相手をむちゃくちゃに攻撃して、自己満足しているとブーメランで返ってくるから人生は怖いのですなぁ~~~
今日は帰りが遅くなってしまった。
千葉市民会館で文化講座と古文書講座の下働きをしてきたからである。
クルマで行った。会場に着く前に、古本チェーン店でいろいろ物色して七冊ほど買ってきた。里見八犬伝の新潮古典集成本の第一巻も買ってきた。絵がついていて楽しい。もっと買ってしまった。神渡良平さんのも買った。さらに、塾で教えている公務員志望の高校生のために過去問集まで買った。むろん自腹である。好きだねぇと思った。
ま、そんなことはどうでもいい。
問題が起きた。受講生で90歳になられる大先輩のおじいさまが、階段でこけて倒れてしまった。救急車を呼んで・・・という事態が生じてしまった。それで、事務局員としていろいろ対応していたのである。これ以上は書けないが。
生涯学習も90歳までやっておられるということに、驚愕しているのだが、潮時ということもあるのかもしれないなぁと思った。
我が身に引き替えて考えてみた。
ボキなんかまだまだ小僧っ子である。90歳には程遠い。
潮時というのはあてはまらない。
まだまだチャレンジすべきであろう。
長生きして、ボキのようなくだらないものでもお役に立てるということを実感してみたい。また、そうすべきであろう。
優れた方々というのは、自己否定から出発されている。ボキはすくなくともそう方々から、大きな影響を受けてきた。
従って、ボキには慢心がない。あるわけない。そんなくだらないことを言っていたら、天に笑われる。アホがナニヲカイワンヤである。
別にいじけているわけではない。素直でないのは認めるが、すべてのスタートを自己否定から行っているのである。
でないと、申し訳ないような気がするのである。
こんなくだらないボキでも、生きていることがありがたいのである。
別に宗教のことを言っているのではない。
最低の人間だと思っているからこそ、相手の言うことにも耳を傾けることが可能となってきたのである。これが一番ありがたいことだとシミジミ思っているのである。
自己主張なんかすることもない。他人とくだらない議論をして、相手を言い負かせてみてもそんなもんがナンになるのだろうか。
そもそもである。
相手の行動や考え方を批判し、糾弾してみても意味がない。
そんなことでは相手の土俵に立って喧嘩しているようなものである。かえってイライラしてしまうではないか。
そんなことを一生涯やっていてなんになるのだろうか。
それよりも、自己を見つめ、自分とはなんぞやと考えてみたい。
と、ここまで書いてきて、あっと思った。
某政党を離党した美人代議士への面当てになってしまっているではないか。
わはははっははははっははっは。
もうやめよう。
ボキもブーメランで返ってくるかもしれないから。
(。・_・)ノ