齢者の嘆き川柳.wmv
わはははははっはははと笑って過ごそうホトトギス。
(^_^)
【傑作】 サラリーマン川柳 優秀作品 夫婦・家族編 Part1
文学なんてぇもんも時差惚けの一種なのではないのかと思う時がある。書かれた時期と国というか地域が違っているからである・・・マジに。
時差惚けがあって、まだおかしい。もっとも、ずっと前からボキのアタマはおかしいが(^_^)
旅の効用と言ってもこれだけ時差惚けがあったら、アカンですなぁ~。もっともすべては夢まぼろしである。あっと言う間の人生である。
親戚とか友人とか、ましてや以前の仕事人時代の仲間とかにこだわっていると時間を空費する。そんなことにこだわっていないことである。
そういう意味で、ボキは天涯孤独であるから気楽なもんである。親戚も千葉県にはいないし(姻族はいるけど)。そんなもんに頼っていると気楽なジジイ生活を送ることはできないではないか。
独居老人の覚悟があれば、気楽なジジイ生活を送ることが可能なのである。
誰しも、独居老人を生きていくことになるのだが、それに気がついていないのだ。死ぬときは一人である。心中という手もあるだろうが、あれだって一人で死んでいくのだ。太宰治だってそうだ。何回も心中しているのだ。この何回もというのが笑ってしまう。一緒に死んでいった女性がかわいそうである。その都度自分だけ助かって、最後に死んでしまったのだが、ボキは最後の心中も間違って死んじまったのではないかと密かに思っていたもんだ。もっと笑ってしまったのが、渡辺淳一の「失楽園」。ありゃなんだってレベル。ヒマなヒトがいて、あれを分析した方がおられて情交シーンが22回出てくるのだそうな。笑ってしまう。
否、今日はこんなくだらないことを打鍵したいからやっているのではない。
時差惚けである。時差惚け。つまり時間の空費である。もったいないということである。
実際の時間と、身体的な時間が一致していないから時差惚けが始まる。仕方ないのかもしれない。しかし、一概に仕方ないとばかり言っていられない。
本当にボケているからである。だるい、辛い、ぼーっとしているから時差惚けなのである。
でも、文学なんてぇもんも時差惚けの一種なのではないのかと思う時がある。
書かれた時期と国というか地域が違っているからである。当たり前である。我々読者は常に後から作品を読み、鑑賞しているからである。書かれてすぐ読むことができるのは、幸運な編集者だけである。
サンクトペテルブルグで書かれたドストエフスキーの多くの作品群は、ずっと時代を下ってからファンを獲得したのである。その幸運を味わったのが、苦学生時代のボキなのだ。新聞店の二段ベッドのたこ部屋で、その幸運に出会ったのである。新潮文庫本を全部買ってムチュウで読んだ。
ある意味、それが時差惚けであったのだ。
助けてくれ~~~という救済の叫びがサンクトペテルブルグにはあったのだ。ドストエフスキーにはあったのだ。その辛さに応えてくれるものが、ドストエフスキーの作品群にはあったのである。
暗い、じとじとと雨が降っているサンクトペテルブルグのあの天候のような挫折と暗さが、ボキをいやしてくれたのである。もっとも、ボキは当時葛飾新宿の新聞店に住み込みで働いていただけなのであるが。あるいは勘違いしていたのかもしれない。サンクトペテルブルグと葛飾新宿の下町のレベルを。なにしろ文化的な質が違い過ぎる。
ボキのこころの中にあったサンクトペテルブルグであり、ドストエフスキーでしかなかったのかもしれない。
でも、所詮文学なんて勘違いの連続なのである。勘違いがあるから、作品の主人公の中に没頭できるのである。
それがボキの場合は、暗く辛かった苦学生時代の救済になっていったのだ。それだけである。それだけ。
それでも、ボキは天涯孤独である。
ボケているから余計にそう思うのかもしれないけど。
今日も歩いてくる。
目標20キロ。
無理だな。
わははっははははっはははっははははっは。
ヾ(@⌒―⌒@)ノ
三日目 6月24日(土)ヘルシンキ観光からロシア入国
テンペリアウキオ教会
テンペリアウキオ教会(フィンランド語: Temppeliaukion kirkko)は、フィンランドのヘルシンキ市・トーロにある、フィンランド福音ルター派教会に属しているキリスト教会である。スオマライネン兄弟によって設計され、1969年に完成した。
テンペリアウキオ地区に教会を造る計画は1930年代から存在し、ヘルシンキ工科大学の設計を担当したヨハン・シレンの設計案に沿って建設される予定であった。しかし、第二次世界大戦が勃発し、計画は中断された。終戦後の1961年に改めてデザイン・コンペが開かれ、スオマライネン兄弟による設計案が採用されることとなった。予算の都合上、当初のプランの4分の1の大きさに縮小されてしまったものの、1968年2月に建設が完了し、1969年9月には礼拝堂の聖別が執り行われた。
教会は大岩をくりぬいた中に造られているが、上部側面にガラスがはめ込まれており、自然光が入り込むようになっていて明るい。教会内壁はくりぬいた岩盤がそのまま使われていて音響効果が優れており、しばしばコンサートホールとしても利用される。内壁は当初むき出しで残す予定は無かったが、音響学者マウリ・パリョと指揮者パーヴォ・ベルグルンドの助言により、このままの状態で使われることとなった。岩には氷河時代に削られて出来た模様を見ることが出来る。
テンペリアウキオ教会は観光地としても有名であり、年間約50万人もの人々が教会を訪れる。ヘルシンキ中心部にあり、周辺はアパートなどの住宅街である。
この教会には鐘が無いが、作曲家タネリ・クーシストによって録音された鐘の音が外壁のスピーカーから流れるようになっている。
大聖堂
ヘルシンキ大聖堂(-だいせいどう、フィンランド語 Helsingin tuomiokirkko)はフィンランドの首都ヘルシンキのほぼ中央にある。この大聖堂はフィンランド福音ルター派教会ヘルシンキ教区に属している。1917年のフィンランドの独立までは「聖ニコラウス教会」と呼ばれていた。
ヘルシンキの中央の市街の風景の特色あるランドマークであるこの教会は1830年から1852年にかけてネオ・クラシック様式に改築された。カール・エンゲルによって独自にデザインされ、彼の後継者であるエルンスト・ロールマンによって継承された。
今日最も有名なヘルシンキの観光名所である。毎年350,000人を越える人々が教会を訪れ、その中には宗教儀式に参加するものもいる。教会は通常、信仰の奉仕と結婚式のような特別なイベントに使用される。
大聖堂の屋根には12使徒の真鍮の彫刻がある。 これは世界最大の真鍮彫刻の一様のコレクションである
大聖堂はしばしばヘルシンキ市全体の象徴として使用される。トゥルク市の象徴にトゥルク城が使用されたり、タメルコスキー橋がタンペレを象徴したり、あるいはJätkänkynttilä ("Lumberjack's candle")と呼ばれる大きな橋がロヴァニエミを象徴するのと同様である。
この大聖堂が建つ前は、もっと小さな教会が同じところにあった。この教会の模倣は雪でできていたが後の2000年代に入ってヘルシンキ元老院広場が建設された。
シベリウス公園
フィンランドを代表する作曲家・ジャン・シベリウスを記念して建てられた公園です。
ヘルシンキ・トーロ地区にあり、銀色のパイプオルガンのようなユニークな形のモニュメントが特徴。
このモニュメントは1967年エイラ・ヒルトネンが製作したもので、この公園のシンボルともいえる役割を果たしています。
一見地味な公園なのですが、意外や意外。訪れる人は観光客以外にも、地元の人も多く、これもフィンランドの独立に大きく貢献したシベリウスの功績なのでしょう。
さらに2015年はシベリウスの生誕150年メモリアルイヤーという事もあって、今年注目度の高い施設である事は言うまでもありません。
公園内にはピクニックをする人、犬のお散歩をする人、そして観光客、と次々に人がやって来るので、夏の間は特に賑やか。
海側には観光客にも人気のカフェ「レガッタ」もあるので、モニュメント前で記念撮影を終えたら、
そこでのんびりお茶、というのが定番の観光コース。
カフェから眺める夕日も最高に美しいですよ。
マーケットスクエア
- 地元民、観光客を交えて年間にぎわう
- 旬を迎えた野菜。種類は少ない。
- 大統領官邸も隣接
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特急列車「アレグロ」
これでいよいよロシア入りである。
楽しみ、楽しみ。
どんなロシア美女がいるのか(^_^)
Retweeted 中島義道 bot (@yoshimichi_bot):... fb.me/FWKPJKof
— Waishan Richunan (@tym943) 2017年6月30日 - 21:01
本を読むことが億劫である。読んだ記憶があってもその内容をほとんど忘れてしまうかららしい。事の順序が混乱するし、時代の事情がくっきりとは判らない。人と名とをとりちがえする。-こころならずも・・・
— 富士正晴bot (@fuji_masaharu) 2017年6月30日 - 19:59
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— Waishan Richunan (@tym943) 2017年6月30日 - 21:01
本を読むことが億劫である。読んだ記憶があってもその内容をほとんど忘れてしまうかららしい。事の順序が混乱するし、時代の事情がくっきりとは判らない。人と名とをとりちがえする。-こころならずも・・・
位が下のやつが上のやつより 墓を大きくするということも、できないですね。 「俺の墓は、下のやつよりも もっと小さくしろ」 なんて言う人がいたら、 それはそうとう優秀だと思います。
— 吉本隆明 (@Voice_YOSHIMOTO) 2017年6月30日 - 19:33
Retweeted 吉本隆明 (@Voice_YOSHIMOTO):
— Waishan Richunan (@tym943) 2017年6月30日 - 21:02
位が下のやつが上のやつより 墓を大きくするということも、できないですね。 「俺の墓は、下のやつよりも もっと小さくしろ」 なんて言う人がいたら、 それはそうとう優秀だと思います。
二日目 ヘルシンキ
— Waishan Richunan (@tym943) 2017年6月30日 - 07:35
エストニアの首都 タリンへ 世界遺産タリン市内観光
ヘルシンキの朝 Crown plaza hotelを出る
... goo.gl/EMtZP9
二日目 ヘルシンキ
— Waishan Richunan (@tym943) 2017年6月30日 - 07:35
エストニアの首都 タリンへ 世界遺産タリン市内観光
ヘルシンキの朝 Crown plaza hotelを出る
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旅の効用というのは、いろいろあって、ロシア美人の毎日20キロwalking発言にはびっくりしてきたよ。旅もここまでくれば、国際的である(^_^)
— Waishan Richunan (@tym943) 2017年6月30日 - 09:02
旅はオノレの人生を軽く... goo.gl/owFFAh
本を百万巻読んでも
— 坂村真民bot (@shinminbot) 2017年6月30日 - 08:38
本ものにはなれない
本は頭を肥やすが
足は少しも肥やしはしない
足からきた悟りが
本ものである
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— Waishan Richunan (@tym943) 2017年6月30日 - 20:49
本を百万巻読んでも
本ものにはなれない
本は頭を肥やすが
足は少しも肥やしはしない
足からきた悟りが
本ものである
天才でないものは
— 坂村真民bot (@shinminbot) 2017年6月30日 - 09:28
捨ての一手で
生きるほかはない
雑事を捨てろ
雑念をすてろ
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— Waishan Richunan (@tym943) 2017年6月30日 - 20:50
天才でないものは
捨ての一手で
生きるほかはない
雑事を捨てろ
雑念をすてろ
貧しかった時のことを
— 坂村真民bot (@shinminbot) 2017年6月30日 - 20:28
忘れるな
苦しかった時のことを
忘れるな
嬉しかった時のことを
忘れるな
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— Waishan Richunan (@tym943) 2017年6月30日 - 20:57
貧しかった時のことを
忘れるな
苦しかった時のことを
忘れるな
嬉しかった時のことを
忘れるな
フェロモンが 十年経てば ホルモンに #おもしろ川柳
— おもしろ川柳 (@omoshiro_senryu) 2017年6月30日 - 20:20
Retweeted おもしろ川柳 (@omoshiro_senryu):
— Waishan Richunan (@tym943) 2017年6月30日 - 20:57
フェロモンが 十年経てば ホルモンに #おもしろ川柳
弥生時代、寒冷地では水稲耕作におけるイネの栽培限界があるとされていました。1956年青森県田舎館村の小学校教員工藤正は「垂柳」で出土した2千粒以上の炭化米と籾痕のついた土器を発見します。656枚の水田跡に弥生人の足跡まで見つかったこの遺跡は、それまでの常識をうちくだきました。
— 歴史教育研究BOT (@history_kyozai) 2017年6月30日 - 20:03
Retweeted 歴史教育研究BOT (@history_kyozai):... fb.me/5hV2GmLHE
— Waishan Richunan (@tym943) 2017年6月30日 - 20:57
(しのぶの里)
— 奥の細道bot (@okunohosomiti) 2017年6月30日 - 20:17
あくれば、しのぶもぢ摺の石を尋て忍ぶのさとに行。遥山陰の小里に石半土に埋てあり。里の童部の来りて教ける。昔は此山の上に侍しを往来の人の麦草をあらして此石を試侍をにくみて此谷につき落せば、石の面下ざまにふしたりと云。さもあるべき事にや。
早苗とる手もとや昔しのぶ摺
Retweeted 奥の細道bot (@okunohosomiti):
— Waishan Richunan (@tym943) 2017年6月30日 - 20:57
(しのぶの里)... fb.me/1dXp1ciuj
鹿児島には古い南方的な要素が流れ着いて残っていて、その要素は奄美や沖縄より強いかもしれません。世界的同時性に開かれていると同時に、とてつもなく古代的なものを残存させている、まるでロシアのようにアヴァンギャルドな土地なのです。~『縄文聖地巡礼』
— 中沢新一語録 (@nakazawa_quotes) 2017年6月30日 - 20:05
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— Waishan Richunan (@tym943) 2017年6月30日 - 20:57
お互いがこうして働くのは、人間の生まれついた役目なんです。どんな身分になろうと、健康である限り、働かなくてはならないようにできています。これ、人間として生まれた者に与えられた大きな恩恵であり、慈悲であります。 bit.ly/17VD2uN
— 中村天風 (@NakamuraTenpu) 2017年6月30日 - 20:09
Retweeted 中村天風 (@NakamuraTenpu):... fb.me/34SP5zkN8
— Waishan Richunan (@tym943) 2017年6月30日 - 20:58
金峯山寺蔵王権現立像:奈良県吉野山の修験道寺院で開基は役行者である。この地は古来桜の名所として知られ、南北朝期には南朝の中心地として発展した。蔵王権現は日本独自の混淆宗教・修験道の本尊で、究極不滅の真理を体現する全能の王である。pic.twitter.com/QaEivmRqHM
— 仏像紹介BOT (@butsuzobot) 2017年6月30日 - 20:44
Retweeted 仏像紹介BOT (@butsuzobot):... fb.me/FXxKJTKM
— Waishan Richunan (@tym943) 2017年6月30日 - 20:58
CiNii 論文 - 成朝、運慶と源頼朝 ci.nii.ac.jp/naid/110004048… #CiNii
— 日本中世史論文bot (@rkscinii) 2017年6月30日 - 20:07
Retweeted 日本中世史論文bot (@rkscinii):
— Waishan Richunan (@tym943) 2017年6月30日 - 20:58
CiNii 論文 - 成朝、運慶と源頼朝 ci.nii.ac.jp/naid/110004048… #CiNii fb.me/xrLKQv6y
ロシアの十九世紀文学ほど、恐ろしく真面目な文学は、世界中にありません。文学は書かれたというより、むしろインテリゲンチャによって文字通り生きられた。人間如何に生くべきかという文学の中心動機だけが生きられた、と言った方がよい。 (ソヴェットの旅)
— 小林秀雄 botcast (@hideKoba_bot) 2017年6月30日 - 20:05
Retweeted 小林秀雄 botcast (@hideKoba_bot):... fb.me/7WOoP4eAA
— Waishan Richunan (@tym943) 2017年6月30日 - 20:59
メールマガジン・寺社旅研究会のVol.116を発行しました。今回の話題は「羽黒山の宿坊・宮下坊で、月山登拝ツアーが企画されていますよ」などです。リンク先でも読めますので、よろしければご覧になってみて下さいね。syukubo-blog.com/mailmagazine
— ほーりー(寺社旅研究家) (@holy_traveler) 2017年6月30日 - 20:22
Retweeted ほーりー(寺社旅研究家) (@holy_traveler):... fb.me/toxN5qOt
— Waishan Richunan (@tym943) 2017年6月30日 - 21:00
ぼくらが子供のころにみたものや聞いたものをいじくって、自分たちの味付けで出しているだけです。バトンタッチみたいなもんです。これを次の世代の人に渡せたらいいですね。
— 宮さん(宮崎駿)bot (@miyasan_bot) 2017年6月30日 - 20:07
われわれは、考えなくなってしまった。考えなくてもいいからである。われわれは、自分の言葉を失ってしまった。言葉を発しなくてもいいからである。われわれは、多様な他者とのいきいきとした関係を結べなくなってしまった。他者はいないからである。『<対話>のない社会』
— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) 2017年6月30日 - 20:17
Retweeted 宮さん(宮崎駿)bot (@miyasan_bot):
— Waishan Richunan (@tym943) 2017年6月30日 - 21:01
ぼくらが子供のころにみたものや聞いたものをいじくって、自分たちの味付けで出しているだけです。バトンタッチみたいなもんです。これを次の世代の人に渡せたらいいですね。