と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

お~い富士よ 元気でしたかぁ

2012年07月17日 18時27分51秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

河口湖畔から見えた富士 お元気でしたねぇ・・

好物のほうとう 不動の方を愛好しています

不動の店の中 呪ですね 呪 今回のテーマ

歴代の武将の絵をずっと見ていました

氷柱です 風穴 氷穴と共に見て回りました

ここも呪の世界 青木ヶ原

こちらは有名な忍野八海です 深いですねぇ

 

 なんだか気になることがある。富士の機嫌が悪いのではあるまいかと。最近の自然の猛威は、「呪」ではないかと思う時があるからだ。白 川  静 先生の書物で、呪ということを考えるようになってから随分たつからである。

 一番なのは、土・日は混雑するから、平日に移動可能な愚生としては、今日、是非とも富士のカオを見にいきたいと思ったからである。

 富士は一端怒り出したら怖いですぜ。こんなおっかないヤマはない。だから、ご機嫌を伺いに来るのである。太宰治だって、富士を見ているときは機嫌が良かったのだから。

 それに暑いときには、熱いほうとうを大汗かきながら食べるに限る。さすが信玄さん。いいものを考えてくださったものである。暑いからと言って冷たいものばかりを食べていると良くない。体に良くない。

 往復492キロ。

 まぁ、よくも頑張ったもんである。

 

 それだけです。

 今日は。

 

 

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7月16日(月)のつぶやき

2012年07月17日 03時45分25秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

18:15 from web
18:13 帰宅。東京から。東京駅八重洲口からSchool Busが出ているので、堂々と学校まで。求名の駅との接続もよろしく、あっという間に帰ってきたです。ありがたや、ありがたや。

18:16 from web
平家物語講座を拝聴して、これで前期の最終回。師匠に感謝。学び方を教えていただいたから。

18:18 from web
神田に寄った。学部時代から(42年前から)通っていた二宮書店で、中島敦全集を買った。なんと3000円。30000の間違いかと思ったが、千円札3枚でありましたよん。全集は手紙があるから、作家を知るには必須ですよねぇ。これで、楽しい時間をすごすことができる、

18:20 from web
しかし、えらく重い。えっちらこっちら死ぬほど重い。カネとチカラがないからなぁ・・とほほ

18:20 from web
それと岩波文庫の古本を少々。

18:22 from web
疲れたので、これからジムに行って身体を鍛えてまいります。そういえば、学校はそろそろ夏休みか・・・オレ、そういう時節のうつりかわりもまったく関係無くなったですなぁ。

18:22 from web
では、また夜にブログでお目々にかかりまひょう

22:14 from gooBlog production
コギャル、爺ギャル blog.goo.ne.jp/tym943/e/7ffff…

by tym943 on Twitter

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キャピキャピじじい

2012年07月16日 22時46分44秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 一週間に2回東京に行った。なんとまぁご苦労なこった。好きで行っているんだから、もう救いようがない。しかも、毎回同じように神田に出かけては古本漁りをしてくるのだ。好きだなぁと思う。こんなことを42年やってきたのだ。18歳になって初めて神田神保町に行ってからほとんど病的ですらある。

 

 先週の土曜日に方丈記講座、今日が平家物語。間が一日しか無い。どうせ関東に住んでいるんだから、こんなもんでしょう。定期券を持っているから、できるんだな。こんなこと。さすが還暦老年学生。せめてそのくらいしなくちゃいかんです。

 

 読書ばかりしているわけではない。十分息抜きもしている。毎日が日曜日だから、家庭の仕事もしている。そして、明日は女房ドノと富士山を見にいく。えっ?富士山?千葉からでも見えるだろうって?

 

 はい、そりゃぁ見えますよ。十分。でも、近くで見るとまた違うですな。いいもんです。富士の山。要するに心身のリフレッシュというやつである。ドラィヴをすることで、心身を回復させるんです。疲れたら逆にジムで身体を酷使するということで、かえって疲れがとれるのと一緒である。

 

 ましてや、オレは体育会系のバリバリの体を、かつてはしていたから。ずっと本ばかり読んでいると精神をやられる。病む。だから、ええええええええぃっとばかり外に時々出ていくのだ。気合いだ。キアイだ。kiaiだぁ~。

 

 大型オートバイを所有していた頃は(55歳くらいまで)、病的にふらふらと外に出ていっていた。定期的にそういう発作が起こるらしいのだ。経験上。そしてまた病気が起きる兆候を感じる。大型オートバイが欲しくなっているのだ。毎年、夏になるとその病気が始まる。じじぃなんだから、もうおとなしくしていればぁ~ってよく言われるが。もっとも、痩せてから寒いのだ。オートバイに乗ると、風が骨身に染みてくるのだ。情け無い。まことに情け無い。だから限りなくこのことは実現不可能であるが。

 

 今日は、神保町でずっと時間をつぶしていた。というより、帰りのバスの時間さえ気にしなければずっといてもいいくらい好きなんだ。あそこは。ちなみに、今日も地下鉄神保町駅の真上の中華料理店で昼食をいただいた。安価でけっこうおいしいのだ。かけラ~メンが280円である。ホンモノの中国の人が作っているのだ。(^0^)

 

 橋本治碩学の学恩によって、清少納言を見直したので、枕草子関連の資料も買いあさった。いろいろと買ったが、もう重量オーバー。持てない。女性にもてない?ではなく重くて持てない。

 

 そして思った。こういう橋本治先生の感覚で清少納言を理解したら、こりゃけっこう楽しいでっせということである。現代キャピキャピギャルを彷彿とさせるではないか。橋本流は。だったら楽しい。枕草子が。


 受験勉強でやらされるから、嫌いになってしまうんである。だいいち、高校の時に重々しく教えていただいたようなちょっと気取った、***はいとをかし、~~~はあはれなりをなんて訳していたか、今更ながら機械的文章語でやっていたではないか。あれでよかったのかねぇ。もっとも、それでなければ大学は合格できなかったのだろうけれども。しかしである。もっと清少納言ちゃんは楽しく書いていたんではないのかということである。そうならそうで、受験勉強型の枕草子とはイメージが違ってくるではないか。

 

 教科書というのはまことに不思議なものである。おふざけで書いたかもしれない部分が、教科書にある、大学受験で出てくるとなった瞬間から実に重々しくなってしまうではないか。

 

 論語だってそうだ。Twitter的な魅力もあると感じているからである。あまりにも重々しく構えていると論語の魅力も半減する。Twitterだと思えば気軽に読めるのだ。そして、そこからいろいろ考えればいいのである。

 

 中島敦だってそうだ。今日は全集を買ったが、作品よりも彼の周囲の資料が欲しかった。かなり高いものであったから、これまでは躊躇していたのだ。しかし、3000円であったから買えたのだ。

 

 これは師匠の影響を受けている。狭い専門性に閉じこもろうとしたのである。入学当初は。しかしである。師匠は古典文学の泰斗であるにもかかわらず、近現代文学にも造詣が深い。なんでもご存じである。さすが泰斗である。かなわない。

 

 で、修正したのである。専門は専門。周辺の勉強もきままにやっていこうと思ったのである。いいではないか。なにかになってやろうっていうのもないのだから。もっとも、そりゃぁ無理だわな。


 でもね、一つだけなりたいものがあるんである。

 オレ、健康で・元気なキャピキャピじじいになりたい。

 (^0^)/ウフフ

 

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わからないからわかるようになる

2012年07月15日 06時04分41秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 6:05である。昨日は、ブログの記事を書かなかった。

 東京で、師匠に方丈記を教えていただいていた。中原中也と鴨長明との関わり、災害と和歌文学等々のご指導を拝受して、感激して帰ってきたのだ。むろん一般人相手の講座であるから、わかりやすく教えていただいている。これもまた師匠に感謝である。なぜって、オイラもまた素人同然であるからである。当たり前である。第一、師匠から見たらその素人のレベルにすら達していない。なにを考えておるんだと、天下の笑いものになる。(もうなっているか・・)

 60になっても、古典が苦手でよくわからないからである。一応、これまで座右にナントカ古典大系とか、古典集成とか岩波文庫とか、大量に集めて読んで(眺めて)はきた。ノートの数も半端じゃぁない。源氏物語に至っては、読書カードが数千枚ある。B6の京大式カードだけど。しかしである。量ではないのだ。あたりまえである。そしてやればやるほど、オノレのアタマの悪さが身に染みるのだ。高校の同級生達にも笑われたっけなぁ。「と~まよ、なんで国文科なんかいくんじゃぃ?新聞配達して行くような学科・学校かぃ?」って。ふんふん。(^0^) ¹

 今と同じ言い方をされているではないか。なにしに大学院なんかいっちょるのだぃ?ってねぇ。60過ぎたんだから、もうちょっとまともな生き方をせよ!と目を三角にして言われる方もいるのだ。ありがたくて涙がチョチョぎれる。イタンジだなぁとも言われる。否、イタンジ?それって、異端児って書くのですかな?それじゃぁ、異端爺と書かないといかんでしょと申し上げると呆れて、もう何もオッシャラないのだ。助かる、助かる。


 そして、今朝はなんでこんなに古典がわからないんだ?ってことの原因が昨夜わかったということを書いてみたい。それは、ま、たいしたことではない。むろん愚生の能力もある。それはそれ。あることに気がついたのである。つまり、男共は、古典の時代の男共は漢文だけを読み書きしていたということにハタと気がついたのである。(紀貫之は例外っすよ)

 ということは、女共は・・・ということなのだ。なんだ、簡単だったのだということである。

 つまり女はかなを使って書いていたのだ。もっと言えば話言葉である。さらに言えば、平安期は今のような敬語表現が完成していなかったから、女性言葉が乱暴だった可能性がある。それをである。機械的に文章語に置き換えていくから、何を言っているのかわからん訳語ができあがるということを、東大国文科出身の橋本治先生の「『わからない』という方法」(集英社新書)で教えていただいたのだ。(同書 pp.69-224) ²

 ちなみに橋本先生の存在を知ってはいたが、これまでまったく読んだことがなかった。いろいろと古典系の作品がある。しかしである。書名の付け方に違和感を覚えていたのであった。手にとってはみたものの、読まなかったのである。

 しかし、今回初めて手に取ってみて、こんなに深く考えておられるとは気がつかなかった。昨夜は、ずっと先生の他の書籍も読んでいたのである。読むついでにAmazonで他の桃尻シリーズも注文した。「桃尻ナントカ」ってタイトルだけでも、ちょっと違和感があるのはご理解いただけだろうけれども、この先生なかなかの方である。世間をちょっと斜めに見ていらっしゃるのは、けっこう愚生好みでもある。そういうひと、好きなんです。

 話し言葉であったものを、丁寧に文章語で現代語訳をするからおかしなことになる。枕草子冒頭をこれまでセオリーどおり、受験勉強的に訳していたからこれは身に染みる。教わったときもそうであった。一語一語実に丁寧に訳さないと、チョークが飛んできた。なにしろ、母校の先輩で、俊秀ばかりであったから。先生たちが。こういう先生方に教わると、辛いものがある。俊秀だから、愚生のような出来の悪い子の気持ちがわからんのだ。(^0^)

 今回、なんで古典ができなかったかということがよくわかったのである。橋本先生の学恩である。

 さらに三日ほど前になるが、日本漢文というものをどうやって読み解くかも教えていただいた。別の文庫本で。逐語訳を、逐語訳カードを用いて勉強していくのだそうである。これまでB6とかA6の大きいカードでやっていたが、今回から名刺サイズでやってみることにした。常時1000枚は書庫に置いてあるから、さっそく辞書を片手に始めてみた。いい。なかなかいい。しかも、この方法のコツは、岩波文庫でやることである。書き下し文と、漢文を交互に見たり、あっちの頁、こっちの頁と面倒であるが、これもまた楽しみなり。参考書は、あくまで参考程度に、ともかく自分でチャレンジしてみることであると教えていただいて勇気百倍。どうしても、どうしても正解を求めて、正解病にかかっていたからである。今、チャレンジしているのは「古語拾遺」である。短いし、ちょうど手頃である。あ、それとファイルも簡単だ。100円ショップで名刺専門のファイルが売っている。しかも、バインダーに綴じられるように穴つきのである。これだと持ち運びができる。名刺サイズだと紛失しやすいが、ファイルはそれを防いでくれる。いいものを教えていただいた。ありがたや、ありがたや。合掌・・・!

 わからないから、わかるように工夫をしていくわけである。これだな、これ。で、早速昨日の夜は塾のヨルバイトもあったから、担当した高校生に学び方の方法として紹介した。レヴィ・ストロースのいう知的文化資本の贈与である。英語だったから、二人でふんふんと感激していた。たぶんあの子もやる気になったであろうと想像している。勝手ながら。それにつけても、塾は涼しくていいな。こんな環境、現役の時はなかったから。

 

 60歳になったから、なんでもチャレンジしていくしかないのである。だって、どんどん物忘れしていくんだから。恐ろしいほどの速度だ。こんなんじゃ、しょうもない。だから、pedanticだなんて言ってられんのである。馬鹿でもあるまいし、人に知ったかぶりをして、教えることができるほどの力量もありゃぁしませんよ。アタシャ。

 なんの立場もないしねぇ。

 それに、60歳くらいで、偉そうにおめぇに教えてやるぜなんて言う資格もにゃぁぜよ(^0^)

 

 さ、今日も図書館で勉強、勉強である。

 なんの代償もないから、かえって気楽じゃ。

 (^0^)/ウフフ

 

 

 あ、今日は光町の図書館に本を返してこなくてはならん。忘れないで行こう!

 

 

 

 

 ¹:なんだか苦学をするというのは、法律とか、経済とか将来のステップアップのためであって、明治以来そういう苦学生が多かったことは否定しない。さらに、「苦学をしながら行くだけの価値があるのかい?その学校に、その学問に」という少年らしい皮肉も同級生達は言っていたのである。学校というモノの価値ということを言い始めたら、本当にいろいろな分析の対象になるであろうとそれはそれで感じる。しかし、ドングリの背比べということもあり得る。また、東大批判は東大に入学できない人はしてはならないという論理矛盾も同時に抱える。知性の面で、カミの如きという人間はいない。アタシャ、自分の甲羅にあった生き方をしているだけであるから、カミを自称するわけにはいかんのでありまする。(^0^)/ウフフ

 ²:現代っ子のギャル言葉を、丁寧な受験勉強的文章語に直しているようなもんである。「ちょべりばぁ」とか「うぜぇ」とか、ギャル言葉はまったく意味不明。オレのようなじじぃには理解不能である。昔もそういうことであったのだ。そういうこと。つまらんことであるが。

 

 

 

 

 

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もうお会いすることもないでしょうケド

2012年07月13日 23時38分50秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 自己のよって立つべきところというのは、ただのフィクションではなかろうかとも思うことがある。

 たとえば、言語である。母国語というのが我々にはそれぞれあって、しかもそれは国の存立に関わる制約を受けている。なぜなら国際化社会だから。当然、日本人ならば日本人としての影響を受けているのである。だから、他国との関係が緊張したり、破綻したりした場合には、その国家的関係も言語に影響を及ぼしてしまう。日本とアメリカもそう。日本と中国もそう。日本と韓国もそう。日本とフランスもそう・・・・・というような案配であろうと思う。何を心配しているかというと、日米関係、日中関係、日韓関係等が風雲急を告げているように愚生には感じられてたまらんからである。政治の影響を言語も受けてしまってはならないからである。杞憂であってほしいが。

 幼児体験というのもそうなのではないのか。自分に都合のよい物語だけを、言葉巧みに作り上げているだけではないのかと思うことがあるからである。だから、こんなつまらないブログで自分の幼児体験とかを書いた場合には、書いたハナから物語として消え去る運命にあるのではないかと思うのである。要するに自分で創作しているのだ。

 他人との出会いもそうだ。ある種の物語を作っているだけで、たとえば職場が一緒だからとか、なんと無く気があうからというような要素で、友人関係が構築できてしまう。不思議なものである。なんで、あんないい人が、愚生のようなバカモノと対話をしてくださるのだ?と感じるときがしばしばあるからである。むろん感謝しているけれども。

 だから、その物語が消滅したらどうなるのかということをふと思った。つまり、友人との別れである。すでに関係性において破綻していれば、それは「もう二度とお会いすること」が無いということになる。哀しいが、そういうことである。しかたのないことである。一端リセットして、それぞれの人生を歩んでいくしかないのである。

 絶対の関係性というのは存在しないと思うからである。だから、人は母校を懐かしがるのではないのだろうか。愚生のように母校がいくつもあると実に楽しい。それぞれの校友会のつきあいがあるからである。しかも、学部も、修士も、博士も学校名が全部違っているのだ。会費がたまったもんじゃない・・それにこれから行きたい通信教育の大学名を今晩とうとう女房ドノに告白してしまった。あ、しまったと思った時はもう遅い。いつもそうだ。愚生の人生こんなもんである。(自虐ネタである)

 それだけ半端もんなんでしょうけれどね。

 今日は師匠に、ある原稿がボツになったことをご報告申し上げた。当然であろう。ボツになるには、なるだけの理由があるのだから。掲載不可ということであった。理由は書いていなかった。もっとも「の~りょくありましぇ~ん」とでも書かれていたら、こりゃたまらんケド。しかし、我が輩はめげないのである。ただの負け惜しみでもない。当然であると思うだけである。仕方ないではないですか。じょせ~にもてないのと一緒である。(^0^)/ウフフ

 だからといって撤退はしない。めげないのである。下書き原稿は、虎視眈々と次の機会をねらうのである。作戦変更。一度あったことは、100回あるかもしれない。それでも、オレはめげないのだ。ある意味、自分に期待していないからなんだろうなぁと思うことがある。こういう性格はいつできたんだろうと、その物語のルーツを探ってみた、今日は。

 山形にいたときの、山形新聞の記者の方々にしごかれたことがそれかなぁと思う。今思えば凄い方々であった。芥川賞をとられた後藤紀一先生というかたを中心に、文学活動がなされていたのである。若干22歳の青年と~ま君も時々思い出していただいて、夜な夜なそういう先生たちの集まる酒場の隅っこでいじけていたっけ。これは事実であります。嘘ではない。

 そこで、鍛えられたんだと、ハタと気がついたのである。今、思えば赤面の至りであるが、なんとへたくそな小説を書いたり、大先生たちに生意気な文学論をふっかけていたのだ。(^0^)/ウフフだわなぁ・・自虐ですよ。マジに。

 

 前期開講していただいていた講義が今日で一つだけだが、終了した。クラスメイトたちとも、もう二度とお会いすることもないだろう。たった6人しかいないんだけど。「お世話になりました、もうお会いすることもないでしょうが」と感謝の言葉を申し上げた。本当に知的な刺激をいただいたからである。愚生以外は全員中国の大学の先生方である。お帰りになる。これからのご活躍をお祈り申し上げます、というような気持ちであった。本当である。だってこっちは来年生きているかどうかもわからんのだし、退学せよと言われたら、退去するしかないからである。評価は厳しいのである。学問をやる資質に欠けるとなったら、こりゃぁ潔く去るしかない。

 これからまた孤独なチャレンジが始まる。

 明日も、また東京に行く。方丈記の講義をいただくためにである。講談社学術文庫まで出しておられる師匠の方丈記である。どうしても拝聴したいのである。

 

 

 楽しみ、楽しみ。

 

 

 

 

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へぇ・・・

2012年07月12日 23時57分34秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 どの作家の文章がいい文章なのだろうかと、よく思うことがある。愚生なら、高校とか中学校時代にさんざん言われたのが、志賀直哉である。写生文の見事さとか、いろいろとご指導をいただいた。確かに、てきぱきと短文を積み重ねていって、実にいい。心持ちがいいのだ。東京のヒトっていうのは、こんなにもはっきりとした文章を書くんだと憧れていたのである。

 

 あれから50年たった。10歳くらいに志賀直哉を読んで、その時からずっと確かに名文であるけれども、なんかちょっと違うぞという思いも年齢と同時に出てきたからである。社会人としての経験智が少しは愚生のようなモノでもできてきたんだろうと思うことにしている。

 

 正直言ってなんか物足りないのである。「城之崎にて」だって、屋根の上で蜂がどうしたこうしたと書いてある。中学生の時から思っていたが、「それがどうした」というのがあるからである。

 

 川端康成もそう。恋愛に近いほのぼのとした慕情を描かれても、「へぇ・・」としか言いようが無い。けっこうなことでしたねとしか言えない。今は、である。

 

 だから、作家にのめり込めない性格になってしまった。もっとも、その前に、依然としてあるのが、愚生の能力への不信感。つまり、アタマ悪いから理解できないのかもしれないという恐怖は今でもある。逆説的に言えば、だから勉強しているんだけど。

 

 「へぇ・・・」っていう言葉はある種の視聴者参加型のテレビ番組で、流される陰の声みたいな効果音として聞かされることがある。あれって、愚生は実に楽しい。ついでながら、政治討論番組であの「へぇ・・・」って裏の声を流すともっと面白いことになるではないかと諧謔的に感じているんですが。ま、これ以上は書きませんけど。

 

 古典も、いろいろと読むことがある。ことがあるっていうような状況ではないんでしょう。それで飯を食ってきたし。よくもまぁ飽きもせず、ごちゃごちゃとやってきたもんである。しかも、まったくモノになっちょらんではないか。それでもである。ありがたがって、源氏物語を神棚に上げておいて毎日清浄なる机上を掃き清めて、拝読させていただくというようなことは絶対にしない。宗教書ではないのだから。源氏物語って、中世の少女漫画みたいな楽しさもあるから、そういう軽い気持ちで接触するのもまたオツではないのかと思っているくらいであるから。学問としてやるのは、そういう専門家に任せておいたほうがよろしい。愚生のような素人は、楽しみで読むくらいがいちばんいい。

 

 それをである。自己の苦悩の救済のためとかとなると、これは苦しい。実は、愚生にとってドストエフスキーがそうであった。18歳の頃は、実に苦しかった。経済的にも苦しかった。当たり前である。現在のように、純粋に勉強オンリーで城西国際大学に通学できなかったからである。否、そうではない。経済的にも苦しかったが、思想的にも挫折ばかりしていた。そういう作家の読み方というのもあるのである。だから実にためになった。

 

 生きていくのにもいろいろな様態があるのだと初めて教わったのである。誰に? 自分自身の体験にである。

 

 学び方を学ぶというのが、一番強力な教育法である。自分は無知である、だから優れた知者に教えていただくのだということが、最重要であるような気がしてならない。今日の千葉科学大学の授業でもそれを熱心に訴えた。学生さん達は、なんども頷いてくださった。ありがたいかぎりである。そして尊敬する知者との関係性を構築せよということも熱心に申し上げた。いくらでもいらっしゃるではないか。そういうことを教えていただく先人達がである。むろんそれは愚生を除外してある。当然である。愚生なんぞ、いつまでも無知であるがために、知を求めざるを得ないさまよえる愚者であるからである。

 

 城西国際入学以来、印刷した資料が、茅屋の書庫で高さ30センチの透明なる箱に入っている。それが3個ある。つまりもう高さ1メートルになろうとしている。4ヶ月でそうなってしまった。さらにそれをデータベース化している。どこまでいっても、終わることのない歩みである。

 

 「死蔵」という言葉もある。それをもっとも恐れている。読まないといかんのである。当たり前である。

 

 そのためには、どんなことにも興味をもって、好奇心をもって「へぇ・・・」「へぇ・・・」と毎日つぶやきながら、生きていくつもりであります。

 

 

 今日はヨルバイトの塾のセンセをしておりました。3人面倒を見ていましたが、一人は国語で敦盛の最期。これは得意ですから、徹底的に読み解きました。図解法で。けっこういい教え方であったと思います。数学と英語もやりましたが、特に数学も楽しいもんであります。いろいろな図形の面積とか、体積とか求めるものでした。中学3年生の。楽しいものであります。思い出すからであります。

 こちらは「へぇ・・・」と言っているわけにはいかない。でないと生徒がかわいそうですから。

 (^0^)。

 

 また明日!

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費丹旭と溪斎英泉

2012年07月11日 23時29分12秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

一 はじめに

 平成二四年五月二九日から七月八日まで千葉市美術館において「浮世絵師 溪斎英泉 蘇る 江戸の媚薬」が開催されていたが、この七月八日をもって終了した。私は、七月三日に入館させていただいた。350点にも及ぶ収蔵作品の展示があった。「美人東海道」という英泉の有名なシリーズがあるが、その中でも「大磯駅」について、フランスのルーブル美術館が所蔵するウジェーヌ・ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」との比較から考えるということで、日本美術の特質について初めて考察することとなった。さらに、費丹旭の美人画である。・・・

以下略

 

 上記のような書き出しで、レポートを作成した。約3000字。さっきメールでお送りした。けっこうまじめに努力している。

 今日は、想定内読者のE氏の訪問を大学にいただいた。ありがたい限りである。昼食をいただきながら、四方山の話をさせていただいた。こういう対話が一番勉強になる。E氏よ、ほんとうにありがとうございます。また来てくださいね。他の方も、大学に来ていただければご案内しますよ。愚生のように、老年学生をやってみたい方には特に親切にいたします。

 求名の駅から学校に向かって、ようやく着いたと思ったら、院生室のあるF棟の前で、男子学生がずいぶんしみじみと愚生に挨拶をされた。びっくりした。勘違いしていませんか?と言いたかったが、もしかしたらと思った。前の職場の卒業生かも、と思ったからである。ところが記憶にないのだ。まったく、しょうもないやつである。会話をすればなんとかなったかと思ったが、今日はいつになく急いでいたので、できなかった。悪いことをした。ごめんなさい。今度あったら、対話しましょう。

 今日は、橋本治先生の著書を読んでいた。

 古典をどう読むかという視点で読むと、この先生の本はすこぶるいい。だいいち、古典の作者といえども同じ人間だというのがいい。確かにそうである。同じ人間が書いているのである。日本書紀や古事記を読むことがかなり頻繁にあるが、あの漢文だらけの読み方でも、絶対の正解ってないらしいということを知って、ますますやる気が出た。たしかにそうでありますなぁ。

 これから難読漢字なんかも、やらねばならん。崩し字がいちばん苦手である。しかし、これをやらんと次の段階にいけない。当たり前である。そんなに学問ちゅうのは甘くは無い。

 しかし、亀のような歩みである。こりゃぁ、無事修了できるかなぁ。できない可能性の方がかなり高くなってきた。周囲の方々のレベルが高すぎる。しかし、その時はその時だ。後顧の憂い無く見事に退学である。(見事かどうかはわからんけど) しかたなしである。能力適性に欠けるからである。しょうがないときはしょうがないからである。


 

 

 昨日の記事で鬼来迎の説明が無かった。

 以下に引用してみよう。wikipediaからである。



 今日はこれにて、さようなら!

 明日、千葉科学大学で授業をしなければならんので。

 

 

鬼来迎

移動: 案内, 検索

鬼来迎(きらいごう、または鬼舞ともいわれる)は、千葉県山武郡横芝光町虫生の広済寺に伝わる、地獄の様相と菩薩の救いを仮面狂言にした日本唯一の民俗芸能である。1975年昭和50年)の文化財保護法の改正によって制定された重要無形民俗文化財の第1回の指定を受けた[1]

目次

内容 [編集]

地獄を再現し、因果応報勧善懲悪の理法を説く仏教劇で、すべて地元民の手によって、毎年地獄の釜の開く日といわれる月遅れのお盆8月16日に演じられる[2]。地獄を舞台とし、死者が閻魔大王の裁きを受けどもの責め苦に遭うものの菩薩によって救われるという内容で「大序→賽の河原→釜入れ→死出の山」の四段と、広済寺建立縁起を物語る「和尚道行→墓参→和尚物語」の三段、全七段からなり、所要時間は、約1時間30分。現在は大序・賽の河原・釜入れ・死出の山の四段のみが上演される。

農村信仰の原型とも言われ、衆生救済を描く他に類例の少ない民俗芸能であり、農村と信仰、そこにあらわれる鬼とは何かなどが語られる。また地獄の恐ろしさと菩薩の慈悲を間近で感じることができるとも言われる。

由来 [編集]

鬼来迎の由来として、「旅の僧石屋(せきおく)が夜道に迷い、虫生(むしょう)の里の辻堂で休むうち眠りに入ってしまった。眠りの中で石屋は亡者を めぐる、文字どおり地獄絵図の様子をかいま見てしまう。賽の河原で果てしのない石積みを強いられ、鬼に追われる亡者たち。連行された地獄で亡者が筆舌に尽 くしがたい責め苦を負わされる中、ある亡者の時に地蔵菩薩が現れ、鬼達に供養卒塔婆を渡すとその亡者は成仏するというケースを知る。やがて白州に一人の娘が連れてこられ、浄玻璃鏡で 虫生の里に住む椎名安芸守の娘妙西であることが明らかとなる。責め苦に耐え続ける妙西を見るに堪えかねた石屋は夢から覚めると、妙西の成仏を何とかしたい と椎名安芸守夫婦を捜し回る。辻堂近くで椎名安芸守と妻顔世に会い、妙西の件で話しかけると屋敷に招かれ、夢で見た様を一切話すこととなった。地獄絵図の 際を聞くと安芸守夫妻は「娘よ妙西よ」と嘆き悲しみ、娘を責め苦に陥れた自らの罪障の消滅と妙西の成仏を願い、広済寺建立を約束した。」という話が伝えら れており、鎌倉時代初期に始まったといわれている。

アクセス等 [編集]

  • 日時:毎年 8月16日 15:00頃~
  • 場所:千葉県山武郡横芝光町虫生483 広済寺
  • 交通:当日は、JR東日本総武本線横芝駅から無料送迎バスあり

脚注 [編集]

  1. ^ かつては利根川沿いの香取郡下総町(現・成田市)や同郡小見川町(現・香取市)などでも鬼来迎が行われていたが、現在は広済寺のみとなった。成田市迎接寺にはその時の鬼面・亡者面など、香取市浄福寺には『鬼来迎問答引接踟供養記』が寺宝として残っている。
  2. ^ この日は施餓鬼供養と重なったため、その一環のようになっている。

資料 [編集]

 

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鬼来迎(写真)

2012年07月11日 07時58分53秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

弘済寺 横芝光町虫生

 青空を現代の怪物飛行機が飛んでいる・・・・なんだか象徴的であります

(ちぼっと見えるでしょ? 飛行機 そうです成田空港に近いんです)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無縁仏の供養塔である。なかなか見られないものである。土地の方々の思いやりが
わかる。

 

昔は、左右にうっそうたる樹木があったのだそうだ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昨日、横芝光町の鬼来迎について勉強をさせていただいていた。

 光町の図書館でいろいろと資料を仕込んで、ビデオまで貸していただい た。感謝感激である。さっそくそれを大学まで運んで、キーワードリストを作成していた。むろん、記憶のためにである。さらに、山形県の黒川能の「黒川村春日神社文書」という本をあちこちデータベース化していたので、それはむろん読みながらであるが、あることに気がついた。それは、けっこう金銭に関わる古文書が残されているからである。

 これは面白い。

 今、読んでいる興福寺の咒師関連の古文書もまたそんなのがありはしないかと、かなり期待を持っていろいろな資料を眺めている。

 ある意味、思いこみというものが愚生にはあるのかもしれない。ま、それは今は触れない。このブログはいろいろ能楽の方が見ていらっしゃるようですから。それに大学の能楽の部活動関係の方々も。ありがたいこと限りなし。Twitterで確認したところ、東大、慶應、京大、同志社、法政、早稲田等々の方々である。能楽師の方もおられる。実にこわ~いことである。ある意味、間違ったら間違いをご指摘いただくだろうから、それはそれでありがたいことでもあるが。

 定年後に、こんなことをやりながら過ごすとは夢にも思わなかった。さらに、昨日も書かせていただいたが、ある冊子の編集の仕事をいただいた。県知事様も、ご寄稿されるような冊子である。冊子と言ったら叱られるか(^0^)

 要するに、そういうことである。

 ?

 アニガ ソウイフコトダ?とまたまた千葉方言で叱られるですなぁ。なんも明らかにしていないではないかと。そのあたりは、まぁファジ~にしときまひょ。

 明らかにしていないということでは、いろいろ愚生は文章に仕掛けがしてあって、なんでも全部くっちゃべっているようだけど、その辺りは巧妙に書いておるつもりです。結局、個人情報は住所も、℡もなんにも明らかにしておりません。あたり前ですがねぇ。所詮三流の人間っすから。(^0^)

 日本語というのは、ほんとうにあちこち仕掛けがしてあって、例えばフランス語に翻訳をする場合に、困るということを聞いたことがあります。

 川端康成の「雪国」だって、あの冒頭の「トンネルを・・・夜の底が白くなった」を、ただ単に単純系で翻訳しては原作の趣というものが損なわれる。

 太宰の「桜桃」もそう。書き出しが、「子どもより親が大事と思いたい」というのがある。あれもいきなり来るから、実に太宰はうまいのだ。これ、五七五で始まる。つまり、五七五で始まるということは、すでに太宰の底意地の悪さがあるということに気がつかなくてはならない。まじめなことを書くつもりはありませんよという太宰なりの意思表示であるからである。これをである。「これからは、あなた命ですごしますから、だからずっと愛してくださいね」なんて書いたって誰も読みはしないのである。韻文の欠点というのは、そういうところにある。

 こういう諧謔のニュアンスはなかなか翻訳では伝わらないのである。もっとも顕著なのは「父さんも汗くらいかくよ」という文章。これを翻訳したらどうなるのか。「父は、汗をかいた」となる。My father sweats, too.なんて英語ならなるのかいの?つまらん英語だ。実につまらん。もっともオイラがやるからこうなるんだけど。

 普通名詞なのか、人称代名詞なのかの区別がつかないから、翻訳家というのは相当日本語に精通していないとできない仕事だと思うからである。

 愚生?

 できん、絶対できん。だって、日本語についてまったくわかっていないんですから。

 

 今日は、これから登校して、また古典のデータベースを作成する。

 お昼の学食で何を食べようかなぁ。

 楽しみ、楽しみ。

 

 

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7月10日(火)のつぶやき

2012年07月11日 04時25分48秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年
19:42 from web (Re: @yoshihisahirano
@yoshihisahirano ありがとうございました。これから柔道の稽古に行きます。また深夜にお目にかかります。

19:44 from web
今日は疲れた。鬼来迎の学習に光町図書館に行っていたのだん。なんとなんと冊数制限なしで、ビデオまで貸し出しをしていただいた。感謝!

19:46 from web
そして、これから柔道の稽古日。疲れたら稽古で癒すに限ります。終わったら、サウナに行く。楽しみ、楽しみ。今日のブログは鬼来迎でも書くかな・・どうなるかわかんないけど。

19:48 from web
あ、午後から本学にも行きましたよん。久しぶりに自称スポーツカーで。快適でしたね。車検とったばかりだし。(^0^)

19:50 from web
本学では、スキャナで古典系の字句を読み込んで、キーワードリストの右側に、テキストデータを貼り付ける一種のデータベースを作成してます。これも、完成したら嬉しいですね。じゃぁ!道場に行ってきます。

by tym943 on Twitter
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承認から入ることの大事さ

2012年07月09日 23時41分30秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 「承認」から入るということって、とても大切であると思う。かくいうアタクシだって、読んでいただける方がおられるからこのような駄文を書いて喜んでいるのである。たまに、旧友達が反応してくださるから書く気になるのである。あ、それとこのブログはノート代わりにもなっているけど、それはそれで便利なものである。検索がきくからである。この検索というのは実に便利である。仕事をしていたときは、文書全部をpdfにしていた。検索をすると実に便利であった。もっとも、周囲にコンピュータに詳しい方がおられたので、助かったのである。

 

 これは、現在の城西国際の学生生活でもそうである。愚生が、コンピュータの前でじゅる~っ(擬態語である)として画面を見ていると「こんなじいさまが、コンピュータなんかできるわけない」と、すぐ助け船を出してくださる方がいるのだ。城西国際の若い院生である。修士の方々であろう。ふふふ、である。そうなんである。愚生はコンピュータなんて触ったこともないのだ。だから、ありがたいこと限りなし。ホントだからである。コンピュータはまったくできないからである。それに、こんなヘアスタイルである。お経でも読むなら話は別だろうが、コンピュータである。似合わないのである。もう一度いう。「コンピュータ」である。

 

 「承認」の大事さは、コンピュータでも同様である。ちょっとでも、褒められたら、人間ちゅうものはやる気になるのだ。あるいは、他人に頼りにされたら、である。

 

 それを最初から否定されたら人間はへそが曲がる。当たり前である。教師はその辺のところは十分注意している。接し方をである。そういう言動をとっているから、教師はダンダンと人間が悪くなる。本心と、使う言葉が違ってくるからである。たとえば、ある数学の問題ができないとする。最初から、こんなのもできないのか?と罵倒する教師は今じゃ博物館にもいないだろう。わかるまで根気強く教えてくださるはずである。そういうのを二重性というのである。(^0^)

 

 だから良い教師ほど、悪相になる。愚生が良い例である。イケメンは教師にはいない。最初イケメンであっても、だんだんと・・・(^0^)・・・もう止めよう。苦情がくる。自称イケメン先生から。

 

 一対一で授業をいただいていると、こんなやつに教えてもダメだろうなぁと思っておられる先生と、ダメでも承認から入ってくださる先生と、考えておられることは非常に良く理解できる。これは本当にそうである。劣等生だから余計そうである。さらに、37年ぶりに教わる立場になったから余計敏感にわかるのだ。できなくても、励ましてくださる先生だと本当にやる気になる。ありがたいものである。

 

 ただし、厳しいご指導もまた必要である。これはこれで言っていただけないと、わからない。よって、ご指導をいただいた事項には、それなりに愚生も対応をしていっている。

 

 今日は、ある学術誌の編集をせよと言ってくださる方があり、快諾した。投稿もさせていただくつもりである。愚生の駄文をである。だって、原稿の依頼も愚生がやるんだって。(^0^) あらゆるチャンスを生かすつもりである。その辺りは、海千山千である。だてにトシをとっておるつもりはない。しかし、一度活字になったらこれは恐ろしいことになる。

 

 失敗は許されないからである。コピーは絶対にいけない。あの記事を書くのにどの本をコピーしたのだ?と問われれる方がたまにいるのである。唖然とした。そりゃ~全部が全部オリジナルとは言わないし、言えない。だって、文化的資本というのは贈与だからである。これまでの読書体験から考え、文章にしているからである。しかし、まぁ、コピーだって・・・笑うしかない。

 

 引用をする場合は、愚生の場合、きちんと文献名を、さらにページ数を書いているんでごじゃりまするよ。間違いなく。

 

 その証拠に、愚生の記事は、学術書のサワリ集ではないはずである。たまに、どっかの学術書に出ている文学論にあるのだが、作品集のサワリを紹介して、あるいは作家の履歴を紹介して、それで論文にしてはいかんのである。当たり前である。それにこんな愚生のようなへたくそな文章が論文になるわけもない。これはだたのおしゃべりでしかないからである。こういう文は論文にはならないのだ。だから苦労しているのだ。(あんまり苦労しているようには見えないでしょうけど)

 

 

 今日は東京に行っていた。平家物語講座である。目的は、師匠の学ぶ方法を知りたいというその一点につきる。平家物語を読み解くその方法を、である。しかし、レベルが高い。生涯かけても修得不可能だ。されど、目標にはできる。ありがたいものである。

 

 帰りミチ、神田で橋本治先生という東大国文科卒の大先生の文庫本2冊購入してきた。うれしかった。48年のお生まれだから、愚生よりも3歳上である。なかなか古典の作品にすぐれたものがあるお方である。小説も書いておられる。第19回駒場祭で「とめてくれるな おっかさん 背中のいちょうが 泣いている」というポスターで有名になったお方である。これは60歳以上で無いと知らないであろうけれども。

 

 帰りのバスと電車の中で堪能した。実に楽しい。さすが東大。天才だ。カオもいかつい。しかも東京杉並育ちのわりには、自分のことを「俺」と言われる。愚生は「僕」という一人称が苦手なのだ。というよりは嫌いなのだ。東京シティボーイのような感じだったから嫌いなんだケド。はあい、俺は、僕じゃないのだ。(^0^)

 

 なんでか。それはね、ボクは田舎もんだから。(^0^)/ウフフ

  

 でもさぁ(あ、東京シティボーイのようなクチをきいてる)橋本せんせの国語古典についての考え方は実にインパクトがある。ふんふん、こういうふうに考えればいいんだと思うのだ。たくさんあるから今回の記事には書けない。ちょびちょび書いていくつもりである。

 

 また明日!

 

 

 

 

 

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酒は呑むと酔っ払うものだけど

2012年07月07日 23時47分48秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 昨日の記事で、生き馬の目を抜く梁山泊の住人のような方達と、一杯やるかということで銚子に行くと書いた。まさに、そのとおりの展開になって、すこぶる堪能してきた。いいものである。実にいいものである。

 

 終電が、夜の9時52分というのもいい。これで本当に終わりなのである。千葉行きの最終である。どうです?考えられないでしょう?

 

 だから、二次会とか実質不可能なのである。これが一番気にいっているのだ。そうです、愚生は酒呑みがきらいなのだ。(^0^)

 

 酒は呑むと酔っ払ってしまうからだ。当たり前である。酒は酔うために呑む。だから失敗も多くなる。よって、いろいろな言い訳をたくさん人類は用意してきた。古来。その中でも優秀作をお一つ。

 

 「雨が降ってきたから」

 この言い訳は、実に容易ですぐれた作品である。別に雨が降っていなくてもいいのである。酒場に入るためには。酒場がそこにあったから、雨が降ってしまったことにするのだ。それが、のんべぇの得意技である。今日のようにしとしと雨が降っていると、のんべぇはいそいそとしてしまうわけである。料理がおいしくなければ、一目散に家に帰って、恋女房ドノの手料理に舌鼓を打つ。それができないのは何故か。料理なんか関係ないからである。「ただそこに縄のれんのかかった酒場」があるだけでいいのである。

 

 ただし、酔っ払って不祥事を起こすというのは、これはいけない。それは前提として考えて行かなくちゃならない。当たり前である。酒飲み運転は厳禁であるし。

   

 「きらいなやつでも好きになるために呑んでいるんだ」

 これもまた佳作である。つまり、酒を媒介として、円滑な人間関係を構築したいというわけである。ホントか?酒を呑んだがために、人間関係に破綻をきたすこともあるからである。ここにも、「仕方がナイから」あんな臭い酒を、無理矢理呑んでいるんだという魂胆が見え隠れするから、面白いのだ。人間というのは。

 

 
 「こほんなに酔っ払っちゃて、ゴおおメンねえ・・・ほおおんと、申し訳ない」

 こいつはどうだ。(^0^)

 たいてい経験したことがあるんではないかと思う。つまりそんなに呑んでいない、けっこう気は確かであると自己弁護をなさっているわけである。愚生もヒトのことは言えない。量ではナイのである。大事なのは、アルコールが効いているか、いないかということである。いかんですな。実にいかん。実感がこもりすぎている、この言い訳。

 

 「酔ってましぇん!酔ってましぇん!全然大丈夫れす!」って言いながら、椅子に座ったとたんに寝た他人。これまた、他責である。全部他人に責任をなすりつけるという魂胆がミエミエ。

 

 「ちゃんと片足で立てますよぅ」

 まさか鶴じゃあるまいし。片足で立っていれば、まともだってか。(^0^)

 

 

 さて、随分回り道をした。(いつものことだけど)

 今日は何を言いたいのかというと、前提に、酒呑みは何でも寛容に許されるのか、否、そんなことはないということを言っておきたいノダ。「あれは酒の上でのことで」「記憶にございません」では、まるっきりタチの悪い政治家さんみたいである。いけません、それじゃぁ。

 

 一番言いたいのは、酒を呑んで思考が軽くなって、ぺらぺらしゃべりすぎないことである。愚生がこの危険性があるからである。もともと饒舌なんだ。ガキのころからそうで、普段はそれを押さえつけている。可能なかぎり、言葉の使用には注意しているつもりである。大声で、楽しそうにしゃべるのである。愚生は。

 

 だから、危ないのである。

 楽しくナイ話題でも楽しくなっちゃうのだ。個性と言えばそうなのだが、これはあまりよくない。全ての課題が軽くなってしまうからである。さらに、相手を過大評価してしまう。美人が相手だと、その美人様が知的巨人のように見えてしまって、なんでも知っていらっしゃるような誤解をしてしまった失敗談もあったっけ。「アタクシ、そんなことはナンニモ知らないのでごじゃるりますよ」と美人に言わせてはならんのである。だから美人は絶対にわからないことについては、黙っていて欲しいのだ。黙っていさえすれば、賢く見えるかもというケースだってあるからだ。

 

 大げさな言い方も良くない。大言壮語というやつである。酒を呑むとやたらとこういうハイな状態になられる御仁がいる。かなりいる。どんなに自分はこの組織に貢献しているかとか,非常に自己評価が高くなってしまう方である。つまり、自分にはオプティミストであり、他人にはペシミストであるというタイプの人間である。たいていは、こういう方も他責的である。全部周囲が悪く、今日雨が降ったのも政治が悪い、管理職がいけない、あの親戚が悪い、ああああ、ううううとヒトのせいにばかりする方。

 

 こういう方の言い訳はみっともない。そのような傾向があると思うなら、呑まないことである。さらに、呑むなら一人で呑むことである。バーのカウンターかなんかでである。もっともそういうヒトは一緒に行ってくれる仲間もいないだろうけれども。

 

 ともかく、呑むことは、対応の如何によって、毒にも薬にもなるということである。古来、そんなことは言い尽くされてきたことである。今更、愚生ごときが話を書いてみてもしかたがない。

 

 ともかく、運転だけはしないようにしましょう。

 

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だらだらとまた

2012年07月06日 23時14分02秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

  いろいろなことを考えることがある。こんな愚生でもある。今日は、オノレの役割というものに考えが至った。それは、オノレよりも若い方々の邪魔をしてはいないかということである。進路のである。

  大丈夫か。

 大丈夫だな。

 たぶん大丈夫だろう。

 大丈夫変格活用ではない。まじめにそう思っている。生涯学習というのは、やはり個人的なこころみに他ならないからである。将来それで食べていこうとか、国家的戦略のもとに学問をなさっているかたの視界に、愚生みたいなものは入ってはならないのである。応援はさせていただく。そのつもりでもある。そういう役割だとも十分承知の上で、通学させていただいている。個人的な体験である以上しかたのないことである。

 たとえば、若い研究者が、あそこの文学遺跡に行ってみたいとなったら、愚生が運転手をかって出るというようなものである。もっとも、愚生のポンコツ自称スポーツカーでは誰も乗りたくないであろうが。(^0^)

 

 今日、師匠からクラスメイトの2人と講義をいただいていて、そんなことを感じたのである。もしかして、もしかしたら、愚生は本学におおいなるご迷惑をおかけしているのではないかと、ふと思ったのである。クラスメイトの二人は、まだ若い。若いが、前途洋々たる俊秀である。比べて、オレは・・。

 決定的な弱点が愚生にはある。何かになろうとしてもなれないのだ。これは確かである。じじぃよ、すっこんでオレ!と言われたら認めるしかない。逡巡がある。たしかにある。されど、やり残したことがある、好きな分野で原稿を書いてみたいという慚愧の思いも愚生にはあるのだ。原稿なのである。役割が欲しいのではなく、文章を書いてみたいのである。好きな分野でやってみたいのである。このまま、死んじゃってもいいんかい?って神様に言われたら、ウンとは言えないんである。そういう意味ではまだまだ悟っていないのである。そして、本学の後にも生涯学習をやらせていただくつもりでいるのだから話にならないのだ。もう、行ってみたい大学も決めているのだ。ただし、通信であるが。

 

 愚生は、かなり幅広くスタンスをとっているつもりである。この道しかない、この道をひたすら研究活動で歩んでいくということではない。揺れ幅を広くとっておいて、方向性だけは違えず、細々とやってきた。その意味では一貫性があった。しかしである。中途半端であることは否めない。

 

 またいろいろなことを言われても、愚生は、「それはせんじつめて言うとこういうことでね?」というまとめ方はしない。したこともない。そんなふうに、単純にすべてのことをまとめるから、破綻するのである。総括とも昔は言ったかなぁ。。。。そういうの、好きな人種がいたっけなぁ。

 

 あ、そうじゃなくて、そんな単純なまとめ方をするから、マニュアル主義になってしまうのである。あれもこれもあっていいのである。育児法だって、はやりすたりがあったではないか。絶対的にいい方法なんであるわけがないのである。だから、耳学問が重要なのである。他者に聞くことで、取捨選択をしていけばいいのである。最初から、自分の意見を持つことなんてできるわけもないからである。全ての知識は受け売りでしかないではないかと思うからである。オリジナリティなんて簡単に言わないでほしい。マジに、そう思っているのだ。

 

 あれ?また脱線した。なんの話だっけ。これだから、精神分析家に非常に興味があると言われてしまうのだ(^0^)

 

 そんなに変わっているんですかねぇ。もっともある経営コンサルタントが、大学の先生をやっていて、単位を与える方であったそうだ。さらに彼はある大学の大学院で勉強もなさっている。それをTwitterで、「単位を与える立場で、同時に自分も単位をもらう立場」で「希有の存在」であると他の方々から激賞されていた。これ、オイラと同じような立場であるような気もするのだが。もっともあちらさんは、秀才だからな。そこが違うか。

 

 今日も塾のヨルバイトをやってきた。収入面ではまるっきりボランティアである。カネが欲しかったら、こんな割にあわないことはやらない。つまりそうではないから、やらしていただいているのである。楽しいし、意義もある。孫のような女子中学生に数学を教えていて、ここがわからないんですけどとかわゆく言われると、ハッスルするのである。よ~し、まかしてくれ!とやるのである。根っからの教師でありますなぁ。愚生は。B4のカミを持ち出して、即興の講義を始めてしまう。情報カードもいつも胸ポケットに持っている。教え方が、変わっているのかもしれないが。

 

 楽しいモノである。今日やったのは、中学の国語と数学。さらに高校の英語。まったくわらっちまう。まだ、オイラにもできるのだ。次々と思いだすのである。ほんとうである。それほど、母校で苦しんできた勉強経験が生きているのである。これは恐ろしいほどの、インパクトがある。もしかしたら、頭脳が覚えているのではなく、身体が覚えているのではないかとも思っている。母校でこんなことをやったっけなぁとか思い出すと、そのイメージがまざまざと出てくるのである。ゾンビのようにである。

 

 だらだらとまた書いてしまった。

 ほんとうに性格そのものである。

 明日は銚子で夕方から、一杯やる。教員ではない。もう卒業させていただいたのだし、生臭い話はもういい。ただし、明日呑む相手はもっと生臭い連中ばかりである。世間の生き馬の目を抜いて生きてきた尊敬すべき戦士であるからである。こういう連中ともっと早くから知り合いであれば良かったと思う。

 

 楽しみ、楽しみ。

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ただひたすら笑っているだけですが

2012年07月05日 23時30分44秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 愚生は実によく笑う。のべつまくなしである。

 なんでだろうかと思う時がある。理由はない。

 しかし、柔道で損をしてきたからという、ある意味まるで真実のような理由がある。今よりも18キロ重かったから、さらに、今は自称好好爺であるが、若いときは実に戦闘兵士型でありましたから。 

 つまり、おっかねぇカオをしていたからである。だから、どっかで自分をごまかすことで、潤滑油としていたのである。人間関係でどれだけ不幸な目にあったかわからない。そもそもネットで喧嘩するようなタイプではないし、やるなら直接会ってやろうじゃねぇかというタイプでもない。キャンキャンと逃げ回るタイプであるからである。実に粗雑なヒトであったからである。しかも握力90キロ、背筋力240キロも出ていたのだ。まるっきり熊である。教員よりも、あちらの世界にむいていたのかもしれない。(どういう世界じゃ?)実際、いろいろスカウトがあったし。ホンマに。若かったなぁと思う。屁の突っ張りをやっていたんである。本当に馬鹿である。今は、反省の日々を送っているだけであるが。 もっとも、今は少しは利口になったのかと言われても、肯定できないのが哀しい。(^0^)

 自嘲というのともちょっと違う。ただの馬鹿笑いである。悲惨だったからである。なんでか。逃避である。辛い毎日を過ごしていたからである。馬鹿笑いをしていると、新聞奨学生をしていたという憂さから逃れられたからである。新聞配達なんて、やったことないヒトが殆どだろうけど、けっこう辛いでっせ。

 労働者階級を解放せよとか、60前後のご同輩たちはヘルメットかぶって、竹槍つっついて、のぼり立てて、バリケード封鎖して、いろいろやっていらした。しかしである。本当の労働を経験している愚生としては、いい気なもんだと思っていただけである。プロレタリアはオレの方であって、作家の椎名麟三が言ったようなルンペン・プロレタリアートのようなもんであった。そんな状況でも笑っていることを選択していた。

 笑っている間だけは、悲惨な自分からしばらく離れていられたような気がしていたからである。

 自己逃避には違いない。笑い終われば、また元の木阿弥である。悲惨な現実はもとどおりである。


 愚生の場合陽気だから笑っているのではないのである。

 似たような笑いが、太宰治にある。

 太宰は、ある種のダンディズムで笑っていたのである。深刻な作品も多いが、むしろ太宰は、滑稽小説をたくさん書いているのである。「おしゃれ童子」「服装に就いて」「畜犬談」「花吹雪」「男女同権」etc

 さらに太宰は、読む者のこころを直にわしづかみにする。語り口が実に見事なのである。こんなにうまい作家はいないとまで思っているのである。書き出しもうまい。いきなり、太宰ワールドに引き込まれてしまう。

 絶筆となった「グッドバイ」でもおかしさがある。されど、その奥に太宰の自死への意志が隠されていたのだと思うとたまらない。だから笑うと言っても単純ではないのである。

 

 ところがだ。 

 笑いは、笑う側の優越意識というか、オレはおまえのようなあふぉ~を笑ってやるぜというもんがあるのだということを今日は書きたいのである。

 ボードレールは、「笑いは、われとわが身の優越の観念から来る」と言っているのだ。転んだ人間を見て笑うのは、「この私は、転んだりはしない。この私は、真っ直ぐに歩く。この私は、足がしっかりしていて確かだ」という優越感があるから笑うというのである。随分意地の悪い言い方である。

 そうか、そんなもんなのか?とボードレールに喧嘩でもふっかけたくなるが、彼の本領が「風刺」にあるとすれば、これはまたなかなかのことを言っていると理解せざるを得なくなる。大したもんであると愚生は思うのである。 

 劇作家のマルセル・パニョルは「笑いは勝利の歌である。それは笑い手の笑われる人に対する瞬間的な、だが忽如として発見された優越感の表現である」と書いている。

  ふんふん、そうなのかねぇとやっているしかない。肯定も否定もしていないのだから。だって愚生の笑いなんか、もっともっと情け無いものでしかないからである。

 坂口安吾も面白いことを言っている。滑稽についてである。ある意味、ボードレールよりも笑いについて突っ込んでいるのである。

 「茶番に寄せて」という安吾の作品があるが、「笑いは不合理を母胎にする」「喜劇には風刺がなければならない」「道化は昨日は笑っていない。そうして明日は笑っていない。・・道化芝居のあいだだけは、笑いのほかには何物もない。涙もないし、揶揄もないし、凄味などというものもない。・・道化は純粋に休みの時間だ」などなど非常に優れた笑いの分析をされている。あ、思わず敬語をつかってしまった。ご容赦願いたい。同じ印度哲学系の学問をされた坂口安吾だからである。

 メルロ・ポンティも言っている。笑いは「その場での超越」であると。他者がいないのである。坂口安吾もおなじことを言っているのである。現実があまりにも過酷だと、「その場での超越」を求めるしかないではないか。

 だから、愚生は今でも喜劇が大好きである。志村けんなんか最高である。意味もなにもないからである。ただひたすら笑っていられるからである。

 この反対に、「オレのような優れた人間が、出世しないのは周囲がオレのことを認めないからだ」とか「自分ほどの人間はもっといいマンションに住めるはずだ」とか「自分ほどの男には、絶世の美女が恋人として現れるべきである」とか言うのがいる。これは、実におもしろい人間である。自分に絶対の自信があるからだ。これは実に滑稽なおかしみがある。 

 自分に対してだけ、楽観主義者なのであるからである。自分自身にだけは、悲観的に考えることができないのである。愚生は反対である。自分に絶対の自信なんか持ったこともない。いつでも自分のことを、悲観的に考えてしまう。自信もないし、他人に説教たれることもなかなかできないのだ。そういうおめぇさんは、どうなんだい?ときかれてしまったら、なにも言えなくなっちまうのだ。


 また予定字数をオーバーしてしまった。なんだか、言葉の神様が、どんどん先へ進ませてくださるような気がしている。


 また明日!

 

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嫌われる哲学者だって

2012年07月04日 23時55分40秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 ぺダンチック(pedantic)で思い出したことがある。それは、三木清という哲学者である。この方はなかなかの激しい方であったと書かれている。今日出海とか、林達夫の本で。人格的に相当いろいろあった方であったとのことである。要するに成果主義で、有名病であったきらいがあるからである。

 若くして獄死されたから、老いたらどんな仕事をされたのだろうかと思うこともある。残念である。ひたすら残念である。48歳で亡くなったから、彼の名著と言われる「人生論ノート」はなんと40代後半で書かれたことになる。そこに「死」のことも書いてあるのだ。しかも、死をそんなに恐ろしく思わないとまで書かれている。年齢のせいであろうとも書かれている。40代でそう思うのである。まったくすごい人だ。早熟な老成である。たいしたものだ。

 しかしである。人によっては、三木清をかなり毛嫌いする人がいる、戦前の教養主義が、エリート臭につながるといわれる方もいる。確かにそうかもしれない。そういうものであるかもしれない。戦後の教養主義は、実存主義との戦いに敗れたと愚生なんかは感じているのだが。だから、回帰現象が最近現れているのだと思うことにしている。ある高校の学校経営方針にもこの教養主義というのが出てくる学校もあって、しかもそれには「重厚な」とまでついている。すごいことである。コメントはしないが。(別に批判もしていないのだケド)

 大読書家であった三木清らしさは、幾多の文章にも出てくる。まったくほほえましくなるほど断定的である。衒学的(pedantic)であるのだ。これも皮肉を言っているのではない。それほど勉強をなさっていたということを書いているつもりである。自信に満ちているのである。だから教養主義の典型であると思うのだが。

 しかし、人柄が嫌いだから、思想もたいしたことがないかというとそんなことを言っていたら問題である。嫌いでも、すごい人はたくさんおられるのである。だから読むしかない。とりあえずだ。とりあえず読んでみるしかないのである。そして相性があったら、すべてを吸収させていただくというスタンスで愚生はこれまでやってきた。よかったか、悪かったかは別として。

 どうも、二者択一というのは苦手である。イエスかノーかというのは、ある意味思考停止状態であるような気がする。なぜならあまりにもシンプルだからだ。

 そりゃぁ、芸術ならシンプリシティが成立するだろう。ちなみに、英語の辞書にはこんなことが書いてある。

 I without decoration;plan 2 easy 3 consisting of only one thing or part 4 (of something non-physical )  pure;the simple truth 5 easily tricked;foolish (ロングマン ハンディ 英英辞典)

 つまりpureと、simpleなのである。

 簡潔と純粋という意味を兼ねているのが、シンプリシティであるからであって、それが日本の美でもある。それでも、イエスなのかノーなのかという迫り方はしない。

 

 とりあえずというのは、大人の対応なのである。

 そのことにやっと気がついたのが、50代前半であった。それまで、実に短気な対応ばかりしていた。まさにシンプリシティであったからである。いろいろなトラブルにも対応しなくちゃならなかったし、それが仕事といえば仕事であったからである。だからそういう世界で、どのように生きるかということは、かなり愚生にとっては重要であったのである。若いときはそういう大人が許せなかったのだが。

 どんどん脱線していくが、アリスの「それぞれの秋」という歌がある。愚生のような70年安保を、大学紛争を経験してきた人間にとって実に懐かしい歌である。今日は、それがYoutubeに出ていたので、このブログの下にリンクを貼ってあるが、実に時間だけがだらだらと流れていく歌である。歌が好きだとかそういうのではない。

 二者択一を生きていた大学紛争時代の我々60歳前後の人間たちが、今はどういう分別を持って生きているのだろうかと思うからである。郷愁であってもいい。今もなおあの時の思想を生きていらっしゃるのであろうかと思うからである。愚生は、そこから敗者となっていった方々を卒論で扱ったのである。学部のである。「転向文学」というのである。敗者の論理というのは、ここから来ているのである。だから平家物語が好きなのである。敗者の文学であるからだ。そして、最近マスコミを賑わしている政治家の方がたもまたどっちかが敗者となられる運命にある。昔からそうではないか。古典にいくらでも出てくるからである。

 古典を読むと、本当に二者択一の世界である。だからそこはかとない趣も出てくるのであろう。敗者側に立ったらである。勝った側の物語というのはあまり面白くないし。

 脱線ついでに、芭蕉というヒトも面白いのである。芭蕉は、内縁の妻に裏切られる。内縁の妻と養子が不倫をしたのである。だから、ますます俳句に磨きがかかったとのたもう学者もおられる。晩年の作風は、だからいいものであると感じるのだ。愚生は。

 

 五月雨を集めて早し最上川

 

 愚生の故郷を扱った最上川の句はいい。孤絶している。激しくである。

  ところがだ。これをこんな形で国語の授業にしてしまった方がおられる。

 

発問7 「五月雨を集めて早し最上川」 この句の感動の中心は何ですか。 どの言葉から、それが分かりますか。 ノートに書きなさい。

それぞれの子どもの味わいを書かせ、発表させる。教師の解としては「大自然への畏敬の念」が感動の中心と考える。とうと うと流れる最上川。この川の水の全ては、山々や平地に降った一滴一滴の五月雨の集合体。日本三大急流といわれる最上川を、川舟で渡ることでしか旅を続ける ことができなかった芭蕉。五月雨を集め、水かさの増した最上川を下ることは命がけだったにちがいない。その様子を「おくのほそ道」には、「水みなぎって舟 危ふし」と表現されている。芭蕉が体験し、感動した最上川の大自然のすごさがこの一句に凝縮されている。

 

 ああああああああ・・・・・。

 こんなんではないのである。壮絶な孤独があるのだ、芭蕉には。それを学校で語ることはできないのかもしれない。あまりにも寂しい心境であるからである。

 

 おお、もう3900字を超えている。止めます。

 

 また明日。明日は銚子の千葉科学大学で授業をしなければならない。楽しみである。実に楽しみ。若い方と対話ができる。授業方法論のことである。今日のこの芭蕉の話もしてみるつもりであります。教育方法論であるからである。

 

 また明日!

 

 

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浮世絵師「溪齋英泉」を見に行った

2012年07月03日 22時22分48秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

千葉市立美術館

 

 浮世絵師「溪斎英泉」を見に行った。むろん、昨日まで城西国際大学の集中講義で教えていただいていた先生の影響である。東大で美学の教授をなされていた河野元昭先生である。先生からお勧めをいただいた千葉市立美術館である。350点もの作品が、特別展として空前絶後の規模で開催されていた。7月8日で終わりである。あとは、何十年後になるかわからない。行かれた方がよろしい。マジに、行かれた方がよろしい。

 愚生も今日行ったのである。学校にちょっと用事があったからである。なんということもない。来月奈良に行くからである。つまり、学割申請書を取得しに行ったのである。なぜなら、8月に国立奈良博物館で能楽学会が開催されるから、一般会員として拝聴させていただくからである。しかし、今のところ順調である。いろいろあちこち書かせていただいている。

 校長時代も本当にいろいろ全国誌に書かせていただいたが、退職してからは、そのスピードを上回っている。

 あ、ちょっと申し上げたいが、愚生は、成果を残そうとかというそういうスケベェこころで書いているのではない。一昨日だが、知人にもそんなことを言われてしまった。成果を上げないとねぇって。(大きなお世話だ \(^^@)/) 

  だから日本人が嫌いなんである。学校に行くのが、上昇志向なんだろうか?オレのように、単なる教養のために行ってはいかんのだろうか。

 漱石が高等遊民という言葉を使ったが、あれを無碍に拒否はできないと思っているんだが。その点、明治のインテリはエライ。少なくとも、就職のためだけに大学があるとは思っていなかったはずである。

 技能的な大学は別である。医学教育もそうであろう。今また、いろいろな大学が専門学校化しているけれども、明治時代は違っていた。その伝統を受け継いでいるのが、旧制帝大系の大学である。ものが違う。オレの高校の担任もそうだった。東北大学の卒業生で(他にもたくさんおられた)、当然オレの高校の先輩。きつかったなぁ。大学は東北大学以外は大学ではないといつもホームルームでおっしゃられていた。本当だろうなぁ。アカデミズムの総本山でありまするよ。もっとも当時の校長は東大出でありました。オレの高校の卒業証書はこの大センセのお名前です。教頭も凄い人でありました。東京高等師範学校卒のちょ~エリート。しかも国語の時間に、一語一句ゆるがせにしない、実に厳しい授業をしていただいた。だから、今のオレがあるんだケド。

 

 それを済ませて求名の駅まで走った。雨が降りそうだから?・・いやいや、十分天候は良かった。はやる気持ちがあったからである。

 千葉市に着いた。そして美術館の入り口で学割がきいた。呵々大笑である。60歳の大学生である。「すんまそん!ワシ、学生なんでしゅ~」と申し上げたら、受付の女性係官が、えっ?と言われた。あのうたぐり深い疑問系のお姿が忘れれられない。だから、速攻で学生証を出した。最近はこれが快感である。相手の反応が実に楽しいのだ。馬鹿みたいであるけど。(優秀でないのはタシカだわなぁ) 

 もっとも、こんな程度でしかナインでしゅ~(^0^)/ウフフ

 入館して、河野先生から教えていただいたメモがいくつもあったから、あれがそうか、これがそうかと、実にいろいろと観察をさせていただいていた。

 そんなことより、江戸時代のこの世界が実に間近に迫ってきたのである。何がであるかというと、花魁の世界というものがである。それは、愚生は見かけとちがって、昭和の生まれである。だから、そんな世界は知らないのだが、非常に浮世絵で描かれている花魁が美しく見えてしまったのだ。

 こりゃ、いかんと思ったが、逆に安心した。現代には花魁はいないからである。(^0^)/

 しかし、華やかなものである。誤解をしていたなぁ、今まで。毛嫌いしていたのだ。しかし、かわゆい人形を抱いた町人の娘とか、まるっきり現代とかわらぬ世界が描かれているではないか。 

 先日、30センチもあるような木履みたいなのを履いていると現代女性について、実に実感的・批判的に書かせていただいたが、すでに江戸時代から、女性はこんなのを履いていたではないか。でも、おへそ丸出しで電車に乗ってくるじょせ~がいるが、あれってジェンダー的にもまずいんじゃないっすかねぇ。今日、いたんですよ。古本チェーンのある本千葉駅で降りたから。それともう一人。やたらに足を組まない方がよろしいですよ、お若いじょせーたち。ミニスカートはいて、足を組んだらどうなるかということを誰も教えないってのはこれいかがなもんか。オレがいうとセクハラになるんでしょ?なんだか、セクハラもアメリカから来たというから、ちょっと疑ってきましたがね。

 例えばオイラがへそだしルックで電車に乗っていたら、犯罪行為ではないんすかねぇ?なんだかよくわからんが。オイラが、膝上30センチのハンズボンをはいて電車に乗っても、犯罪だと思うんだけど。それと変わらんお若いじょせーがいくらでもいるという状況は、さすがにまずいと思うのですケド。もっと慎みというのが、文化的遺産として残る方がいいと思っているんですが。外国人から見たら、日本人女性は何だろう?ってことになりはしませんかね。


 本論に戻ります。下駄である。雨の日に客を送りながら傘をさして、その下駄がなかなか脱げなくて難渋している若い女性。茶屋の女性であろうか。本来隠微な趣があるんだろうけど、人間肯定観があるねぇ、これって。なんだか池波正太郎の時代劇小説に出てきそうである。

 おもしろい。実におもしろい。

 こんな女性、現代でもいるんじゃないかなぁと思ったのである。仕草が実にかわいい。ふ~む、確かな観察眼だワイとうなっていたのである。 

 河野先生には、英泉の使っていた道具まで教えていただいていたので、これがそうかとうなった。西洋画の手法も取り入れていたのかもしれない。これはまたまた新発見。ゴッホまで出てきた。美術館の解説の中に。

 帰ってきて思った。つまり大衆の描き方がいいのである。相撲に夢中になる大衆も描かれていた。大空という2メートルを超す大男の相撲取りも。

 また、冬の東海道をひたすら、ただひたすら歩く傘をかぶった大衆。まったく下を見ているだけの構図である。これはたまらない。なぜって? それはオイラも雪国のヒトだからである。雪国の風景の登場人物であるからである。オイラ達は、ミチを歩いていて雪が降っていたら、誰もカオをあげるやつはいないからだ。そんな、一般ピープルの心情をよ~くわかっていてくださる。英泉せんせは。

 他にも、茶屋でおそらく不倫でもしているのではないかと思ったが、お歯黒をしていて、なんだかうきうきとしている奥様。美術館の解説には書いていなかったが、ひいきの役者との逢瀬を楽しむ風情であったと解釈した。やりすぎかな?

 鬼平犯科帳でも、あるいは剣客商売の小平老人のような洒脱な心境で見ると、また楽しいものである。

 

 千葉市文化センターには、いろいろな講座もある。

 居住地のこういう講座も受けてみたい。さらに城西国際大学にも社会人講座がたくさんある。河野先生にも言われた。リカレント教育でいいんだ!って。本来それが大学教育のあるべき姿なのかもしれないのであると、愚生は思っているのだ。なにも大学はちょ~若いヒトのためにあるんではないのだ。学校の名前とか、そんなのまったく関係がないのである。だって、上昇志向のために勉強しているのではないからである。

 これって、何度ご説明申し上げてもご理解いただけないんである。義母もなかなか理解できていない。それをやってから何かになるの?と聞くのである。

 周囲の人たちもそうだ。なんのためにやっているんだ?

 そんな大学院なんて行ってなんになるんだ?

 大学のセンセだって、65で定年だろ?

 オメェはもうすぐ61じゃねぇか。ナンニモなれるわけねぇだろ?

 

 まぁまぁやかましいことこのうえない。全部否定させていただきます。ホントに、勉強したいから勉強しているんです。ある意味、上昇志向もないし、就職志向もナインです。だって、このご老人のオイラが、大学の就職課にカオを出していたら、それこそ天下の笑いものでありますから。もっとも、城西国際大学の就職状況は気になりますが。それはあくまでエールでしかないけど。

 高校の校長大先生たちから聞かれますから。本学の様子とか、授業状況とか、学生の雰囲気とか,講義の手法とかであります。ある意味、非常にやっかいな人間が学内にいるということでもあります。ま、どうでもいいことですが。

 

 あしたも、大学に行こう。キーワードリストを作らなくちゃ。チャチャチャって案配に。

 

※今日は柔道のお稽古をさせていただいて、実に快適・爽快な気分でこの記事を書かせていただいた。おさなごを見ていると明日の日本も捨てたものではないと思うのである。稽古の帰り、ジムにも行ってきたし。そしてサウナにも入ってきたし。(^0^)/ウフフ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/