11億を稼ぎ破産した僕が語る。リタイヤ成功のためのアクションプラン, アキラ先輩, AkiraSenpaiPhilippines
1/9のバイトをやってきた。九つやっているバイトのうち、一つ。週に一回である。こんなボキでも使ってくださるから、ありがたい。しかも、相手の人品を評価できる。偉そうにしている奴の特徴というのもわかってきた。マジにである。だから、人と会うのはやめられないのである。馬鹿が、馬鹿を評価しているのだから笑っちまうではないか。
これって、大学のセンセもそうだ。偉そうにして威張っている奴ほどたいしたことはないのである。経験上。東京にある帝国大学出身のセンセは、こんなのはいない。威張っているのは、二流のセンセだけ。しかも大学自体もたいしたことはない。専門学校から戦後格上げになって***大学と名前がついているだけ。
おっとこんなことを打鍵していると退学させられてしまうではないか。
わははっははははっははっはははっははははっはははっははは。
それにつけても、ボキの母校である高校は校長が東大、倫理社会の先生も東大、政治経済の先生もそうだった。世界史も東大。数学にも物理にもおられた。教頭が東京教育大。担任が東北大。古典も東北大。なんちゅう高校だったのだ。ついていけなかったのは当然であった。慨嘆しているしかなかった。入学すべき高校を間違えてしまったから、挫折の連続になっちまったのである。
そもそも最初が肝心である。スタートである。
思い立ったが吉日とはよく言われるけど、高校受験で母校を受けようと思ったことが間違っていたのであろうか。
ボキ、実は米沢にある商業高校を受けようと思っていたのだった。そしたら、従兄で日ごろから尊敬している人に説得された。お前は、チャレンジしてみることだと。それだけの価値がある高校だから受けてみなと言われた。結果、どん尻で合格してしまった。どうせ不合格だろうと思って、家でこたつにあたっていた。そしたら、合格発表の日に、同級生が家にまで来てくれた。高校卒業後、あの有名な一ツ橋大学に入学したK君と地方国立大学からANAに入社したY君であった。
参った。
こんな秀才とこれから3年間一緒に勉強しなくちゃアカンのかと、思った。
もうスタートから負けていたのである。
それから、半世紀以上。
キャンキャンと言っているだけのジジイでございます。
(笑)