と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

ペダンチック(pedantic)

2012年07月02日 23時30分32秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 っと終了。


 中講義。っこう辛いもんです。受けてる方も。時間はやっていただいていたから。れにつけても先生のバイタリティが凄い。敬してしまう。れだけ長時間をのべつまくなし義をすることができるということにである。今日は、9:30から夕方6:30まで。昼食も学生食堂で先生と、う一人の女性院生と、生と急ぎの食事。の時の話が実に面白かった。容は書けない。育制度価のことでありましたが。

 

 たと気がついたことがある。生ご自身にも確認させていただいたが、講義の時にいただいた資料が実にいいものであったからである。「キーワードリスト」んである。れは知らなかった。れ一本でなんでも話すことができる。るほど。この記事に紹介をするわけにはいかないが、にいい。ただし、ージ数は多い。成するだけでも実に大変でありましたでしょう。

 

 ネをさせていただいた。京からバスで帰ってきて、楽源流考をーワードリスト」方式で、き始めている。子辞書片手に、れまで不十分な理解であったものを調べながらやってみた。かなかいい。れ、日から愚生のメインの仕事になるかもしれない。

 

 きるならば、そのキーワードリストを見ながら、の前に大学生でもいるようなつもりで話をしてみることだ。っこういいと思う。ってみよう。

 

 日は、生からご紹介いただいた浮世絵の350篇にもおよぶ作品を千葉市立美術館に見に行く。大イベントをやっているんだそうだ。月の8日までである。これは行かずばなるまい。

 

 んな形でどんどん興味が拡散していく。りがたいものである。だし、点気をつけないといけないことがある。れはあくまで、分のやりたいことから逸脱してはならないということである。士の時に随分注意しながらやっていたことである。的巨人を気取っていて、んでも知ったかぶりをしてはならんのである。

 

 れをペダンチックpedanticというのだ。者ぶる、学的であるということである。シアの小説かなんかにも出てきていたなぁ。しい村の、師を息子の目から見た小説であった。みもしない高価な書籍を買ってきては、書斎と称する自分の部屋に積んでおくだけという話。要するにインテリを気取っているだけのおとうさんを皮肉っていることである。ユゴーのレ・ゼラブルだったような気もするが。ったかな。はっきりしていない。なにしろアタシャ、非ペダンチックでありますから。違っていたら明日訂正します。

 

 ちがってもアッシは、学的なんてあり得ないし、般ピープルだし、んもわからないことばかりだし、要するに庶民であります。だから自分よりお若くても、れたヒトには敬意を現すのである。れは、イラにナイ部分を持っておられるということへの尊敬である。




 それにしても、東京はヒトが多い。
 地下鉄のエスカレータというの、あれワキをドンドンすり抜けていくヒトが多い。危ないですねぇ。何をそんなに急ぐんでしょうか。生きることに瞬時の余裕も持てないっちゅうことでしょうか。周囲の方々たちもひっきりなしにメールを打っている。まったく忙しそうにしておる。一番ひどいのが、電車の中でよっこいしょとPersonal Computerを広げている御仁。けっこう大きいやつをである。あれこそ本日のタイトルどおりのような気がするのだが。ま、どうでもいいことばかりである。


 あたしゃ、誰からもメールは来ないし、来てもすぐには出さないし、℡だってしない。だいいち、オイラに用がある人なんて誰もいませんからねぇ。(^0^)/ウフフ




 明日は久方ぶりに朝寝ができる。


 もっとも、ワンコが騒ぐから寝てられんのだケドね。



 

 

 

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超一流の先生と国立博物館に一日

2012年07月01日 23時30分45秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

見返り美人です

かなり早めに東博前の池で

あ、この男性、あたくしではありませんよ。こんなにいい男なわけがナイ

国立博物館です

こっちは国立科学博


デコイチです

言わずと知れた西郷さん

パンダ橋の解説

パンダ橋・・知らなかったです

これは有楽町線有楽町駅に鎮座ましますポンタくん






 集中講義の二日目。今日は東京上野の国立博物館であった。講師がなんといっても超一流である。東京大学の美学の教授であられた先生である。そういう先生と朝の10時から、夕方6時までみっちり講義をいただいた。実地の研修である。これはなかなかである。機会がないではないか、普通は。昨日も、今日も、明日も同じ先生に教えていただく。三連チャンである。しかし、こういう博物館とか、美術館とかたまに行っていたが、まるっきり一日同じ場所にいたってことは、これまでの人生ではなかった。しかも講義をいただきながら、である。最高の講義であった。もうこんな体験二度とないだろうが・・。

 警備の方も、聞き惚れていた。詳しいですねぇと。だから、クラスメイトが東大の教授だったんですよ、と言うと納得いった風情であった。

 メモもたくさんとらしていただいた。特に能楽関係ではICレコーダーで先生のご発言をとらしていただいた。中国と能の関連も非常に興味深かった。

 先生は江戸時代を中心とした浮世絵の専門家であるが、すべての歴史的事象に精通しておられた。学ぶべきはこういう姿勢である。

 しかし、先生は実に精力的である。倦むことを知らない。文化的な知的遺産を我々に伝えようとなされている。ありがたくて、涙が出そうになりました。

 いちばん出来の悪いのが、アタクシである。なかなかついていけない。ムムムム、、、不勉強を恥じてばかりである。なんてったって、アタシャ、これからの展望がないからである。つまり、就職しようとしてもできないからであって、リタイヤした身であるからである。その辺を先生にちょっと申し上げたら、いいじゃないかそれ!と言っていただきました。「これから余生をすごすのに、生涯学習をさせていただきます」と申し上げたのでありますよ、マジに。そして、ハタと気がついたのである。「余生」。これである。これ。

 我ながらいいことを言ったもんである。

 本質をずばりついている。だから、城西国際大学には感謝申し上げているのだ。本当に入学させていただいて感謝いたしておるのである。こういう機会も与えていただいたし。こんなこと、なかなかできないことでっせ。

 明日も9時30分から夕方の6時過ぎまで講義をいただく。またまた居住地を6時20分の電車で行く。成東から始発の快速電車があるのだ。これだとちょっと早めに着くが、それもご愛敬。幕張に三年間現役時代に通勤させていただいた時の電車と同じだ。それにアタクシ、そんなに寝なくてもよくなったのである。

 この記事だって、帰ってから書いているんです。それも、明日クラスメイトにあげる今日の写真を印刷しながらである。

 ありがたいではないか。未来の知的世界を背負う若手の俊秀たちと、たとえ一時(ittoki)でも共有させていただいたからである。今月にクラスメイトたちは一時的に本国に帰る。高校よりも遅い夏休みがあるからである。また9月には日本に来られる。

 しかし、夏休みが留学生を除いては25日しかない大学というのはいろいろ大学に行ったが、初めてである。もっとも、アタシャ、7月も8月も毎日大学に通学するが。(^0^)/ウフフ

 

 そして、来週の金曜日に行われる最後の講義が終わったら、もうクラスメイトとは会えないだろうと思うからでもある。愚生、後期の授業はあまりないからである。後は、M師匠につきっきりであるからである。

 皆さん、本当にお世話になりました。ますますのご活躍を!

 

 

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/