山形おっさんひとり旅
コロナウイルスのことは打鍵しないでいようと思っていたが、ここここに至っては打鍵せざるを得ない。最初、武漢のことが出てきたからあっと思っていたのである。二年前に武陵源に行こうとして、武漢駅の目の前にあるホテルに泊まったことがあったからである。食事もそこのホテルでとったっけ。だから、人ごとではなかった。心配していた。
近代的ですてきな町であった。食事もおいしかった。さすが中国料理であった。なんだか人ごとではないと思っていたら、今では日本国中大騒ぎである。亡くなられた方も出てきた。なんということであろうか。
クルーズ船には乗ったことがない。毎日、海ばかり見て過ごすのだったら、ボキは目の前にある九十九里浜を見ていたほうがいいからだ。それにクルーズ船の旅は高い。値段がである。年金暮らしではとても手がでないではないか。
今回のクルーズ船に乗っていた方々で、高齢者の方々がおられた。みなさん、人生をゆったりとタノシンデおられたのであろう。うらやましいかぎりである。余裕があるからだ。
ボキは時間はあるが、肝心のゼニがない。だから、クルーズ船の旅はできない。それに、船の旅だと運動不足になっちまいそうだ。ジムもあるから、そんなことはないとクルーズ船世界一周に行ったことのある老人大学時代の友人は言っていた。しかし、ボキには運動不足が一番怖い。料理もおいしいのだそうだが、これではまたまたエコノミークラス症候群になっちまうではないか。
それにしてもである。70代、80代で亡くなってしまうというのは、残念であったろう。意識ははっきりしておられたのであろうから。
死ぬときは、わからない。予定されていないからである。その予定も自分で決めることはできない。だから、現世のことであくせくしていたらそれこそもったいない。メリットとか、デメリットのことばかり気にして生きていたらなにかを忘れてしまったような気がしてならないのではないのか。
人生は決まっている。シナリオが書かれている。
あの東日本大震災で、ボキは神も仏もないとマジに思った。宗教は無力だと思ってしまった。それから、ボキは一人で生きていくことを選択した。なにか超越的存在に頼って、委託して生きることを止めた。
シナリオが書かれているとしたら、死ぬまでは精一杯生きていこうと思ったからでもある。今、この一瞬がボキの人生だと心底思ったからでもある。
BYE-BYE!