4日目 6月25日(日)
サンクトペテルブルク観光
9時から市内観光。ガイドはミセス・リューバさん。日本語専門で大学に行かれたロシア美人。岩手県や山形県にも行ったことがあるって言っていらした。ここでボキはちょっと図に乗って、形容詞の話をしてしまった。(_ _ )/ハンセイである。難しかったでしょう?って聞いて、その後に形容詞とか形容動詞とか言っちゃぁいけないですな(^_^)。
スモーリヌイ修道院
白とブルーの淡いパステルカラーの外観の建物で、とっても可愛らしく素敵でした。
女学校として作られただけあって、女性好みのデザインです。
ネフスキー大通りから出ているバスで行くことができます。
スモーリヌイ修道院
「スモーリヌイ修道院」
ネヴァ川河畔に広がる公園の中に、スモーリヌイ修道院と寄宿学校が建っている。この学校は、19世紀初め、エカテリーナ2世によって貴族の令嬢たちの女学校として建てられた
近くにドストエフスキーが学んだ学校もあった。
感激しましたなぁ。
かのドストエフスキーも歩いたであろう河畔。。。。。。。
聖イサク寺院
それにしにても博学多才の現地ガイドのリューバさん。
聖イサアク大聖堂(Исаакиевский собор、Saint Isaac's Cathedral)は、ロシア、サンクトペテルブルク中心にあるロシア正教会の大聖堂である。ドームの高さは101.5メートル。聖イサーク大聖堂、聖イサーク寺院とも表記される。聖イサアク大聖堂の名称は、ピョートル大帝の守護聖人、ダルマチアの聖イサアク(聖イサク・ダルマツキー、w:Isaac of Dalmatia)に由来する
ピョートル大帝の時代にワシリエフスキー島(ヴァシリエフスキー島)に初代の「聖イサク教会」が建設されたのが起源とされる。その後、1717年に元老院広場(現在のデカブリスト広場)に移ったが、軟弱な地盤に加え、落雷によって焼失した。 エカテリーナ2世の勅命でイタリア人建築家アントニオ・リナルディにより再建事業が開始されたが、未完成に終わり、パーヴェル1世が事業を引き継いだ。 現在の聖イサアク大聖堂はアレクサンドル1世の時代に建造されたもので、フランス人宮廷建築家オーギュスト・ド・モンフェランの設計による。モンフェランの監督下、1818年から1858年まで、40年の長きに工事が行われた。ロシア革命後は、ソビエト政権の下で博物館となった。他のサンクトペテルブルクの建造物同様、第二次世界大戦に危機に見舞われる。独ソ戦におけるレニングラード包囲戦では、聖イサアク大聖堂の黄金のドームはドイツ軍にとって絶好の標的と成り得たため、ソ連側はドームを灰色に塗装し直した。 ソ連崩壊後、大聖堂としての活動を再開し、祭日における奉神礼が行われている。
ピョートル大帝の青銅の騎士像
血の教会
(スパース・ナ・クラヴィー教会)
こちらも午前にツアーで外観観光をした時の写真です。
皇帝アレクサンドル2世が暗殺された場所に建てられたことから「血の上の教会」と呼ばれています。昼の教会周辺は観光客だらけ!!スリに要注意な場所です。
ロシア名物ボルシチ キエフ風カツレツ 昼食
エルミタージュ美術館
受付で餌をねだりに来ていたチュンチュン(^_^)
エルミタージュ美術館(エルミタージュびじゅつかん、露: Эрмитаж エルミターシ、英: Hermitage Museum)は、サンクトペテルブルクにあるロシアの国立美術館。 1990年に世界遺産(サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群)に包括登録されている。
1764年にエカチェリーナ2世がドイツから美術品を買い取ったのが、エルミタージュ・コレクションのはじまりである[2]。エルミタージュ美術館の起源はエカチェリーナ2世が1775年に建てた自身専用の美術品展示室であり、一般公開はされていなかったが、1863年に初代館長となったゲデオーノフによって市民も観覧が可能となった[3]。
1917年のロシア革命後は貴族から没収されたコレクションの集積所となった。1918年には冬宮に存在した全ての研究、管理組織を建物共々、エルミタージュ美術館として統合することが決定された。この統合作業は第二次世界大戦後に完了した[3]。
主な所蔵作品[編集]
絵画[編集]
イタリア・ルネサンス[編集]
- レオナルド・ダ・ヴィンチ 『ブノアの聖母』、『リッタの聖母』
- ラファエロ 『コネスタビレの聖母』、『聖家族』
- ジョルジョーネ 『ユディト』
- ティツィアーノ 『ダナエ』、『懺悔するマグダラのマリア』
- カラヴァッジオ『リュートを弾く若者』
レオナルド・ダ・ヴィンチ ブノアの聖母 1478年
レオナルド・ダ・ヴィンチ リッタの聖母 1490 - 1491年
ラファエロ コネスタビレの聖母 1504年
ラファエロ 聖家族 1506年
ジョルジョーネ ユディト 1504年頃
ティツィアーノ ダナエ 1553 - 1554年頃
ティツィアーノ 懺悔するマグダラのマリア 1565年
カラヴァッジオ リュートを弾く若者 1595年
エル・グレコ 使徒ペトロとパウロ 1587 - 1592年
ベラスケス 昼食 1618年
ルーベンス 大地と水の結合 1618年
ルーベンス ペルセウスとアンドロメダ 1620 - 1621年
ヴァン・ダイク 自画像 1630年
レンブラント フローラに扮したサスキア 1634年
レンブラント ダナエ 1636 - 1647年頃
レンブラント 放蕩息子の帰還 1663 - 1665年
印象派以降[編集]
- ルノワール 『ジャンヌ・サマリーの肖像』『扇子を持つ女』『小さな鞭を持った少年』
- セザンヌ 『ピアノを弾く少女』『煙草を吸う男』『カーテンのある静物』
- モネ 『庭の女』『ジヴェルニーの干草』『ウォータールー橋』
- ゴッホ 『アルルの女たち』『ライラックの木』『夜の白い家』
- ゴーギャン 『果実を持つ女』
- ルソー 『虎のいる熱帯の嵐』
- アンリ・マティス『赤い部屋』『会話』『ダンス』
ルノワール ジャンヌ・サマリーの肖像 1878年
ルノワール 扇子を持つ女 1881年
ルノワール 小さな鞭を持った少年 1909年
セザンヌ ピアノを弾く少女 1866年
セザンヌ 煙草を吸う男 1889年
セザンヌ カーテンのある静物 1890年
モネ 庭の女 1867年
モネ ジヴェルニーの干草 1886年
モネ ウォータールー橋 1903年
ゴッホ アルルの女たち 1888年
ゴッホ ライラックの木 1889年
ゴッホ 夜の白い家 1890年
ゴーギャン 果実を持つ女 1893年
ルソー 虎のいる熱帯の嵐 1908 - 1909年
遺物[編集]
夕食 ビーフストロガノフ