昨日は塾のアルバイトがあったので、夜10時近く帰ってきた。もっとも、始まりが7時30分からであるからそんなに拘束されているわけではない。しかも週に二回である。
このバイトも最初は反対された。むろん家族にである。そんなもんを始めたら、定年後の海外旅行に行けないじゃない!というわけである。結果的には、これで良かった。事前に言っておけば、勤務形態は好きなように組むことができるからである。要するにアテにされていないのじゃ(^_^)。
昨日は4名全員英語。最近は英語のオファーが多い。
某大学大学院で、博士論文を提出する前にqualify・testとか、prospect・test等都合二回の英語による事前試験があったから英語をやってきたのだった。塾も、もう6年になる。さらにこの6年間、年間二回は海の外に脱出してきた。だから、トラベル英語ならなんとかなるようになってきた。通関手続きもできるようになってきた。簡単なショッピングも英語でできるし。
それからメールをチェックして、風呂入って寝たのである。
だが、今朝起きたら大雨である。(*_*) マイッタ。
そうなのである。walkingに行こうといつもと同じ時間に起きてしまったのである。4時45分である。ベッドの脇にあるカーテンを開けたら、残念なことに「おおおおおおお~~雨」であった。もう一回寝た。ラジオを聞きながら。NHKである。ちなみに、ラジオは一晩中つけておく。でないと寝られないからだ。
天気予報では、これから雨が上がるとのことである。
そうなったら、walkingに行こうと思っている。否、思うだけではない。必ず行く。でないと、またエコノミークラス症候群になってICUに入らなければならなくなるから。
もうあんな体験はイヤである。
死が直接ボキの近くまで接近してきたからである。
あれ以来、ボキもまた死ぬのだとシミジミ感じてきた。今さらだけど、ミンナ死んじゃうのである。100%である。必ず死んじゃうのである。
だからこその生涯学習ごっこなのである。
老年学とか、死生学とか修士をとらせていただいた大学院(武蔵野大学通信教育部)で勉強したことが生きている。感謝している。これで高校卒業以来、都合5つの大学・専門学校で学んだ。修士をとらせていただいた大学でやったことがずいぶん生きている。ありがたいものである。
なぜなら、老年学とか死生学というのは、まさに人生の仕舞い方を学ぶからである。しかも、仕事をしながら卒業できたのだから奇跡であった。いろんな生涯学習者との接点もできたし。定年後の方向性を定めることもできたのである。
さらにある。成田山新勝寺にも興味関心が出てきた。顕教では知り得ない修行の寺院である。密教である。修行こそ命の寺院である。出羽三山にも興味が沸いてきた。こっちは作家の森敦先生から学んでいるのだけれども。
空海の修行した中国の寺院にも行ってみたい。青龍寺である。西安にある。
歩き回っているだけでは、ノーミソが筋肉になってくるだけであるから。もっとも生まれつき体力派か、ボキは。脳にミソがないから、「ノーミソ」と言うのである。でも、体力は大事でっせ。身体のチカラがなくなったら、健康ではなくなるのじゃよ。わかっちゃいるけど、体力・健康無視という御仁は多いからである。マジに。
雨が降っているといろんなことを考える。
これもまた良いものである。
わははっはははっははははっははははっはははは。
(^_^)ノ""""