と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

無所属の時間

2009年01月13日 22時08分33秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 山本七平先生の著書にTitleのような著書があるのを思い出しました。
 
 わたくしも含めて、われわれ人間は何かの組織に所属しております。
 したがってその範囲内でしか、行動できないわけです。

 わたくしが良い例でしょう。
 このBLOGでもかなり自己規制して書いています。

 悪用したら、そしてその方法も熟知しておりますがそれは絶対にできない。
 やるつもりもない。
 (^0^)/
 かなりのPowerになるのがこういうツールなのです。

 しかしです。
 所属を離れた地点から、自己の哲学というか、読書を見直さないといかんと思っているのです。

 それこそ山本七平先生の仰るとおりです。

 でないと自己の思想を練り鍛えることはできません。

 高校生であってもそれは視野に入れて、普段の勉強をしていただきたいと思います。

 基礎的な学習をしてからこそなのですが。

 わたくしも人のことは言えません。勉強不足です。まだまだやること、やらねばならぬことは山ほどあります。
 
 無為・無策のまま年をとっていきたくはないのです。自己の専門性にとらわれて、たかだか大学でちょっとやっただけのことで、一生を終わりたくはないのです。まだまだ深めたいし、深めねばならないと思っています。中途半端では死んでも死にきれません。

 無所属の時間を大切にして、これから深山幽谷を仙人のように飛び回り、修業していきたいと思っておるのです。時間がいくらあっても足りません。

 学問、武道、哲学。

 中途半端な生き方だけはしたくないと思っています。

 
 県銚生!

 がんばりましょうね。

 後のない校長ですら努力しているんですよ。
 
 また明日。



 

 
 
 
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露伴の五重塔

2009年01月13日 21時33分03秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 今日の記事で、露伴の五重塔を紹介して、これは失敗したかなと思ったものですからまた記事にしました。

 これはちょっと大学生でも難解かなと思ったものですから。

 わたくしの家には岩波書店版の露伴全集があります。それをさっき見つめていて、しまったと思ったわけです。

 実態にそぐわなかったなと。

 もっとも、早熟の天才にはそんなことはないのでしょうけれども。しかし、書いてしまったものは仕方なし。

 ☆

 今日、ある先生と話をしていたのですが、一見役に立たないと言われる学問でも、それを知りたいという欲求があればそれがたとえ徒労に終わろうとも、それはそれで価値ある試みなのではないかということでした。その点に関しては実に同感させていただきました。

 定年後、わたくしはさらに学問を続けたいという欲求があります。
 
 あまりにも悲惨な学生生活を送りましたし、まだまだこれからも成長出来ると思っているからです。可能ならば印度古代哲学をやりたいのです。入学させていただけるならばです。時間も自由になるでしょうし。

 体力面でもまだまだPowerが衰えません。

 一時のような140キロもベンチプレスで上げていた時期はさすがに去ってしまいましたが。

 米一俵くらいならまだまだ上がります。

 柔道でも、だんだん総合格闘技みたいになってきて、もはや柔道ではないのを恥ずかしく思っています。四街道にブラジリアン柔術の道場があるので、そこに通学させていただこうかとも思っておるのです。グレーシー柔術は偉大です。もっとも拓殖大学柔道部師範の故木村政彦先生に、グレーシー創始者は腕を折られる大敗を喫しましたが。

 つまり向上しようという気があれば、年齢は関係なしなのです。しかしです。今日は失敗しました。

 いくらなんでも露伴を紹介するとは、わたくしの失敗です。

 なかなか理解できるわけがないと思ってしまいました。

 悔しいと思う生徒は、チャレンジしてください。
 (^0^)/

 そして、わたくしにここまで読み込めたぞとレポートでも出してください。それこそ知的欲求です。

 露伴全集でも貸してさし上げましょう。

 大きなお世話ですかな?

 また明日。

 
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銚子半島駅伝

2009年01月11日 00時01分06秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 今日は銚子半島駅伝です。

 県銚もインターネット中継という形で参加させていただきます。
 名誉なことです。
 城西国際大学の先生方と、コンピュータ専門学校の方々と一緒です。県銚の先生と生徒たちが参加いたします。

 こういう形での中継というもの、参加形態というものが登場してくる時代になったのです。感慨深いものがあります。

 ここまでインターネットが盛んになろうとは思ってもみませんでした。

 しかし、アナログの魅力もまたいいものです。分厚いノート片手に太い万年筆でメモをするのが好きですが、なかなかこういう手作業みたいなものも基礎基本のような気がしていいなぁと思うことがしばしばです。

 わたくしは、残念ながら、一日全部をおつきあいできませんが、朝だけご挨拶に伺います。それから電車でとって返して、出かけなくてはなりません。毎週全部、日程が入っています。土日もです。それに毎週日曜日は絶対に必ずあることで予定が入っています。いわゆるリマインダーというわけです。それを外すにはいろいろと相談しなくてはならないことになってしまっています。

 これだけ社会的なおつきあいで時間をとられると、いきなり予約なしで来られる方にはいささかの疑念を感じてしまいます。まさかそれほど忙しいとは思ってもみないのでしょう。さらに原稿書きがたくさんあります。締め切りが迫っているのが、二本あります。話をせよと言われる方があって、そちらのレジュメも書かなくてはなりません。

 じゃぁやめればいいじゃないかと言われそうですね。
(^0^)/

 わたくしの場合、自分で自分を追い込むというのが好きなのです。文武二道をやってきましたので、そういうように身体が、精神が自然となってしまっています。ま、どっちもたいしたことはないのですが。学者でもありませんし、オリンピックに出場させていただいたわけでもありませんから。

 しかしです。
 昨日、銚子半島駅伝に出場するとおぼしき中学生が、日本語暗唱教室の参観の帰り銚子市内をたくさん走っていました。すばらしいものです。わたくしのような中途半端な文武二道ではないのだろうなぁと思いつつ、クルマの中からそっと応援をさせていただきました。

 がんばれ、がんばれ、と。 
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日本語暗唱教室に参加させていただいて

2009年01月10日 21時37分43秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 県銚のT先生が日本語暗唱教室(BeCOM様主催)で講師を務めさせていただきましたので、わたくしも目立たぬように空気のごとく(授業の邪魔になりますから)たたずんでおりました。漢詩です。教室後方でデジタルビデオを撮っておりました。

 輪になって、イス取りゲームのように工夫して展開していました。やはり経験です。授業の工夫はこうして他流試合のようなかたちでやることもまたいいものです。
 
 わたくしも、20代後半に他の中学校2校で模擬授業をやっていろいろな先生方から見ていただいて、御指導をいただきました。時には100人くらいの先生方が見ていらしたこともありました。自分の学校でなら、少しは自信もあったのでしょうけれども、何しろ他校。大変でしたが、これが良い経験になったと思っています。生徒の実態把握にとてつもない時間がかかりましたが。

 漢詩を暗唱できた子供たちがたくさんいて、そのメカニズムに興味がわきました。直接インタビューしていませんからよくわからないのですが、おそらくはところどころに暗唱のKEY WORDを設置しておいて、記憶がよみがえるようにしていたのだろうと思ったのです。見事なものです。子供たちの能力をあなどることはできません。

 こういうシーンを見させていただくと、まったくエミールの世界です。ルソーは偉大だったなぁと感じていました。カント先生が、エミールがあまりに面白くて、ついつい時間のたつのも、散歩も忘れてしまって、近所の人たちが万一のことを考えてしまったということも分かるような気がします。

 幼いものたちが育ってくるということはほんとうに心地よいものです。

 未来がそこにはあるからです。

 今晩もこの寒風吹きすさぶ中、(ホントに今日は寒かったですね)柔道の稽古をしてまいりました。
 
 みんな強くなっていくことが、無性にうれしくなっています。昇段試験も近く、皆、真剣です。

 若い力の台頭がほんとうにうらやましく、教員としてうれしく、頼もしい世代だなぁと思った次第です。

 BeCOM様、ありがとうございました。

 
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伝統への挑戦

2009年01月09日 23時20分58秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 わたくしは、伝統への挑戦ということが好きです。

 つまり今まであった伝統的な歴史的遺産を高めることなくその地点に安住していると、ろくなことはないと思っておるのです。中国の古代歴史もそうです。春秋戦国時代のおもしろさはたまりません。興る国有り、滅びる国あり。人心の動きも実にめまぐるしい。もっとも、宮城谷昌光先生の小説で仕入れた程度の知識です。原典すべてにあたったわけではありません。知ったかぶるのもこれくらいにしましょう。

 また、江戸から明治への維新もそうです。伝統にあぐらをかいていると寝首を掻かれると思っています。

 県銚は伝統への挑戦をしている学校です。
 共学化したということは、100年になんなんとする歴史と文化、先輩の方々の構築された価値をさらに高めるために新たな出発をしたということです。

 大学だってそうでしょう。
 大学と言ったって、明治維新からの大学なのです、殆どが。

 まだまだ新しいわけです。

 制度というのは永遠に続くというのではありません。
 どこかで打ち切りになってしまう可能性もあります。
 所詮人間の作ったものですから。

 クルマだってそうです。経済状況に左右される。この間のガソリン高騰で、なんだかいろいろ危うい状況がありました。心配しているのですが。つまりクルマだって永遠に続くモノではあり得ません。

 また、インターネットの影響で、活字媒体の存在意義が真剣に言われています。こんな時代が来るとは思ってもみませんでした。活字媒体は永遠だと思っていました。なんだかそれも危うい状況です。

 かく言うわたくしも校長室にあるのは電子情報としての文書が多いのです。通知文とかの活字媒体は、殆どPDFというもので処理しています。ですから、分厚いファイルがまったくありません。そのスペースは書籍が占めています。

 講義・講演もICレコーダーで処理しています。テキストファイルに変換もしてくれます。アイディアもそうです。

 しかし、一次情報としての読書から得た情報は手書きノートです。頭に入る度合いがちがいます。

 そんなことよりもこの変貌するわが県銚に入学していただいた在校生たちに敬意を表したいと思います。

 価値創造を、伝統形成を自らやってのけようと思って入学してきた在校生にこころから感謝しています。ある意味、勝負ですから。

 明治維新を挟んで、いろいろな大学が生まれた時に、同じような伝統への挑戦をしていたのが、現在の大学を形成しているのだと思います。顕著な例が私学の雄と言われる大学群です。伝統は、在学する学生たちで作り上げてきたわけです。すばらしいことです。

 県銚でもそれが行われています。歴史と伝統を、「今」作っているわけです。

 こういう学校に学べることは、実に楽しいことだと思います。自分たちが、今この瞬間にこれからの県銚の伝統を作りあげることができるのですから。こんなに生き甲斐のある話はありません。

 一緒に作りませんか、県銚の歴史と伝統を。



 
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わだち

2009年01月09日 22時00分06秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 生徒会で出している文集に何か書いてほしいと言われました。
 文集の名前は「轍(わだち)」であります。

 このブログでは丁寧な文体で書いているつもりですが、時には勇ましい文章もいいだろうと思って、励ましのつもりでさきほど常体で書きあげました。文集の方は卒業時期に出版するのだそうです。

 轍というのは普通は車の通った後にできるものです。
 それが常識でしょう。後ろを振り返れば、二本のラインが出来ているってわけです。
 
 わたくしは、それを逆転させて、どの道に轍をつけるか前を向いて、その道を見つけて、大いに努力して、一番いい道を探してほしいとやってしまいました。ひたすら前を見続けたいのです。過去は振り返りません。主義として。もう過ぎ去ったことをぐちゃぐちゃ言っていても何も生産性がありません。それよりもこれからどうするかです。自分の可能性を見つけることです。

 それが自分を知ることであり、そのために勉強しているんですよというわけです。本当はこれが一番難しい。ソクラテスも言ったように。
 
 しかしながら、ドンドン鳴らすラッパのように勇ましく生徒たちを激励したいというのが一方にありますから。勇ましいのが本当は好きなんです。「気合だぁ」とおっしゃっている元プロレスラーの方の試合も見にいっていたくらいですから。それと、グレーシー柔術も見に行きました。
(^0^)/

 話はさておき、流行に乗り遅れないとか、悪いこともしなければ、良いこともしない。人のため、世の中のためになることもまったくしたくない。考えていることは、自分のことばかりというのでは仕方ないと思うのです。

 なぜ横並びばかり考えてしまうのかとも慨嘆しているのです。

 もっともっと個性を磨いて、自分の言葉で語ることができるようなそんな大人になってほしいなぁと心から思っておるのです。

 そしてその奥底には計算もできる、成熟した大人の対応もできる人物になってほしいと思う部分もあるのです。

 いろいろなことができる高校時代を大切にしていただきたいと、思っています。

 チャレンジです。
 
 なんでもやってみようということです。

 ではまた明日。
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始業式での校歌

2009年01月08日 22時26分41秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 わたくしはこの校歌がたいへんに好きであります。

 このように若人のこころをみごとにわしづかみにしている校歌が他にありましょうか。

 最後がたまらなくいいです。涙すら出ます。

 叙情と言えばそうかもしれません。

 琴線にふれる思いというのはこういうことなのでしょう。力強く、叫ぶような校歌もいいでしょうけれども。

 白いページ開いて、はじまりの時

 その白いページに何を書いていくのでしょうか。わが県銚の生徒たちは。入学式の式辞でもそのことは申し上げましたが、ほんとうにそう思います。

 作詞作曲の加藤登紀子様にいまさらながら感謝です。


始業式での校歌



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鏡を持って(始業式レジュメ)

2009年01月07日 03時35分40秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
    鏡を持って
 新年あけましておめでとうございます。
 どのような生活をしていましたか。勉強、部活、趣味等々いくつも選択肢はあったと思います。なかにはおもちの食べ過ぎでという人もいるかもしれません。それも今日からは学校中心の生活に戻してください。
 さて、年末にわたくしは幕張のホテルに宿泊しながら職免をとって人間Dockを受けておりました。周囲はクリスマスの喧噪の中で、持参した数冊の書籍を読んでおりました。
 考えたことは周囲の方々への「感謝」ということでした。県立銚子の先生方にも、むろん諸君達にも。家族にもです。
 持参した書籍の中に和辻哲郎博士の「人間の学としての倫理学」があって、ふとあるページに目が止まりました。そこには、倫理の「倫」とは、仲間。「理」とはことわり。倫理とは、人間共同態の存在根柢としての秩序とありました。さらに、孟子の引用をしながら、人倫を教えるとは、父子有親・君臣有義・夫婦有別・長幼有序・朋友有信を教えることとあったわけです。特に感心したのが、親子の間にあっても「仁」(親愛)が、夫婦の間にあっても「礼」、長幼の間にあっても「智」が大切であるという点でありました。ちょっと難しくなりましたが、つまり倫理学とは人間関係を扱うものだということをここでは把握してください。
 そして、人間関係があって、自分があり、他人があるということなのです。当たり前のようなことですが、自己を確立し、自己が他人との関係で存在するということを心から感謝と共に受け取っていただきたいということです。
 ともすると俺が俺がと自分のことばかり目が行って、他人のことなど眼中にないということが起きかねません。自分さえ勝てばよいとか、そういうことです。相手への敬意がない。そういう人が多くなってきました。大人も含めてです。あるいはわたくしも人のことは言えないでありましょう。どこかで人の心を傷つけ、平然としているのかもしれませんから。
 そういうことに気がつかないということなのでしょう。これは普段から注意していないとわからないことであります。ですから、平常の生活態度のあり方が重要になります。
 これは学校生活だけでできることではありません。家庭でも、道を歩いていても心がけないとできないことであります。
 しかしそれではしょうがありませんから、学校生活に絞って考えてみると、恥じない生き方ということになるでしょうか。たとえば、持っている飲料のカンをぽいと捨てるとか、お年寄りに邪険にするとか、たばこを吸うとか、いろいろな場面設定ができます。そういう恥ずべき行動は誰かが見ています。地面の上で見ていなくても、空があいています。太陽が、お月様が見ています。曇っていても雲の隙間から見ています。
 つまり自己の心に恥じない生き方をしていただきたいと思うのです。できれば自己の心を映す鏡を一個各自の精神の中に持っていただきたい。 
 これから、進級、卒業に向けていろいろな試験があります。どうか、一生懸命に絶対に怠けず勉強していただきたい。全員進級、卒業できるように。
 終業式でも言いました。
 明治の元勲達を育てた吉田松陰は、塾に通ってくる生徒たちに「勉強なさりませ」と。今回もまた同じことを申し上げたい。
 「努めなさりませ」
 「励みなさりませ」と。
 今年がみなさんにとってよい年でありますことを、祈念して始業式の挨拶とさせていただきます。
(平成二十一年 三学期始業式レジュメ   外山日出男)

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明日始業式ですよ

2009年01月06日 21時47分42秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 今日、ある先生と話をしていました。

 千三つの法則という失敗学の法則があるのだそうです。そんなことをめぐって、でした。主として会社等の方から聞いた話です。学校にも当てはまる部分があるのを否定することはできないと。新しい未知の分野にアタックしたときに成功する確率だそうです。

 もっともこちらのほうは失敗学の本家本元の先生の書籍にも書いてあります。
 畑村洋太郎先生のご本です。(「失敗学の法則」文春文庫)

 なかなか世の中はうまくいかないようにできているようです。
 
 しかし、だから面白いのかもしれません。

 どこがまずかったのか、仮想演習をしてもできなかった部分はどこだったのかという観点から考えることもまた大切であります。

 しかし、成功したといってもそれは仮の現象でしかなかったという可能性もあります。

 今、世間で騒がれているいろいろな事象もこれなのではないでしょうか。そんなことを思うのです。

 なにか奥歯にものが挟まったような言い方です。具体的に書くといろいろ問題になりますから。

 課題を設定し、仮想演習をする。
 失敗は逆演算でからくりを追及する。

 こんなやり方でいろいろとやってきました。
 それでも予想は外れることがあります。

 学校もまた例外ではありません。

 学年末、学期末に向かって予想される問題点をいくつか挙げ課題設定をし、仮想演習をしています。予想されるトラブルも含めて。失敗のからくりも予想できますから、逆から考えていきます。

 口幅ったい言い方ですが、こんなわたくしでさえ分厚いノートを片手にいろいろとメモを取りながら業務分析をしているのです。遠くも近くも見えなくなって、もう本当に情けない状況ですが、やるしかない。そのかわり、超太字の万年筆で思い切り殴り書きのようにアイディアメモを括っているところです。


 明日から学校ですよ。

 早起きしましょうね。

 待っています。

 明日の始業式のレジュメは明日の早朝3時ころにここにアップされますから、また読んでみてください。今回はちょっと難しいかなと思いつつ予約投稿しましたから。印刷もしておきました。用紙高騰の折、各学級一枚だけ配布しました。時間があれば見てください。

 じゃぁまた明日!
  
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失敗学

2009年01月05日 22時56分04秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 今日は学校もまだ静かです。
 一部の生徒の登校があっただけです。
 部活動とかの。部活のジャージを着た生徒たちと何人か言葉を交わしました。


 さて、失敗学という分野があるのだそうですね。
 いくつか読みましたが、最近ではダートマス大学のシドニー・フィンケルシュタイン教授のが面白く、その名も「名経営者がなぜ失敗するか」というもの。イノベーションと変化への無為無策とか、戦略のミスとか、優秀企業の大失敗をこれでもかこれでもかと書いていただいているのです。

 「初期警告サインを見つけるための17の質問」とか、「過剰な誇大宣伝に気をつけろ」とか、実に面白くてたまりませんでした。

 失敗の原因として「なにが起ころうとわたしのせいではない」などというページには特にマーカーをつけて楽しみました。

 あるいは、「優秀さの幻想」とか、これもまた楽しい指摘です。

 つまり傲慢さからはわたくしも含めて逃れられないからです。

 誰でも自分だけは優秀だと思っているし、成功したら自分のせい、失敗したら他人のせい。

 これが会社をゾンビにしてしまいますよ!っていうわけです。

 他人事ではありません。

 自分自身に一番言い聞かせないとなりません。

 そんな風に思いました。

 さて、今回このブログのテンプレートを変えてみました。
 熊さんの持っているたぶんリンゴですが、これがハートマークのようにも見えてなかなかよいなぁと思ったからです。

 燃えるハートで、学校生活を送ってください。

 そういう意味でこのテンプレートを選びました。
 
 時々変更しますけれども。
 誇大広告にならない程度にです。


 では、また明日。
 

 

 
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倦くことなく

2009年01月04日 21時58分14秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 5日から学校は実質的に機能します。
 まだ生徒は部活動以外は登校していません。

 さて、NHKの大河ドラマ天地人を見させていただきました。風土的に非常に関係のある育ち方をしましたので、楽しみにしておりました。
 直江兼続が、5歳で家臣になるという話でした。あどけない童子が両親とわかれて後の上杉景勝となる人物にお仕えするという設定です。

 兼続役の子役の演技も上手でした。かわいいけれども、勝ち気で頭もなかなかよろしいという設定でしたが、登場人物と一体化してしまいました。わたくしの方が。
 それと兼続の母親役にもぐっときました。5歳のわが子を手放さくてはならないという設定に。
 春日山のお城にも。
 景勝と兼続が学んだお寺雲洞庵にも。

 わたくしはこの時期のいわゆる戦国時代の資料(史料ではありませんよ、史料などと言ったら傲慢です)を漁るのを一種の趣味としてきましたので、よけい思い入れがあるのかもしれません。

 こうした歴史への接点もあってよしと思っております。それがどんなふうに将来の展望になっていくかわかりませんし。要するに面白いから、でいいのだと思っています。

 上杉景勝、直江兼続の後の世に、わたくしの最も敬愛する上杉鷹山と細井平洲が現れます。彼らの資料もそろえております。当然です。彼らのつくった学校に学ばさせていただきましたから。今日も細井平洲先生の著書を読んでおりました。よくインターネットには、菊作りと人間教育ということで、二人のことを紹介している方が多いのですが、それだけではありません。実に、汲んでも汲んでも尽きせぬ知恵がそこにはあります。

 学ぶということは、文机の上で読むだけでは不足です。実践あってこそです。今日の細井平洲先生の著書にはそんなことも書いてありました。

 勉強するというのは、人物となるためであります。楽するために勉強するのではありません。人を騙すために上級学校に進学するのでもありません。クイズ番組のような受験テクニックだけで、将来世間を渡ることができるほど甘くはありません。もっともそれすらないというのでは何をかいわんやであります。

 山本七平先生の論語の読み方という最近買った本にも同じようなことが書いてありました。

 断片メモをとってありますので、整理しながら再度メタノートに挑戦です。

 中学生の皆さんも、今頃文机にむかって正座でもしながら、学問に励んでおられるのだろうなと思っています。

 外は雪。
 がたぴし震える窓とともに、貧しい受験生活を送った身としては、もっと厳しい環境と精神で精進していただきたいと思うのですが、そんなことを言っても太古の人間の呟きにしか聞こえないでしょうけれども。



 務めなされませ。

 いよいよ3学期ですから。

 倦くことなく。
 弛まず。
 
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キレずに、丸く、丸くなれ

2009年01月01日 22時11分30秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 新年あけましておめでとうございます。

 基本的に宗教のことは教育公務員としては書けませんので、初詣にはふれません。わたくしはそういうところにはまったく行きませんし、ずっとこたつで本を読んでいましたから。

 しかし、「キレずに、丸く、丸くなれ」というようなことが初詣で書いてあったということを聞いて、これはいい話だと思ったので紹介します。群馬県と栃木県の境目に住んでいる方から教えていただきました。

 キレる人間が多くなって、丸くなるということがなかなか無い世の中になってしまっています。困ったことです。

 武道をやっていますので、キレる人間は実はたいして強くないということを体感で知っています。冷静な格闘家が一番怖いのです。これは本当にそうです。Powerと冷静さがあったら天下に敵なし。

 人の悪口をまったく言わないというのも、これもまた怖い人間です。冷静だからできるんでしょう。何を考えているのかわからないし。

 キレる人間なんて、簡単に自分のことを表に出してしまうから、いわゆる馬脚を現すということなんです。実力のなさを自ら宣伝しなくてもいいと思うのですが。

 わたしくは、実力も無ければ、キレるだけの力もありません。
 普通の人間ですので。

 冷静に自分の実力を高めたいと思う日々です。
 今年は、柔道に加えて太極拳を始めます。
 あのゆったりとした動きの中から何かをつかみたいと思っています。

 丸く、丸く生きたいものです。
 せめて今年一年くらいは。

 よろしくお願いいたします。
 本年も。
 <(_ _)>

 
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/