と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

高齢者の嘆き川柳.wmv

2017年07月01日 20時51分41秒 | とーま君の流儀2017

高齢者の嘆き川柳.wmv

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【深イイ話】 第14回 シルバー川柳 入選作品

2017年07月01日 16時11分45秒 | とーま君の流儀2017

【深イイ話】 第14回 シルバー川柳 入選作品

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【傑作】 サラリーマン川柳 優秀作品 夫婦・家族編 Part3

2017年07月01日 16時11分29秒 | とーま君の流儀2017

【傑作】 サラリーマン川柳 優秀作品 夫婦・家族編 Part3

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【傑作】 サラリーマン川柳 優秀作品 夫婦・家族編 Part2

2017年07月01日 16時11分11秒 | とーま君の流儀2017

【傑作】 サラリーマン川柳 優秀作品 夫婦・家族編 Part2

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【傑作】 サラリーマン川柳 優秀作品 夫婦・家族編 Part1

2017年07月01日 16時10分25秒 | とーま君の流儀2017

わはははははっはははと笑って過ごそうホトトギス。

(^_^)

 

 

【傑作】 サラリーマン川柳 優秀作品 夫婦・家族編 Part1

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時差惚けでちょいと苦しんでいるが・・・トホホ。

2017年07月01日 08時18分20秒 | バルト三国ロシア紀行2017年6月

文学なんてぇもんも時差惚けの一種なのではないのかと思う時がある。書かれた時期と国というか地域が違っているからである・・・マジに。

 

 

時差惚けがあって、まだおかしい。もっとも、ずっと前からボキのアタマはおかしいが(^_^)

旅の効用と言ってもこれだけ時差惚けがあったら、アカンですなぁ~。もっともすべては夢まぼろしである。あっと言う間の人生である。

親戚とか友人とか、ましてや以前の仕事人時代の仲間とかにこだわっていると時間を空費する。そんなことにこだわっていないことである。

そういう意味で、ボキは天涯孤独であるから気楽なもんである。親戚も千葉県にはいないし(姻族はいるけど)。そんなもんに頼っていると気楽なジジイ生活を送ることはできないではないか。

独居老人の覚悟があれば、気楽なジジイ生活を送ることが可能なのである。

誰しも、独居老人を生きていくことになるのだが、それに気がついていないのだ。死ぬときは一人である。心中という手もあるだろうが、あれだって一人で死んでいくのだ。太宰治だってそうだ。何回も心中しているのだ。この何回もというのが笑ってしまう。一緒に死んでいった女性がかわいそうである。その都度自分だけ助かって、最後に死んでしまったのだが、ボキは最後の心中も間違って死んじまったのではないかと密かに思っていたもんだ。もっと笑ってしまったのが、渡辺淳一の「失楽園」。ありゃなんだってレベル。ヒマなヒトがいて、あれを分析した方がおられて情交シーンが22回出てくるのだそうな。笑ってしまう。

否、今日はこんなくだらないことを打鍵したいからやっているのではない。

時差惚けである。時差惚け。つまり時間の空費である。もったいないということである。

実際の時間と、身体的な時間が一致していないから時差惚けが始まる。仕方ないのかもしれない。しかし、一概に仕方ないとばかり言っていられない。

本当にボケているからである。だるい、辛い、ぼーっとしているから時差惚けなのである。

でも、文学なんてぇもんも時差惚けの一種なのではないのかと思う時がある。

書かれた時期と国というか地域が違っているからである。当たり前である。我々読者は常に後から作品を読み、鑑賞しているからである。書かれてすぐ読むことができるのは、幸運な編集者だけである。

サンクトペテルブルグで書かれたドストエフスキーの多くの作品群は、ずっと時代を下ってからファンを獲得したのである。その幸運を味わったのが、苦学生時代のボキなのだ。新聞店の二段ベッドのたこ部屋で、その幸運に出会ったのである。新潮文庫本を全部買ってムチュウで読んだ。

ある意味、それが時差惚けであったのだ。

助けてくれ~~~という救済の叫びがサンクトペテルブルグにはあったのだ。ドストエフスキーにはあったのだ。その辛さに応えてくれるものが、ドストエフスキーの作品群にはあったのである。

暗い、じとじとと雨が降っているサンクトペテルブルグのあの天候のような挫折と暗さが、ボキをいやしてくれたのである。もっとも、ボキは当時葛飾新宿の新聞店に住み込みで働いていただけなのであるが。あるいは勘違いしていたのかもしれない。サンクトペテルブルグと葛飾新宿の下町のレベルを。なにしろ文化的な質が違い過ぎる。

ボキのこころの中にあったサンクトペテルブルグであり、ドストエフスキーでしかなかったのかもしれない。

でも、所詮文学なんて勘違いの連続なのである。勘違いがあるから、作品の主人公の中に没頭できるのである。

それがボキの場合は、暗く辛かった苦学生時代の救済になっていったのだ。それだけである。それだけ。

それでも、ボキは天涯孤独である。

ボケているから余計にそう思うのかもしれないけど。

 

今日も歩いてくる。

目標20キロ。

無理だな。

わははっははははっはははっははははっは。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

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ヘルシンキ観光から、いよいよサンクトペテルブルグへ 憧れのロシアである、ロシア

2017年07月01日 06時26分17秒 | とーま君の流儀2017

三日目 6月24日(土)ヘルシンキ観光からロシア入国

 

 

 

テンペリアウキオ教会

 


 

テンペリアウキオ教会(フィンランド語: Temppeliaukion kirkko)は、フィンランドのヘルシンキ市・トーロにある、フィンランド福音ルター派教会に属しているキリスト教会である。スオマライネン兄弟によって設計され、1969年に完成した。

テンペリアウキオ地区に教会を造る計画は1930年代から存在し、ヘルシンキ工科大学の設計を担当したヨハン・シレンの設計案に沿って建設される予定であった。しかし、第二次世界大戦が勃発し、計画は中断された。終戦後の1961年に改めてデザイン・コンペが開かれ、スオマライネン兄弟による設計案が採用されることとなった。予算の都合上、当初のプランの4分の1の大きさに縮小されてしまったものの、1968年2月に建設が完了し、1969年9月には礼拝堂の聖別が執り行われた。

教会は大岩をくりぬいた中に造られているが、上部側面にガラスがはめ込まれており、自然光が入り込むようになっていて明るい。教会内壁はくりぬいた岩盤がそのまま使われていて音響効果が優れており、しばしばコンサートホールとしても利用される。内壁は当初むき出しで残す予定は無かったが、音響学者マウリ・パリョと指揮者パーヴォ・ベルグルンドの助言により、このままの状態で使われることとなった。岩には氷河時代に削られて出来た模様を見ることが出来る。

テンペリアウキオ教会は観光地としても有名であり、年間約50万人もの人々が教会を訪れる。ヘルシンキ中心部にあり、周辺はアパートなどの住宅街である。

この教会には鐘が無いが、作曲家タネリ・クーシストによって録音された鐘の音が外壁のスピーカーから流れるようになっている。



大聖堂

 

ヘルシンキ大聖堂(-だいせいどう、フィンランド語 Helsingin tuomiokirkko)はフィンランドの首都ヘルシンキのほぼ中央にある。この大聖堂はフィンランド福音ルター派教会ヘルシンキ教区に属している。1917年のフィンランドの独立までは「聖ニコラウス教会」と呼ばれていた。

 

ヘルシンキの中央の市街の風景の特色あるランドマークであるこの教会は1830年から1852年にかけてネオ・クラシック様式に改築された。カール・エンゲルによって独自にデザインされ、彼の後継者であるエルンスト・ロールマンによって継承された。

 

今日最も有名なヘルシンキの観光名所である。毎年350,000人を越える人々が教会を訪れ、その中には宗教儀式に参加するものもいる。教会は通常、信仰の奉仕と結婚式のような特別なイベントに使用される。

 

大聖堂の屋根には12使徒の真鍮の彫刻がある。 これは世界最大の真鍮彫刻の一様のコレクションである

 

大聖堂はしばしばヘルシンキ市全体の象徴として使用される。トゥルク市の象徴にトゥルク城が使用されたり、タメルコスキー橋がタンペレを象徴したり、あるいはJätkänkynttilä ("Lumberjack's candle")と呼ばれる大きな橋がロヴァニエミを象徴するのと同様である。

この大聖堂が建つ前は、もっと小さな教会が同じところにあった。この教会の模倣は雪でできていたが後の2000年代に入ってヘルシンキ元老院広場が建設された。

 

 

シベリウス公園

 

 

 

フィンランドを代表する作曲家・ジャン・シベリウスを記念して建てられた公園です。

ヘルシンキ・トーロ地区にあり、銀色のパイプオルガンのようなユニークな形のモニュメントが特徴。

このモニュメントは1967年エイラ・ヒルトネンが製作したもので、この公園のシンボルともいえる役割を果たしています。

一見地味な公園なのですが、意外や意外。訪れる人は観光客以外にも、地元の人も多く、これもフィンランドの独立に大きく貢献したシベリウスの功績なのでしょう。

さらに2015年はシベリウスの生誕150年メモリアルイヤーという事もあって、今年注目度の高い施設である事は言うまでもありません。

公園内にはピクニックをする人、犬のお散歩をする人、そして観光客、と次々に人がやって来るので、夏の間は特に賑やか。

海側には観光客にも人気のカフェ「レガッタ」もあるので、モニュメント前で記念撮影を終えたら、

そこでのんびりお茶、というのが定番の観光コース。

カフェから眺める夕日も最高に美しいですよ。


マーケットスクエア

  • 地元民、観光客を交えて年間にぎわう
  • 旬を迎えた野菜。種類は少ない。
  • 大統領官邸も隣接


 

 


 ヘルシンキ市内には8か所の青空市場があり、それぞれが個性を競っているが、単に「マーケット広場」といえば南港に接するここをさす。500年近い歴史を誇り、春夏は旬を迎えた生鮮食品が、また秋口はバルト海名物のニシンマーケットが人を集める。観光客用の土産ものを扱う店も多く、年間を通じて賑わいを見せている。ブランドショップの並ぶエスプラナーデ通りを東に進み、ヘルシンキのマスコット=アマンダ像に迎えられる頃にはオレンジ色のテント地に包まれた屋台群が目の前に広がってくる。左手には大聖堂、前方にはウスペンスキー寺院が控え、スオメンリンナ島へのフェリーの発着場もここにある。市の中心部であり、多くの見どころに囲まれているため、自然と足が向かう場所でもある。赤いテント地の屋台は魚介類や野菜などの生鮮食品を扱う。その種類は少ないが、6~8月に旬を迎える人参、さやいんげん、ジャガイモ、苺などはフィンランド人が1年を待ち続けた主力商品なので、飛ぶように売れていく。さやいんげんや苺などはフィンランド人をまねて食べ歩きするのも楽しいだろう。オレンジ色の店舗はカフェやファーストフード店。トナカイのミートボール、シロマスのから揚げ、極太ソーセージなど、気取りのないフィンランド料理が売り物だ。店先に写真つきのメニューが飾られているので注文も簡単。値段も手ごろなので、ランチはここで済ませるのもいい。広場の中ほどを超えると屋台の屋根は白地になる。これらは観光客向けの土産店。手作りの木製食器や銀細工、Tシャツ、飾り物、キーホルダー等々、が並ぶ。真夏でも手編みのセーターや毛皮を扱っているのは一種のジョークなんだろうか。いずれも観光客をターゲットにした店舗・品ぞろえだが、かといって“ツーリスト・プライス”ではない。ものによってはデパートより安いくらい。なお、マーケット広場はスリの最多発地域として注意を喚起されている場所なのでご用心のほどを。

 

特急列車「アレグロ」

これでいよいよロシア入りである。

楽しみ、楽しみ。

どんなロシア美女がいるのか(^_^)



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6月30日(金)のつぶやき その2

2017年07月01日 04時48分18秒 | とーま君の流儀2017
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6月30日(金)のつぶやき その1

2017年07月01日 04時48分17秒 | とーま君の流儀2017
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/