と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

新しい展開 そして今週の土曜日にはボキと直接会えるチャンスがありまっせ そんなヒトいないか・・・トホホ

2020年02月04日 06時51分47秒 | とーま君の流儀2020
昨日行ったバイトで新しい展開があった。4月からである。もともとやってみたかったことが実現した。他のバイトでもスクーリングで、高校生達に教えているが、その新規バージョンである。ありがたいものである。こんなボキでも使っていただけることがありがたいのである。

もっとも、頼まれごとはゼニと殺人以外は断らない主義である。これをやってくれないかと言われたらやる。それだけである。

そうなのだ、けっこうまともなのだ。このブログだけだと、ふざけたジジイという面しか見えてこない。しかし、会ったらボキって、真面目ジジイそのものである。

わははっはははっはははっはははっはははっはははっはははっは。

あ、今週の土曜日に千葉市民会館でボキお話をさせていただく。午後1時から。2時間くらい。演題は「日本芸能から見た『語り』と『歌』の歴史」というもの。動画も使ってタノシイひとときを過ごしていただく。有料だけど。

概要は以下のとおり。

これから訂正もするけど。


今、抒情が危ない
我々のこころの世界が乾きあがっている
抒情を受け入れる器が壊れている 抒情とは万葉以来の生命のリズム 自然への讃歌こそが万葉
赤とんぼの叙情 
夕焼け 小焼けの 赤とんぼ
 負われてみたのは いつの日か
誰の背に負われていたのか?ネェヤの背に負われて見ていた夕日だとか、否、母の背に負われて見ていたという説がある
いつの日か・・・・・は?「いつの日か」が、かすれてしまっている。記憶がはっきりしない。もう遠くの世界に行ってしまっている。
この歌詞の最後は→夕焼け 小焼けの 赤とんぼ とまっているよ 竿の先
赤とんぼの構図
 子どもはあったかそうな、愛情たっぷりな背中で竿の先の赤とんぼを見ている。その遙か彼方に、夕焼けが広がっている。子どもの視線は、赤とんぼに止まっているが、子どもは夕焼けに包まれている。遠くに夕焼け、近くに赤とんぼ。そういう構図
夕焼けをみたことのない小学生
 こういう風景を見たことの無い小学生が43%もいる。ある調査によると。
消えつつある光景遠景としての夕焼け、全身を包み込むような落日の光景が消えつつある
作詞作曲した二人はなんと思うか
 歌詞は三木露風、曲は山田耕筰であるが、このことを知ったらなんと言うだろうか

三木露風
 三木露風が住んでいた三鷹市の駅前にあった「赤とんぼの碑」は、心ないものに破壊されていたのだ。三木露風は、5歳の時に母が家を去っている。離婚した
母親への慕情
 山田耕筰も、17歳のときに母をガンで喪っている。だからというわけではないが、この歌には母を慕う叙情がただよう
忘れがたいのが叙情
演歌はレベルが低い? 演歌はそんなに低レベルか?・・人生の真実を歌っている場合だってあるのではないのか 空中を飛ばなくなった歌 歌がヘッドフォンの中に閉じ込められて、空中を飛ばなくなった

阿久悠の言ったこと
阿久悠という作詞家が、「前略 歌が空を飛ばなくなったと申し上げたことがあります」と、「書き下ろし歌謡曲」(岩波新書)に書いているのだ。「近くには、ミュージックはあるがソングはない」とも。
塞がれている耳 老若男女ヘッドフォンというか、イヤフォンというか、そんなもんを耳につけている光景が目に付く。電車の中でもスマホ全盛である。なかには、自転車に乗りながらスマホで音楽を聴いているのもいる。危ないこと限りなし

ソングが好き ミュージック全盛の時代にあっても、演歌が好きである。つまりソングが好きである。

美空ひばりが大好きである。美空ひばりには ある種独特の悲哀感がただよっているではないか。名曲「川の流れのように」もそうだ。人々の胸の内に浸透し、その内向する心の扉をこじ開け溶け込んでいく 美空ひばりの歌には世代を超えて、感情の高ぶりや不安を慰めてくれる。悲哀感というのは、母心のようなモノなのかも知れない

 比べて短歌や和歌はどうだろう?短歌や和歌は、文学のカテゴリーに属していて、ある種高尚な構図を持っている。同じ感傷を扱っても、短歌や和歌には一筋の清流のごとき感じすらする。同じ愛や、死を悼み・・・ということですら、高尚になってしまう

演歌はどうだろう。底流に流れる軽薄な遊戯という感すらある。恨みとか未練、恋情などの解毒作用を持ったソングでしかないとされてきた

斎藤茂吉と美空ひばり
 短歌の勇者である斎藤茂吉と、美空ひばりを比べてみても、まるで違う。斎藤茂吉の場合は、上品・高等、美空ひばりは通俗だと言ってさげすんでも良いのかと感じてきた 人生の真実を語る演歌   「悲しい酒」という名曲には、人生の真実がある。
演歌は大衆芸能とか、低俗だとか言われる演歌だけど、ほんとうにそうか?演歌への誤解 短歌や和歌の伝統に比べて、演歌は低俗だとか大衆芸能だとか言われてしまう。
古典的評価
千年を超える伝統に支えられた短歌や和歌は、それだけで古典的評価を確立している。叙情というモノを確立してきたのである。演歌ごときに太刀打ち出来るわけがないではないかという評価はある 寂寥か、光明か。よ~~~~く考えないと、芭蕉の理解も間違ってしまう
「猿蓑」に出てくる
 憂き我を さびしがらせよ 閑古鳥
 という俳句を見るに至っては、生命観の躍動がなくなっている
この俳句は、元禄2年9月6日~9日。『奥の細道』の旅を終えて、大垣から伊勢遷宮参拝に行く途中曾良の伯父の寺三重県長島の大智院に3泊投宿して作られた俳句 もとは、
憂きわれを 寂しがらせよ 秋の寺
であった あくまで寂寥なのである。寂寥の世界から抜け出ていない。しかも孤独な芭蕉がいる。ただし、妙な宗教的感傷もただよっている。光明が期待されている

折口信夫の批判 折口信夫は、芭蕉がこの俳句にも挿入している仏教的精神を批判しているのである。だから、アララギの手法を批判している つまり古代人にあった孤独と悲嘆と寂寥の中に、歓喜と感謝と光明の仏教的精神を取り入れることによって、歌の伝統を軽薄なものに?

歌の伝統を軽薄なものにしていないのか
古代人にあった孤独と悲嘆と寂寥の中に、歓喜と感謝と光明の仏教的精神を取り入れることによって、歌の伝統を軽薄なものにしたと言っている 全集に書いてあることは「他力生活を知らなかった古代人には、孤独は孤独であり、感謝は感謝であった。『無即大』『空即色』など言ふ哲学はなかった」(折口信夫全集29巻38ページ)

折口信夫の手法
折口信夫は短歌を消滅させようとしたのではない。あくまで短歌のためを思っていたから警告をしたのである。このあたりが、彼の偉大な部分
39歳の時の論文
「歌の円寂する時」という折口信夫の論文である。大正十五年(1926)に出た論文である。若干39歳である。驚くべき才能
 古代人と神
古代人に神が存在していたのかどうかということである。我々の祖先である古代人は、孤独の中で生活していたし、感謝の精神も持っていなかったというのである。まったくの孤独の中で、大いなる寂寥を味わっていたのである。呪うべき寂寥であった

仏教伝来の意味するもの
仏教思想に裏打ちされた色即是空とか、他力本願もなかったのが古代人であった。その意味で、仏教伝来は古代人を変質させてしまった

 折口信夫の仕事は、研究 民俗学 古典 芸能 神道など 評論 文芸 歌論 歌話など 創作 短歌 近体詩 小説など

サラダ記念日のショック 全共闘運動の演説は五・五調だった 政府の 日本国家は 大学当局の等々 学生運動は 五七調とか七五調の破壊運動? 短歌的叙情の破壊 我々の日常的生活を律してきた古典的リズムの否定 伝統的生活感覚への反逆 全共闘的語調の退潮とサラダ記念日の登場 明るい言葉と新世代の感覚が受け入れられる 斉藤美奈子の俵万智批判(歌って踊れるJポップ 文壇アイドル論所収 岩波書店 2002年)俵万智の感受性が新しいなどとはとても言えない 受け入れられたのは、短歌という形式に古い酒(古い感受性)を盛ったから 世間には俵万智的受け入れる素地ができあがっていた 短歌以外の短文表現が隆盛してきていた コピーライト もうひとつの歌であるポップミュージックの流行 ユーミン等々 吉本ばなな的 文学の潮流 軽みとライト感覚=ことば遊び 広告の軽みを基調とするキャッチーな言葉遊び
冬のヨーロッパが好きだなんて・・・・あなたは大人だなあ(旅行代理店)
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日(サラダ記念日)
いつでも交換可能な「軽み」の感受性 広告コピーに多用される 八十年代に入って、新しい小説が登場  村上龍「限りなく透明に近いブルー」  田中康夫「なんとなく クリスタル」等々 八十七年には世紀のミリオンセラー 村上春樹「ノルウェイの森」の登場 

日本芸能を貫く「語りの歴史」 琵琶法師の語り 琵琶盲僧と瞽女(ごぜ) 小林ハルの歌 
 三味線の魅力
 葛の葉の子別れ
 能の名曲「弱法師」からとった「しんとく丸」

盲目の女遊芸人 門付芸人 日本芸能を貫く語りの歴史 ごぜの歴史が日本芸能を貫く不死身の語りの歴史 流離と放浪の中で浮沈を繰り返す盲人の精神史に重なる 芸能と信心が未分化のまま支え合う哀感の歴史 和讃や今様の旋律までが響いてくる

九十九里平野に伝わる和讃の伝統 横芝光町に伝わる「鬼来迎」もまたその和讃伝承の一種 南無阿弥陀仏の和讃が響いてくる

宗教芸能の系譜 平家物語や太平記語りでおなじみの言葉遣いの抑揚 講談や浪曲の言葉遣いの抑揚 空也聖や一遍聖たちの念仏の声までが伝わってくる 和讃の音色が混じり合い 「今様歌謡」の旋律までが立ち上がってくる 

永田法順さんの盲人芸能 盲僧琵琶の貴重な伝承者 昭和10年宮崎県東臼杵郡に生まれる 2歳で緑内障により失明 天台宗常楽員法流「検校」 回壇法要で唱えられるのが「釈文」(しゃくもん) 仏の教えを物語り風にわかりやすく説いたもの 日本の歌謡や芸能は、盲人抜きには語れない 江戸時代の「当道座」(とうどうざ)は琵琶法師の全国組織 当道座の圧迫を受けながらも、「盲僧」と自称して天明3年(1783)に京都青蓮院を本所として「盲僧座」を結成。三味線も活用していった。永田師の「釈文」語り 午前4時朝の勤行から 10日以上も帰らず、檀家回り 八百万の神々が鎮座し、それらの神々への感謝が家内安全の極意であるとした 「五郎王子の物語」が代表的・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


以上である。


BYE-BYE!
コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/