千葉市立美術館
浮世絵師「溪斎英泉」を見に行った。むろん、昨日まで城西国際大学の集中講義で教えていただいていた先生の影響である。東大で美学の教授をなされていた河野元昭先生である。先生からお勧めをいただいた千葉市立美術館である。350点もの作品が、特別展として空前絶後の規模で開催されていた。7月8日で終わりである。あとは、何十年後になるかわからない。行かれた方がよろしい。マジに、行かれた方がよろしい。
愚生も今日行ったのである。学校にちょっと用事があったからである。なんということもない。来月奈良に行くからである。つまり、学割申請書を取得しに行ったのである。なぜなら、8月に国立奈良博物館で能楽学会が開催されるから、一般会員として拝聴させていただくからである。しかし、今のところ順調である。いろいろあちこち書かせていただいている。
校長時代も本当にいろいろ全国誌に書かせていただいたが、退職してからは、そのスピードを上回っている。
あ、ちょっと申し上げたいが、愚生は、成果を残そうとかというそういうスケベェこころで書いているのではない。一昨日だが、知人にもそんなことを言われてしまった。成果を上げないとねぇって。(大きなお世話だ \(^^@)/)
だから日本人が嫌いなんである。学校に行くのが、上昇志向なんだろうか?オレのように、単なる教養のために行ってはいかんのだろうか。
漱石が高等遊民という言葉を使ったが、あれを無碍に拒否はできないと思っているんだが。その点、明治のインテリはエライ。少なくとも、就職のためだけに大学があるとは思っていなかったはずである。
技能的な大学は別である。医学教育もそうであろう。今また、いろいろな大学が専門学校化しているけれども、明治時代は違っていた。その伝統を受け継いでいるのが、旧制帝大系の大学である。ものが違う。オレの高校の担任もそうだった。東北大学の卒業生で(他にもたくさんおられた)、当然オレの高校の先輩。きつかったなぁ。大学は東北大学以外は大学ではないといつもホームルームでおっしゃられていた。本当だろうなぁ。アカデミズムの総本山でありまするよ。もっとも当時の校長は東大出でありました。オレの高校の卒業証書はこの大センセのお名前です。教頭も凄い人でありました。東京高等師範学校卒のちょ~エリート。しかも国語の時間に、一語一句ゆるがせにしない、実に厳しい授業をしていただいた。だから、今のオレがあるんだケド。
それを済ませて求名の駅まで走った。雨が降りそうだから?・・いやいや、十分天候は良かった。はやる気持ちがあったからである。
千葉市に着いた。そして美術館の入り口で学割がきいた。呵々大笑である。60歳の大学生である。「すんまそん!ワシ、学生なんでしゅ~」と申し上げたら、受付の女性係官が、えっ?と言われた。あのうたぐり深い疑問系のお姿が忘れれられない。だから、速攻で学生証を出した。最近はこれが快感である。相手の反応が実に楽しいのだ。馬鹿みたいであるけど。(優秀でないのはタシカだわなぁ)
もっとも、こんな程度でしかナインでしゅ~(^0^)/ウフフ
入館して、河野先生から教えていただいたメモがいくつもあったから、あれがそうか、これがそうかと、実にいろいろと観察をさせていただいていた。
そんなことより、江戸時代のこの世界が実に間近に迫ってきたのである。何がであるかというと、花魁の世界というものがである。それは、愚生は見かけとちがって、昭和の生まれである。だから、そんな世界は知らないのだが、非常に浮世絵で描かれている花魁が美しく見えてしまったのだ。
こりゃ、いかんと思ったが、逆に安心した。現代には花魁はいないからである。(^0^)/
しかし、華やかなものである。誤解をしていたなぁ、今まで。毛嫌いしていたのだ。しかし、かわゆい人形を抱いた町人の娘とか、まるっきり現代とかわらぬ世界が描かれているではないか。
先日、30センチもあるような木履みたいなのを履いていると現代女性について、実に実感的・批判的に書かせていただいたが、すでに江戸時代から、女性はこんなのを履いていたではないか。でも、おへそ丸出しで電車に乗ってくるじょせ~がいるが、あれってジェンダー的にもまずいんじゃないっすかねぇ。今日、いたんですよ。古本チェーンのある本千葉駅で降りたから。それともう一人。やたらに足を組まない方がよろしいですよ、お若いじょせーたち。ミニスカートはいて、足を組んだらどうなるかということを誰も教えないってのはこれいかがなもんか。オレがいうとセクハラになるんでしょ?なんだか、セクハラもアメリカから来たというから、ちょっと疑ってきましたがね。
例えばオイラがへそだしルックで電車に乗っていたら、犯罪行為ではないんすかねぇ?なんだかよくわからんが。オイラが、膝上30センチのハンズボンをはいて電車に乗っても、犯罪だと思うんだけど。それと変わらんお若いじょせーがいくらでもいるという状況は、さすがにまずいと思うのですケド。もっと慎みというのが、文化的遺産として残る方がいいと思っているんですが。外国人から見たら、日本人女性は何だろう?ってことになりはしませんかね。
本論に戻ります。下駄である。雨の日に客を送りながら傘をさして、その下駄がなかなか脱げなくて難渋している若い女性。茶屋の女性であろうか。本来隠微な趣があるんだろうけど、人間肯定観があるねぇ、これって。なんだか池波正太郎の時代劇小説に出てきそうである。
おもしろい。実におもしろい。
こんな女性、現代でもいるんじゃないかなぁと思ったのである。仕草が実にかわいい。ふ~む、確かな観察眼だワイとうなっていたのである。
河野先生には、英泉の使っていた道具まで教えていただいていたので、これがそうかとうなった。西洋画の手法も取り入れていたのかもしれない。これはまたまた新発見。ゴッホまで出てきた。美術館の解説の中に。
帰ってきて思った。つまり大衆の描き方がいいのである。相撲に夢中になる大衆も描かれていた。大空という2メートルを超す大男の相撲取りも。
また、冬の東海道をひたすら、ただひたすら歩く傘をかぶった大衆。まったく下を見ているだけの構図である。これはたまらない。なぜって? それはオイラも雪国のヒトだからである。雪国の風景の登場人物であるからである。オイラ達は、ミチを歩いていて雪が降っていたら、誰もカオをあげるやつはいないからだ。そんな、一般ピープルの心情をよ~くわかっていてくださる。英泉せんせは。
他にも、茶屋でおそらく不倫でもしているのではないかと思ったが、お歯黒をしていて、なんだかうきうきとしている奥様。美術館の解説には書いていなかったが、ひいきの役者との逢瀬を楽しむ風情であったと解釈した。やりすぎかな?
鬼平犯科帳でも、あるいは剣客商売の小平老人のような洒脱な心境で見ると、また楽しいものである。
千葉市文化センターには、いろいろな講座もある。
居住地のこういう講座も受けてみたい。さらに城西国際大学にも社会人講座がたくさんある。河野先生にも言われた。リカレント教育でいいんだ!って。本来それが大学教育のあるべき姿なのかもしれないのであると、愚生は思っているのだ。なにも大学はちょ~若いヒトのためにあるんではないのだ。学校の名前とか、そんなのまったく関係がないのである。だって、上昇志向のために勉強しているのではないからである。
これって、何度ご説明申し上げてもご理解いただけないんである。義母もなかなか理解できていない。それをやってから何かになるの?と聞くのである。
周囲の人たちもそうだ。なんのためにやっているんだ?
そんな大学院なんて行ってなんになるんだ?
大学のセンセだって、65で定年だろ?
オメェはもうすぐ61じゃねぇか。ナンニモなれるわけねぇだろ?
まぁまぁやかましいことこのうえない。全部否定させていただきます。ホントに、勉強したいから勉強しているんです。ある意味、上昇志向もないし、就職志向もナインです。だって、このご老人のオイラが、大学の就職課にカオを出していたら、それこそ天下の笑いものでありますから。もっとも、城西国際大学の就職状況は気になりますが。それはあくまでエールでしかないけど。
高校の校長大先生たちから聞かれますから。本学の様子とか、授業状況とか、学生の雰囲気とか,講義の手法とかであります。ある意味、非常にやっかいな人間が学内にいるということでもあります。ま、どうでもいいことですが。
あしたも、大学に行こう。キーワードリストを作らなくちゃ。チャチャチャって案配に。
※今日は柔道のお稽古をさせていただいて、実に快適・爽快な気分でこの記事を書かせていただいた。おさなごを見ていると明日の日本も捨てたものではないと思うのである。稽古の帰り、ジムにも行ってきたし。そしてサウナにも入ってきたし。(^0^)/ウフフ