と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

人生は全勝なんかしちゃあかんです。負け続きの人生の可能性もあるけど、たいていは9勝6敗くらいがちょうどいい。

2017年09月01日 22時47分23秒 | とーま君の流儀2017

色川武大という稀代の小説家がいた。雀聖であった。雀鬼ではない。雀聖なのである。どっだけ凄いか分かっていただけると思う。賭け事が大好きで、それでもって闇の世界を多々描いてきた。

大学なんか出ていない。高校も中退である。

それで麻雀放浪記とかいう作品も阿佐田 哲也という別名で書いた。いろんな世界を味わいながら、ボキに言わせれば豪快に生きて、書いて、打って、食って、飲んで、クソシテ、そして死んでいった。わずか60歳であった。

その彼がタイトルのようなことを言っていたのである。賭け事人生から得た教訓である。確かにそうだ。賭け事は全勝なんてあり得ない。勝ったり負けたりである。勝ち続けるばかりが人生でもない。負け続けるだけでもない。それがエリート以外の(つまりボキのような)人間の普通の生き方である。

これはボキの座右の銘でもある。

全勝なんかあり得ないのである。

だから負けたっていいのである。

なにもクヨクヨ悩む必要も無い。

東大合格者だって、全教科満点で入っているわけではないのである。中にはそういう御仁もいるかもしれないが。

だからなんにも気にする必要はない。

相撲は全勝があり得る。15回戦う。

でも、相撲は勝ち越しというのがある。8勝7敗である。一回だけ勝利が、負け数を上回っていればいいのである。

しかし、毎度8勝7敗ではちょっとサミシイ。

だから9勝6敗程度がいいのである。

ほどほどに勝っていれば良いのである。

横綱はそうはいかないだろうが。だから辛い立場なのであろう。まさに、綱渡り人生である。鶴竜と稀勢の里が心配になっているんだけど、ボキは。もうすぐ相撲が始まるからで。

ま、それはそれとしてこの色川武大センセの教訓は、大事である。

ボキも負け続けてばかりいるけど、決してひがんだりしていない。最終的に、勝ち数が一回から二回負け数を上回ればいいと思っているからである。

 

ふうううううううううううう。

 

22:46である。

塾から帰ってきた。風呂も入った。さ、寝ます。

(=゜ω゜)ノ

 

 

 

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雪国の詩人が今ではこんなジジイとなり果てて

2017年09月01日 07時00分15秒 | とーま君の流儀2017

内向的だったボキ。マジにそうだったのである。雪国にあって詩人を気取っていたのだ

 

 

昨日は寒かった。今まで暑かったから、ちょっと気温が下がると寒くなる。だらしないものである。こんな程度で(気温20度もあるのだからゼータクなもんだ)、寒いと言っていたらアホである。

そもそもアホなのは分かっていたが。

これが月山のような雪国での生活だったら、耐えられない。豪雪地帯だと、生きていられない。でも、あれはあれでなかなか風情がある。雪国の暮らしもまたいいものがある。外は雪がこんこんと降っていても家の中はあったかい。暖房がきちんとしているからである。

で、夜は夜で早く寝る。これがいいのである。

それに、雪の音もある。まさにこんこんと降っているのである。時々は屋根の上でぱさぱさと音をたてることもある。雪がズレていく音も聞こえる。

少年だったけど、ボキは、そういう音を聞きながら詩人になったつもりでいたのだ。

だから、ボキは実に内向的な人間であったのだ。ホントウである。孤独だったのだ。付き合いの下手くそな少年であったのだ。今で言えば、ちょっと登校拒否的な傾向があったことは否めない。

それが変わった。詩人からヘラヘラ型の芸人タイプに変化してしまったのである。

笑ってしまう。

亡父が事業に失敗したし、事実貧乏だった。亡父は、町役場職員を退職してある事業を始めたのである。しかし、失敗した。だからある公的機関の団体職員に再就職した。亡母も一旦退職した田舎教師を再度始めた。いまではあり得ないだろう。

そんなわけで、どん底の生活を送っていたから、かえって明るく過ごそうと思ったのかもしれない。予防措置である。暗いままで生きていたら、死んじまうではないかと思ったのかもしれない。

そのあたりから、ボキは人格改造を自分でやっていったのであろう。

明るく、生き生きと過ごすことだとマジに思った。

そして読書に没頭もした。さらに、悪ガキどもと野球にも興じた。相変わらず、内向的ではあったのだけれども。

妙なガキであったのかもしれない。変人と言われる要素がこのあたりにあったのであろう。

ま、今となってはどうしようもない。

変更はきかないからである

つまり、あのまんまおとなしく内向的な少年であったら、こんなジジイにはならなかっただろうと思っているからである。大学院だって中退しなかっただろうし、いつまでも自分の専門を追いかけていたんだろうから。

ホントウにそう思うのである。

粘着度が足りないのである。

あ、その前にテメェの能力が足りなかったか。

(>_<)ゞ

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8月31日(木)のつぶやき その2

2017年09月01日 05時52分57秒 | とーま君の流儀2017
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8月31日(木)のつぶやき その1

2017年09月01日 05時52分56秒 | とーま君の流儀2017
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/