と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

5月24日(水)のつぶやき

2017年05月25日 04時46分14秒 | とーま君の流儀2017
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Tagore Song Jukebox | Sraboni Sen Solo | Top 30 Rabindra Sangeet

2017年05月24日 14時47分03秒 | とーま君の流儀2017
意味が全くわからないけど。
残念ながら。
作業用に聞いています。
分かるようになりたいけど。
その内あの世に行ってしまうか・・・・トホホ。

でも不思議な癒やしのチカラを持っているですなぁ~~~。くだらない現世を笑い飛ばしてしまうような、パワーも感じるし。これは中国とか日本にはないタイプの歌ですよん。



 

2015/11/21 に公開

Rabindra Sangeet By Sraboni sen

:: Songs List ::

1. Aaj Jemon Kore Gaiche Aakash
2. Aamar Din Phuralo
3. Aamar Khela Jakhan Chilo
4. Aamar Raat Pohalo
5. Aji Jharer Raate
6. Amar Moner Koner Baire
7. Amar Hiyar Majhe
8. Amar Mallika Bone
9. Amar Mon Mane Na
10. Amar Mukti Aloy Aloy
11. Amaro Parano Jaha Chay
12. Baro Asha Kore Eshechigo
13. Bhalobese Sakhi
14. Bhenge Mor Gharer Chabi
15. Chokher Aaloe Dekhechilem
16. Dariye Acho
17. Eai Udasi Haowar Pathe
18. Gahanoghana Chhailo
19. Hare Re Re
20. Jadi Tare Nai Chini Go
21. Jagate Anandajaggye Amar Nimantran
22. Jodi Prem Dile Na Prane
23. Megher Pare Megh Jomechhe
24. Na Chahile Jare Paoya Jai
25. Oi Shuni Jeno
26. Phoole Phoole Dhole Dhole
27. Saghana Gahana Ratri
28. Sokhi Bhabona Kahare Bale
29. Tumi Rabe Nirabe
30. Tumi To Sei Jabei Chale

 

Tagore Song Jukebox | Sraboni Sen Solo | Top 30 Rabindra Sangeet

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国家主義と国際主義―ラビンドラナート・タゴールの政治哲学

2017年05月24日 14時33分51秒 | とーま君の流儀2017
林住期にふさわしい詩人タゴール!
楽しい後半生ですよん。
ボキの場合。
 


2015/06/09 に公開

I-House【日印対話プログラム】
国家主義と国際主義―ラビンドラナート・タゴールの政治哲学

日時: 2015年3月18日
講師: ラーマチャンドラ・グハ (歴史家、伝記作家)
共催: 国際交流基金

[Japan-India Distinguished Visitors Program]
Between Nationalism and Internationalism: The Political Philosophy of Rabindranath Tagore

Date: Wednesday, March 18, 2015
Lecturer: Ramachandra Guha (Historian/Biographer)
Co-organizer: The Japan Foundation

国際文化会館で行われたプログラムを動画で公開しています。
©2015 International House of Japan, Japan Foundation

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国家主義と国際主義―ラビンドラナート・タゴールの政治哲学

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映像の世紀 第5集 世界は地獄を見た (Blu-ray Quality 2K)

2017年05月24日 07時17分45秒 | とーま君の流儀2017

ジジイであっても黙って見ているだけではアカン。生涯学習は、あらゆることに興味関心が深まっていくから

 

 

個と政体を混同したことが第二次世界大戦を産んだと思っている。個人があまりにも優れているなんてぇことは警戒しなくちゃならん。そう錯覚していると、国家の将来を誤る。ヒトラーの事例がそうだし、最近ミサイルを連発している某国もそうである。

強力なリーダシップというのはあまりにも雑な思考から来ている。あるいは責任転化論である。ボキのような庶民が、ある特定の個性になんでもかんでも責任をおっかぶせて後は知らんぷりを決め込む。

オレは、ワタシはなんの責任もないってぇ案配である。体験上まったくそう思う。組織というのは、そうやって生き延びてきたんだろうけど。

思えば、幕藩体制だってそうだった。お殿様が切腹することで、すべての責任がチョン。それで終わりだったわけである。家臣団は後のことは知らんぷりである。浪人をしたんだろうが。

ミサイル連発の某国はなにを考えているんだろうとシミジミ思う。戦争をやってみたいという妄想なのであろうか。話にならない。

個性がすべてを支配しているのかと思うと、情けない。

決してそんなことはない。

民主制は、だからこそ我々庶民が意識を高く持っていかないとモタナイのである。庶民でも、勉強することはデキるのである。

情報公開だけが勉強する機会になっているのではない。上から目線で情報公開をしている組織もあるではないか。もっとも情報公開すらやっていない組織もある。外国の政治組織も含めて。具体的には書かないけど。

そこに生涯学習が登場してくるのである。

ボキのように生涯学習ごっこをやっていても、現在なにが起きているのかということは興味関心の的である。

生涯学習だからと言っても、なにも福祉とか、自分の老後のことばかりやっているのではない。老人はすっこんでおれ!と言われるのであれば、ボキはいかがなものかと思う。

ま、なにをやっても素人だけど、ボキは。

しかしである。素人だからこそ、世の中に対する興味関心は失っていないと思う。でないと、騙される。ジジイだからすっこんでおれと言われたら、ううううううむである。

黙っているわけにはいかない。

もし某国からミサイルが飛んで来たら、ボキは黙っていられるワケがない。行動に移すしかない。

家族のためである。孫のためである。大きく言ったら国家のためである。

冗談ではない。

ワケのわからん個性に、我が国家が蹂躙されていいのであろうかと思うからである。希望を失ってはならん。

Youtubeで以下の番組を見ていたから、そう思ったのである。

 

 

 

 

映像の世紀 第5集 世界は地獄を見た (Blu-ray Quality 2K)

 

映像の世紀 第5集 世界は地獄を見た 無差別爆撃、ホロコースト、そして 原爆

NHKスペシャル デジタルリマスター版 映像の世紀 ブルーレイBOX

http://amzn.asia/h7lAstp

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5月23日(火)のつぶやき

2017年05月24日 04時46分42秒 | とーま君の流儀2017
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旅は自分探しのために?・・・よくわかんねぇけど

2017年05月23日 08時52分04秒 | とーま君の流儀2017

遠野に行った時に、タゴールの「死生の詩」をホテルで読んでみたいと思っている。鎌田實先生の猿まねだけど。ま、いいじゃないか。自分探しだから(^_^)

 

 

旅はいい。日常生活から離れることができる。今さら、自分探しの旅なんてぇもんはない。できない。もう十分自分探しはやってしまったからである。

自分はなにものであったのかというと、悪党であったとしか言いようがナイ。笑ってしまうくらいに、つまらない男であった。

定年まで仕事はやったから、いわゆるアイデンティティーというのはあった。でもそれだけである。仕事イコール自分ではなかったからである。そう思っている。

今もそうだ。爺イコール自分ではない。

ところがだ。

これからボキは死んでいく。病気かもしれない。事故かも知れない。なんだかわからないけど、死ぬことだけは間違いがない。

その時にである。自分はなんだったのであろうかと疑問に思うことはないのだろうか。そういう疑問が最近あるのだ。

ガンで絶望的な状況になったときに、ボキは自分を受け入れることができるのだろうか。

最初は絶望し、自暴自棄になり、やがて受容していくとキューブラー・ロスは書いている(「死の瞬間」)。しかし、これホントウだろうか。

受容なんてそんな簡単なもんではないだろうというのが、前提にあるからである。

どうなるのか、そんなことはわからない。

わからないから人生が楽しいのである。しかし、さらに自分が何者であるのかというのも、まだまだわからないではないか。

まだボキは「小僧寿司」である。そう「小僧」なのである。未熟者である。熟していない。熟しきって腐ってくる場合もあるだろうけど、まだまだ実が入っていないのである。

カスカスなのである。

空洞である。

特にアタマが。

わはははっははははっははははっはははっは。

 

だから旅に出たいのである。

鎌田實先生は、東北の遠刈田温泉のだいこんの花という旅館をイチオシしていた。「本当の自分に出会う旅」(集英社文庫)で紹介されていた。

ロビーに囲炉裏があって、甘酒が出迎えてくれるそうな。おもてなしの心が行き届いているのだそうな。旅館の敷地内に農園があって、そのおすそわけもしてくださるそうな。

いわゆるロッジ形式の旅館である。

その旅館で鎌田實先生は、タゴールの「死生の詩」を読むのだそうな。

ここに到って、ボキも読みたくなったのである。タゴールである。「死生の詩」というのがいい。まだボキも読んでいないからだ。しかも医師の鎌田實先生が読んでおられたから、光る。死生の時を見つめてこられた医師であるからだ。

そうすると、ボキはまだまだ自分をつかめていないではないか。

そう思った。

タゴールの「死生の詩」は県立図書館から借りる。今日、用意されているだろう。借りて、気に入ったらAmazonから買うつもりである。

来月、遠野に行ったときに、ボキもタゴールを読みたい。

猿まねだが(^_^)。

 

さ、今日は退学した某大学に行ってくる。中国語講座がある。午後から。

さいきん、シャドーイングにチャレンジしているからなんとなく中国語もおもしろくなってきた。どうせ趣味である。学ぶことがである。

 

ヾ(*´∀`*)ノ

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5月22日(月)のつぶやき

2017年05月23日 04時42分28秒 | とーま君の流儀2017
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柔道の大会に行って、それからかつての柔道の教え子たちと飲んで考えたことは

2017年05月22日 07時36分47秒 | とーま君の流儀2017

道に迷った救いようのない迷い子のジジイでありましたなぁと、しみじみ反省をして参りました。マジに。

 

 

柔道の大会があった。市民レベルの大会であった。要するに趣味で柔道を楽しんでいる方々の。中高生も入るけど。趣味でやっているといってもそれなりのレベルにないと、かえって危険である。

大学院を中退するまでは、試合の審判もやった。できたから。しかし、中退してからは萎えた。病気は、環境を変えてしまった。やる気も失せた。柔道のである。

稽古をしなくなった。体力がついていけない。したがって、柔道場にも顔を出さなくなったし、柔道着を着ることもなくなった。

言わば、柔道に関してすべてを捨ててしまった。嘉納治五郎大系という全集も捨ててしまった。

なにを今さらと思ったからである。

病気はすべてを変更させてしまう。

ボキの場合は特にそういう傾向がある。思い切ってリセットしてしまうのである。

環境を変えてしまいたいということだった。

それで良かった。

しかし、昨日の柔道大会ではかつての柔道の教え子達から矢のような催促があった。大会に来てくれという。さらにその後のご苦労サン会にも出てくれとなった。

結局全部参加した。

大会では知人友人たちが、本部席にで~~~んと構えていた。挨拶には行った。二年ぶりでございますと言いながら。まだ生きていますよんと笑いながら。

本部席に座れと言われたが、ボキは遠慮した。それだけの段位にない。ただの4段である。隅っこにいるのがふさわしい。

ボキはそんなエラクナイからと言って、ボキの居住地のチーム席に戻っていった。そういうところが、ボキらしいということになる。

要するにヒネクレているのである。そういうただのジジイなのである。

笑ってしまったけど。

午後、gymにいた。

そしたら、またスマホに電話がかかってきた。体育館のランニングコースをwalkingしていた時であった。

今、某所でご苦労様会をやっているから、すぐ来てくれという。少年少女たちの指導者になっているかつての教え子からである。

もう諦めた。

Walkingを中断して行くことにした。まだ日課にしている歩数に達していなかった。

だから、家に一旦帰ってクルマを置いてそれから会場まで歩いた。距離にして往復6キロはあるだろう。

かえって歩数を稼ぐにはいい。

会場についた。

日本酒を頼んだ。一合までならOKという主治医の許可があるから、その旨を伝えて飲み始めた。

美味い!

やっぱり、ボキはいやしいのである。アルコールに。美女とはご縁がないけど(^_^)。

いろんな話に花が咲いた。

良かった。完全に人間関係まで切り捨てないで。

 

思うに、ボキの柔道は剛道であった。要するに思い込んだら一直線であった。単純系である。複雑系を生きることができなかった。攻撃一辺倒であった。

こういうのは受けが弱い。こっちが攻撃するけど、逆襲されたら弱いのである。身体も小さいしねぇ。

柔道は老子にもつながる。柔弱こそ貴重なのである。そこのところが、よく理解できていなかった。

だから病気にもなるわけである。

 

良き反省のきっかけとなった。

まだまだである。

まだまだ。

やるべきこと、やらねばならないことはたくさんある。

 

帰りも歩いて帰ってきた。教え子たちから、クルマで送っていくと言われたが断った。そして、歩きながら考えた。

なんだか道を迷いながら生きてきてしまったなぁと思った。大学院に、還暦過ぎてから入ったのが大間違いであったのかもしれない。そんなことを考えていた。

大学院も柔道も一緒であったのだ。能力・適性がなかったということなのだった。

ううううううむ。

 

今週もいろいろと予定が組んである。郷土史の会もある。

こだわらないで、自分のできる範囲でやっていくしかないと思った。

それだけが唯一の収穫であった。

 

合掌・・・・・!

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5月21日(日)のつぶやき

2017年05月22日 04時50分47秒 | とーま君の流儀2017
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昨日は、成田山新勝寺の蝋燭能「小鍛治」を堪能した。さらに、高校同窓会の案内が来ていた。昨日はおもしろい体験を一杯させてもらった。今日は柔道の大会があるけど。

2017年05月21日 08時15分38秒 | とーま君の流儀2017

能を見て実に霊的な体験をしてきたのだ。当たり前である。成田山新勝寺の御前様の読経から始まったのであるから(⌒▽⌒)

 

 

成田山新勝寺でおこなわれた蝋燭能「小鍛治」を堪能してきた。昨日である。夕方五時には整理券を持って並んでいた。六時から開演。整理券を配り始めたのが、2時半からであった。だからボキもその時間に行った。しかし、もう整理券番号が117番であった。驚いた。熱心な方々が多いのである。

整理券を受け取ってから、成田山新勝寺の仏教図書館で時間をつぶしていた。新勝寺附属の成田高等学校の学生もいた。勉強していた。いがぐりアタマの高校生である。最近は珍しいヘアスタイルになった。ボキも、高校時代3年間いがぐりアタマであったから、なんだか親近感を持っちまった。

実は、小鍛治は初めて見た。

自称能楽ファンである。

能の動画もかなり所有している。スマホで見る場合もある。Gymで。歩きながら。時間が長いから、スマホの設定で歩きスマホ規制を解除している。公道では歩きスマホはやらない。あくまで体育館である(ホントは良く無いんだろうけど)。

人間国宝がお二人来ていた。

梅若玄洋先生と山本東次郎先生であった。

新勝寺だからできるんだろうなぁと思った。

それよりなにより、新勝寺の御前様の読経から蝋燭能が始まったのである。これはびっくりした。千駄ヶ谷の国立能楽堂では考えられない。

ボキは、長い間万教帰一というか宗派にとらわれないできた。最近その宗旨をヤメタ。言わば「みなの宗」から脱退したのである(⌒▽⌒)。つまり、成田山新勝寺の真言宗智山派の末寺に所属した。墓地を買ったからである。

義母の導きである。91歳で一昨年亡くなった義母と同じ宗派にしたのだ。

だから成田山新勝寺の御前様の読経をありがたく拝聴していた。

いつも持っているショルダーバックには、成田山新勝寺の御経本も入っている。それをバックから取り出してみた。御前様の読経とは違っていた。当たり前である。ボキは、庶民である。御経ウンタラとくだらないことをくっちゃべっていたらアカン。

それで厳かに能が始まったというわけである。

ホントウに厳かであった。

霊的な体験であった。しびれた。会場が、静寂な雰囲気に包まれている。これから霊的な体験ができると思うと、ワクワクしてきた。

能は、「翁」に代表されるように宗教的な要素をふんだんに持っている。単なる芸術ではない。あり得ない。

しかも場所が成田山新勝寺の光輪閣という大ホールである。信徒会館の4階にある。大きいのである。千畳はあるだろうか。椅子席であったが。柔道のメッカである講道館大道場くらいあった。

新勝寺という場所で能を見るということが、そもそも霊的な体験である。

夜、8時半に終演した。

堪能した。

久しぶりに堪能した。

Walkingの目的もあったから、近くのイオンまで歩いて行った。イオンのBookオフで古本を買ったからである。医師の鎌田實先生の本を三冊買った。お昼過ぎにである。整理券を貰ってから、寺内の休憩所で一冊読了してしまったけど。あと二冊は、今日読む。

鎌田實先生の本もターミナル・ケアの事例に満ち満ちている。仕事をしながら大学院で学んだターミナル・ケアである。

こちらもなんだか霊的な体験でありましたよん。

遅い晩飯を食ってから、家に帰った。

そしたら、高校の同窓会案内が来ていた。東京のホテルオータニで同窓会をやるという。

その時に、講演があるのだがびっくりした。高校の同級生が講師で同窓会の講演をするのだという。ボキは、山形県の某市で生まれたのだが、その隣町の出身である。履歴まで詳しく書かれていた。K君である。確か、現役で横浜国立大学に行ったと記憶していた。しかし、履歴が違っていた。学部は早稲田の法学部卒。横浜の方は中退したのだろう。さらに文学部の西洋史学科から同大学大学院修士課程卒。つまり、彼はボキの中学教師時代を殆ど学問に費やしていたことになる。うらやましいような経歴である。しかし、結局やった仕事はボキとまったく同じであった。最後は某県の高等学校長。現在某大学で非常勤講師。そこまで書いてあった。

おかしくて笑ってしまった。似たようなことをやっちょるんだなぁと思った。

ボキにはそんなオファーはない。あり得ない。第一、講師紹介で履歴を他人に公開できるほどの履歴はないからである。そんなもん、犬に食われてしまえと思っているくらいである。

さ、今日は柔道の大会である。

どうしても応援に来い!とかつての柔道の教え子から、昨日電話が何回もかかってきた。新勝寺の休憩所で鎌田實先生の本を読んでいたときである。

エコノミークラス症候群になってからは、柔道はやめてしまった。だから行く気がしなかったのである。しかし、試合の応援くらいならいいか。

解禁だ。解禁。応援の。

会場まで歩いて行ってこよう。往復6キロはあるかな?

それもまたよし、これもまたよし。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

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5月20日(土)のつぶやき

2017年05月21日 04時47分18秒 | とーま君の流儀2017
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自由が大好きでありまする。まさに好き勝手に生きております。(_ _ )/ハンセイ

2017年05月20日 07時01分00秒 | とーま君の流儀2017

自由自在に生きていますなぁ。まったく。申し訳ないとは思うのでありますが。これから成田山新勝寺に行って蝋燭能を見てくるから。

 

 

自由になった。実感である。しがらみというものがまったくない。退職してあらゆる組織から離反したからである。離反させられたと言うべきなんだろうけど。ちょっとだけアルバイトをやっているから、まったくフリーだとは言えないが。

それよりも自由になったというのが実にありがたい。

でも、自由になったというのは実は大間違いである。そもそもボキは、最初から自由であったのだ。

安い町外れの大衆食堂に寄ったときに、壁にところ狭しと貼られているお品書き(?)を見ながら何を食おうかと思う自由があったことをちょいと思い出した。そうなのである。最初から何を食おうかと決めて店に入っていかないからである。なんでもいいのだ。自由に決める。その場の雰囲気である。美味そうだなぁと思えば、それにする。そしておいしくいただくのである。

自由だからである。

ラーメン屋に行ってもそうである。最初からこれと決めて店に入るわけではない。回転寿司の店もそうだ。あの類いの店は、品数が多すぎてこれが食いたいと思って入店するわけではないだろう。その場で、思いつくままに回転台から取る。あるいはボタンを押して注文する。

つまり自由である。自由に食ったり、飲んだりしている。

ボキは、そういう自由が大好きである。

これまでの人生を選択してきたのも、自由だからである。なんにもしばられないように、生きてきた。これまでの人生で、選択する道はいくらでもあった。高校入学もそう。大学進学もそう。大学院もそう。就職先を、九十九里浜にしたのもそうであった。偶然も支配していた。自由に道を選んで来てしまった。

だから、退職してから自由になったわけではない。

退職後もアルバイトをしている。それもまた自由だからである。再雇用をしてもらって・・・という生き方もあったのだろうが、しなかった。自由だからである。

もう現役時代のしがらみから離反したかった。そんなのに引っ張られていると自由に生きることができないからである。旅行に行くのにも許可がいるような仕事をしていたから、うんざりしていたのである。スキーに行くのにもいちいち許可を求めていたんじゃつまらんではないか。それに職場に土産も買ってこなくちゃアカンから、そんなのやってられないというわけである。

柔道もそうだった。しがらみがあった。病気をしてから、完全に柔道から足を洗ってしまったから、そちらの人間関係も捨ててしまった。たったの4段だけど、もういい。もう結構である。だって、乱取りもなにもできないではないか。やせ細ってしまって、得意技であった大外刈りもできやしない。

昔、横綱の千代の富士が引退の理由に「体力の限界!」と一言だけ言っていた。引退会見で。あれも見事であった。ボキは、柔道も限界だらけであったけど。能力もなかったし。そもそも闘争本能がナカッタ。戦う男というイメージではなかったのじゃよ。和をもって貴しとなすというタイプであったから。トラブルが嫌いであったし。

責める一方というニンゲンは、自由という心境からは最も遠い位置にいる。国会のMという政党と一緒である。攻撃一辺倒。憲法改正について対案すら出せない。ま、政局についてはこれくらいにするが。

ボキは自由を大切にするから、他人の自由も大切にする。当たり前である。自他共に自由だということは、そういうことである。強制はアカン。他人を支配し、強制をして、脅かす。

そんなことをやって、なにがおもしろいのであろうか。もっと自由に生きていきたい。死ぬまではである。

死だけは自由に選べないからである。

誰でも100%死んじゃうからである。

わはっははははっはははっははは。

今日は、午後から成田山新勝寺に行く。午前中は図書館に行って、ゴミ論文書き。それから成田山である。

新勝寺で蝋燭能がある。「小鍛治」である。これはまだ見たことがないからである。楽しみである。もっとも国立能楽堂とは違って舞台がない。料金も安いからしょうがない。それはそれである。

終演が、夜8時30分である。

楽しみ、楽しみ。

それにしても自由に生きてますなぁ。

申し訳ないですな。

 

(@^^)/~~~

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5月19日(金)のつぶやき

2017年05月20日 04時36分47秒 | とーま君の流儀2017
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ジイジの秘密・・・・密やかな楽しみ(⌒▽⌒)

2017年05月19日 09時49分26秒 | とーま君の流儀2017

ジイジの楽しみは、そっととっておくにかぎりますねぇ~~~。誰にも言わないで。

 

 

なんだかずいぶん草臥れた。昨日の夜に塾があったせいか。さらに午前中はアルバイトで行っている大学もあったからか。今朝起きたら、ちょいと疲労感があったのじゃ。珍しいこともあるもんじゃ。

で、考えてみれば、一昨日やった無呼吸症候群の検査でよく寝ていなかったということに気がついた。検査機器を鼻と手首につけていたんじゃ眠れないのは当たり前である。だから眠かっただけである。

それと、gymに行っていない。料金が発生するのだが、それが14日で切れていた。今日が19日であるから、今日も行かないとなると5日間サボったことになる。むろん、gymに行かないというだけで、フラフラと徘徊はしている。歩数はキチンとMetsで8000歩以上歩いている。でないと死んじゃうからである。来月、民俗学の聖地である遠野をはじめとしてあちこち出かけるから日程調整のためにやっているのだ。Gymは、市営だから月額2000円で済んでいるのだが、それもこっちは年金で暮らしているジジイである。日程調整をしながら、できるだけ安価に済ませないと暮らしていけないではないか。

ま、毎日毎日「遊行」を生きているようなもんである。話にならないとはこのことである。

だから、これでも一応自分を悔いてはいるんですぜ。こんなんじゃアカンとは思っているからである。

塾は今日もあるから、午後からはちょいと昼寝でもして休めようと思っている。身体を、アタマを。しかし、あまり休めるとアタマが腐ってしまうけど。否、もう腐っているってか・・・わはははっははははっははははっは。

これから歩いてNHKのラジオ講座のテキストをとりに行ってくる。駅前にある書店である。毎月取り寄せて貰っている。英語と中国語である。

さらに銀行にも行ってくる。これも歩いてである。

もっとある。ある家を訪問する。またまた歩いて行ってくる。

こうやって、歩数を稼ぐのである。

ボキは九十九里浜の田舎に住んでいるから、ホントウはクルマがないと身動きとれない。しかし、健康のために歩いているのだ。どこに行くにも歩いていく。

だから体調が良くなってきたのである。血圧も糖尿も改善してきた。糖尿にいたっては、東洋一の巨大病院でお世話になっている主治医の先生に「もう治った」と言われてしまったくらいである。「え? 先生、糖尿って治るんですか」と思わず聞いてしまったくらいである。後で、先生に大変失礼なことを申し上げたと(_ _ )/ハンセイしたのであるが。

治ることはよいことじゃ。

しかし、ボキの場合は、性格を治したいですなぁ~~~~。どんな性格になりたいかというと、「さわやか系」である。これが秘密である。だれにも言ったことがないヒ・ミ・ツ。

無理か。

もう何年もいじけた・小汚いジジイで過ごしてきたからなぁ。大学院中退でそれがむしろ増大しただけだったから。

明日は、成田山新勝寺で蝋燭能がある。夕方5時開演である。楽しみにしている。予約をしたからである。家族は行かない。ボキだけの楽しみである。これもヒ・ミ・ツである。

さ、これから歩きに行ってきます。

 

(^_^)ノ””””

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5月18日(木)のつぶやき

2017年05月19日 04時50分52秒 | とーま君の流儀2017
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/