スマホで「銀河鉄道の夜」を聞きながら、歩いてきた。楽しい朗読ですなぁ。。。。岩手の花巻まで行きたくなっちまったよん。
今朝のウオーキングは良かった。
何が良かったかというと、涼しかったからである。それで快調に歩いた。Metsで5500歩はいった。しかし、決して無理はしない。スピードを競って、膝を悪くしてしまう方々もおられるからである。
Gymでも「まだ体力が余っているでしょ?」とか言われている。だから、もっとやればぁというお誘いである。
ボキはそんな誘惑にはのらない。「まさか、競争ではあるまいし。結局身体を悪くしたらおしまいですから」と申し上げた。そしたら、他の方に大笑いされた。
そうである。Gymに来ているのは、健康になるためである。なにも他人と競争するために来ているのではないからである。成果も求めていない。ゆっくり歩いて、体重をコントロールしていればそれでいいだけである。
要するに、欲がない。もっと言えばやる気がない。
わははっはははっはははっはははっはは。
東京オリンピックがある。三年後だ。そしたら、極端にスポーツ重視になっている。日本国中がである。
日本人の悪いところである。一丸となって、邁進してしまうのである。そういうものが良いとなれば、一億全部がスポーツ重視となる。
それはそれでおおいに結構なことである。これでも、ボキは柔道を愛してきたから嬉しいことに違いない。しかしである。一億玉砕を唱えてきた歴史からは、一丸となってなにかに取り組むというのはちょっと考えさせられる。
違うモノを認めないからである。異端を認めない。これはキリシタン排除の論理(歴史)からも納得できることである。
差別というのも、これだ。このあたりに原因がある。差別は、受けた当人が差別されたというのなら(感じるのなら)、事実となってしまう。セクハラと一緒である。そういう意味では、ボキも差別されてきたと感じる。セクハラは受けたこともやったこともないけど。
関東文化の、あるいは江戸というかつては僻村であった土地に流れてきた人民による差別意識があるからである。東北地方への。これにはホトホト(*_*) マイッタのじゃ。なにかというと、家柄や血筋が良いと自慢するアホが周囲にいくらでもいたからである。さらに、出身高校や大学自慢。これまた程度問題である。たいした進学実績も持っていないのに進学校とのたもうたヤカラがいくらでもいたからである。笑わせてもらったよん。
東北というと宮沢賢治である。
今朝は、銀河鉄道の夜をスマホで聞きながら歩いていた。NHKで放送された番組の録音である。約45分間である。面白かった。ムチュウになって聞いていた。
死の問題が見え隠れしている。銀河鉄道の夜には。耳から学問である。田んぼ道を、歩きながらである。
さらに、田んぼの水栓からことこと・ぶくぶくという音も聞こえてくる。その音が、稲を実らせていく。
稲のチカラと、銀河鉄道の夜に見え隠れする死の問題。
ふと思った。
夜行列車に乗って、岩手の花巻まで行ってみたいって。新幹線では面白くもなんともないからである。各駅停車の列車の旅がいい。何時間かかってもいい。
そうなのである。ボキには差別されることがあっても、差別することはないからである。そういう旅なら余裕すら感じるからである。
楽しいだろうな。
検討しようっと。
ヾ(@⌒―⌒@)ノ