と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

驕り高ぶるものには、どうやって対応するか

2017年07月25日 08時23分42秒 | とーま君の流儀2017

国会中継を見ていると常不軽菩薩のことを思い出すのだ。国会には魑魅魍魎が住んでいるからである。まさに増上慢の集まり。ヒトのワルクチしか言わないヤカラが多すぎるから。

 

 

増上慢(正しい教えを得ていないのに得たと思い込んでおごり高ぶる者)の人
々が満ちあふれる時代に、一人の菩薩がいた。彼はどんな人をも拝んで「私はあ
なたを敬い、決して軽んじません。あなたはきっと仏様になるお方なのですから」
といった。遠くに人を見れば、その人のもとに駆けつけて同じことを告げた。「
馬鹿にしているのか」と人々は怒り、罵り、石を投げ棒で打ちすえようとするが、
その菩薩は決して怒ることなく身を避けて、なお同じことを述べ続けた。人々は
彼を「常に軽んじない者」ということで、常不軽菩薩と呼んだ。


馬鹿にされても、暴力を振るわれても、決して怒りの心を起こさずに、あらゆ
る人々を尊敬し、どんな人のところにも訪れて正しい言葉を述べ続ける。この常
不軽菩薩の姿は、ボキのこころに深く刻まれている。なかなかできないど。

「アメニモマケズ」の詩をもう一度読んで我が行いを是正するしかない。まさに常不軽菩薩の生き方そのものだから。

 

雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク 決シテ瞋(怒)ラズ イツモシヅカニワラツテイル
一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萱ブキ小屋ニイテ
東ニ病気ノ子供アレバ 行ツテ看病シテヤリ
西ニ疲レタ母アレバ 行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニソウナ人アレバ 行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクワヤ ソシヨウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ
サウイウモノニ ワタシハナリタイ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自撮り棒なるもの

2017年07月25日 07時47分34秒 | とーま君の流儀2017

自撮り棒というのがある。最近流行っている。旅に出るといろんなヒトが使っている。中国人が多いような気がするのは気のせいだろうか。ま、どうでもいいような話ではあるが。どうでもいいというとこのブログもそうだ(^_^)。

 

 

自撮り棒というと、あれはなんの爲に使っているのだろうかと思う時がある。海外旅行に行ってもボキは使わない。だいいち、自分とその背景にある風物が一体となっているから自撮り棒を使うのであろう。が、ボキは自分と背景が一体となるということが信じられない。

自分が写っているからというと、それは後で見るからということを前提にしている。あるいは、こっちが本当だろうが他人に見せるためである。自慢するためである。どうだ?すげぇだろう?オレは、アタシはこんなところにも行けるんでっせという趣味の悪い自慢。

おかしいと思わないのかねぇ。

ボキ?

ボキはほとんど自分を写さない。好意で撮ってくださる方がいるが、それは感謝して受ける。なぜか。ボキの顔があまりにもヒドイからである。したがって、ボキのfacebookはボキの顔はなかなか出てこない(^_^)。そんなもんよくまぁ出せるもんじゃと思っているから。

今回のロシア旅行でもほとんどボキの写真はない。みんな風景ばかりである。

だとするとだ。

だとすると、海外旅行で一生懸命自分を写している爺婆たちはなんのためにやっているのじゃと思った。

来月鎌倉に行くが、爺婆たちで。あれもなんのために行くのかね。歴史にもなんにも興味がないのが、15人もツレだって何しに行くのだろうかとふと思ってしまったからである。ゼニが余っているから、使いたいというのだろうか。だったら、ボキにくれたまぇと言いたくなっちまう。

爺婆になったからと言って、無駄遣いをしていてもいいとは限らない。むしろ、すべてカットしていかないと喰えなくなる。なぜなら、年金は乏しいからである。

それに、ボキは他人からの評価というものを気にしない。まったくといっていいほどである。どう見えるかというようなことは、本当にどうでもいい。むしろ自分に恥じない生き方をしているかということの方が重要である。悪業三昧をやってきたからである。

だから他人のことを責めることもしない。できるわけない。オノレを恥じているからである。

そういうことで、昨日から国会で汚く相手を罵倒している某巨大野党の連中は、オノレを恥じたことなんかないんだろうなぁと思った。

これから青山繁晴氏が国会中継で質問に入るが、楽しみである。こっちはかなりまともな質問をするからだ。ただし、朝日、毎日、東京の三紙はムシするんだろうけど。

自撮り棒でオノレを写してみればぁと思うことがあるからだ。

鬼のような顔がそこにはあるかもしれないではないか。

 

わはははっはははっはははっはははっはははっはははっはは。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月24日(月)のつぶやき

2017年07月25日 04時51分25秒 | とーま君の流儀2017
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田んぼ道で鳥の亡骸を見てしまった

2017年07月24日 21時10分21秒 | とーま君の流儀2017

モノはモノであってそれ以外のなにものでもない、とマジに思っている。

だったら、ボキというニンゲンはモノなのであろうか。確かに、死んだら死体になる。死体というモノである。そこのところをどう考えるのか、理解するのか。生きているからこそ、精神性とかこころとかを考えるのであって、死んだら、それは横たわっているモノでしかないのではないのか。

もちろん、ボキは死んだらもう一度よみがえって最後の審判があるってぇことを信じない。さらに、生まれかわりの理論も信じない。

なんでそんなことを考えたのかというと、今日の午前中のウオーキングで鳥の死骸を見たからである。なんで死んじゃったのかはわからない。田んぼ道の脇で亡くなっていた。鳥がである。そして、その鳥は別の鳥か、動物にでも食われてしまうのであろう。だから、モノである。かわいそうにとは思った。

しかし、ボキだって同様である。田んぼ道で死んでいるかもしれないではないか。

さらにある。

つい最近のことだが、田んぼ道でひっくり返っている老人を見かけた。死んでいるのかもしれないと思って、急いで家に帰ってスマホを持ってきた。警察に連絡するためである。

そしたら、その老人は、元気に起きて歩いていってしまった。酔っ払っていたのかと思った。人騒がせなジジイである。なにをしているのかね。まったく。話にならんとはこのことである。

で、その時ふと思ったのである。死んでいるのかもしれないと思ったのは、ボキの方で、当人は気持ち良く田んぼ道でひっくり返って天を仰いでいたのかもしれない。酔っ払っていたとしたら、まことに気楽なもんである。しかも、昼間からである。アル中なのかもしれない。あるいは、昼間から、天を仰いでいるのが好きなのかもしれない。けっこうなご身分である。

死ぬのは100%である。誰でもミンナ死んじまう。逃れようがない。そのことを思うと、うかうかしていられないぞと思うのである。

死んだらモノになっちまうのか、あるいは幽界に旅立っていくのか、死んじまったボキの死体を眺めてなにか感じることでもあるのか。

まったくそんなことはわからない。

だって、死んだことがないのだから。

わははっははははっははっははははっは。

 

 

今日も良く歩いた。

モノとしてのボキの身体機能はかなり良好である。明日は退学した方の大学に行く。中国語講座である。さっき宿題を完了した。明日、testがあるからだ。不勉強なボキでも勉強したのである。奇跡が起きてしまうぜな。

(=゜ω゜)ノ

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

群れている 蒸れている むれている(^_^)

2017年07月24日 06時24分04秒 | とーま君の流儀2017

老人大学のご学友様たちと旅に出る。

来月である。鎌倉に行く。

青春18切符というやつを使って。

日帰りである。

総勢15名。老人大学の現役の在籍生が多い。

会長が最初に立ち上げた旅行クラブというやつである。

それが大組織になってしまった。

会長とボキは、OBという資格である。

月に一度程度なら、行ってもいいかと思った。だから今回も参加する。しかも日帰りである。安価である。それに、爺婆になったから、いろんな方面のお友達も欲しい。雑談の友達がである。なんでもいいのだ。話の内容なんか。自慢噺でなければ。自慢噺だけは聞きたくないから。バカみたいだし。言っている方も、聞いている方も。そんなのは婆達が多い。家族自慢と血筋自慢。バスの中でも聞こえてくるからいたたまれない。

わははっはははっははっははっははっはっは。

ところがだ。ちょっと危険になってきた。あまりにも、べったり感が漂ってきたからだ。爺婆が、それこそ爺婆になってから、まるで中学生のようにべったりつきあっていたら気持ちが悪いではないか。上下関係もデキてきたし、組織を作ると必ずそこにリーダーシップを発揮しようと思うアホが出てくる。

もういいじゃないか。リタイヤしたのである。縁を切ったのである。そんなくだらない世界とは。なにをいまさらである。いまさら、リーダーもクソもないではないか。まったく。

ボキは、そういうのは拒否しているから無縁だけれどもね。

ま、相手をしていただけるだけで幸甚というやつなのか。

旅は所詮一人旅がいいのだろうけど。

件の旅行クラブでは、台湾とかにも行くらしいが、総勢12名で海外旅行まで行くようになってしまったら、ちょっといかがなものか。やり過ぎでありますよん。マジに。

ボキは、なんでもそうだけど、ささやかなのが好きである。

ボキ自体、かる~~~いニンゲンだからである。

ささやかに生きているから。

そんな程度が一番である。

あまり群れてるとくさくなっちまうから。群れて、蒸れて、むれてしまってはアカンです。(^-^)/

合掌・・・・・ち~ん!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月23日(日)のつぶやき

2017年07月24日 04時57分24秒 | とーま君の流儀2017
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

孫の弾丸帰省

2017年07月23日 06時55分18秒 | とーま君の流儀2017

昨日、孫がやってきた。そしたら、今日帰るのだそうだ。

来月の七夕祭りの時にまた来るのだそうだ。

弾丸ですな、弾丸。

あっと言う間にやってきて、あっと言う間にいなくなってしまう。

これぞ弾丸帰省である。

わははっははっははっははっははっははは。

今朝も、孫の元気な声で起きた。

それから、日課にしているウオーキングに行ってきた。やはり5000歩以上(Metsで)歩いてきた。自然の声を聞きながらである。

すぐ近くに住んでいる長男夫婦も来た。甥っ子の孫二人に会うためでアル。5歳と3歳の男児であるから、嫁さんにしてみればかわいい盛りなのだろう。長男夫婦にも、もうじき赤ちゃんが生まれる予定だから、今から予行練習だよん。

弾丸が多いな(^_^)。

あちこち。

ありがたいかぎりですよ。

まったく。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月22日(土)のつぶやき

2017年07月23日 04時53分18秒 | とーま君の流儀2017
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

品位ということ→ロシアの女性が美しいのは

2017年07月22日 21時11分10秒 | とーま君の流儀2017

ロシアの女性が美しいのは、品位の問題であると思う。

親日的でもある。

それに、ロシアの経済はバカにできない。

あれは、アメリカよりも上である。

アメリカの女性に、「THE YELLOW MONKEY」と言われて、かなりがっかりした。3年前である。モニュメント・バレーで言われたっけ。うっとなった。今何を言ったのだと詰問したくなっちまったよん。ちょっとだけなら、ボキもイングリッシュで言い返そうとしたからである。

そうなんだ、アメリカ人というのは、まだまだそう思っているんだと思ったからである。

人種差別をやっている。

アメリカ人は、本来流民である。

流れ流れてアメリカ大陸に来たというだけではないか。

歴史も文化もロシアにはかなわない。

ドストエフスキーのような文豪も出ていない。

ボキは、マジにそう思っているのだが。

ちょっと言いすぎかもしれないけど。

ロシア正教の聖書も持っているが、あれもまた宗教を大事にしてきたロシア文化の遺産である。共産国家だったから、かなり意外な側面を知ったのだけれども。

共産国家は、とうてい宗教を亡ぼすことはできなかったのだ。そう思った。マジに、そう思った。ドストエフスキー的な世界が広がっていたからである。

再度サンクトペテルブルグに行きたい。

それほど、惚れ込んだのだ。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

孫の声に

2017年07月22日 20時53分10秒 | とーま君の流儀2017

今日孫がきた。

明日には帰ってしまう。

理由がふるっている。

バァバの料理が食べたくなったからだという。

次男坊(孫)がそう言っていた。

孫の声は格別である。

なぜなら、癒やされるからである。

それにしても楽しかったな。

明日には帰ってしまうけど。

グスン。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田んぼの声を聞く

2017年07月22日 08時03分55秒 | とーま君の流儀2017

毎朝、田んぼの傍らを歩く。今朝も歩いてきた。Metsで5000歩以上である。

田んぼに水を供給している水栓の音が、実にいい。ふと立ち止まって、それを聞く。水栓の上にかぶさっているのが、たまにアルマイト製のやかんだったりするから余計に楽しい。共鳴している。水の音が。やかんは、ひっくり返っているけど。まるで、ボキみたいだ。ひねくれジジイのひっくり返りやかんである。

今まではそんな余裕もなかった。田んぼを歩いていても、健康のためであった。さらに、焦っていた。論文を仕上げなくちゃとか、健康になるためにはあと何歩歩かなくちゃならないとか、そういう考えでいた。だから、ゆっくり歩いているヒマがなかった。まったく、歩いているときくらい楽しめばいいのであった。それをなにを考え違いをしていたのだろうか。

余裕がなかったのだ。だから病気になったのだ。

今?

今は余裕だらけである。なにしろすることがない。ドラム缶のように、雑多なゴミがたくさんつまっているだけである。昨日も塾に行ったが、あれもただのバイトでしかない。英語を3人教えていた。受験勉強だ。英文法だから、決まり切った内容である。自分で作った、英文法のノートを一冊持参していけばなんでも対応できている。それに、いつでも馘首されてしまうから、そんなに自慢できるようなしろものではない。

ジジイになって自慢ばかりしていたらアホである。人品の卑しさを疑われてしまう。ま、疑われてもいいけどね。どうせたいしたことはないのだから。

音。

最近は、自然界から聞こえてくる音に関心がある。田んぼの音もそうだ。水栓の音。それに、けたたましいスズメさんの音。これまたよろしい。

余裕がなければただの雑音でしかなかった。

今は響きとなって聞こえてくる。エコーである。

と、ここまで書いてきてふと思った。そうなのだ。響きとなって聞こえてくるくらいでないと、読書もまたホンモノではないということである。

サンクトペテルブルグでは、ドストエフスキーの響きが聞こえてきた。18歳くらいの時期に、暗い絶望的な苦学生生活を送っていたときに、のめり込んだ作家である。あの時も、新聞店の二段ベッドで聞こえてきた。響きが。

だから全作品を読了できたのである。

もう二度とできない相談である。あの時期に戻ることはできない。

 

ふうううむ。

 

午後からまた歩きに行くけど。今度は、gymである。体育館の中でないと、熱中症になってしまうから。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月21日(金)のつぶやき その2

2017年07月22日 04時55分09秒 | とーま君の流儀2017
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月21日(金)のつぶやき その1

2017年07月22日 04時55分08秒 | とーま君の流儀2017
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Charles Laughton & Marilyn Monroe - 'The Cop and the Anthem' ('Full House') 若きころのモンローが出ていた!!!

2017年07月21日 08時35分52秒 | とーま君の流儀2017

NHKラジオ英会話でこれが放送される。来週から。楽しみですなぁ。なんで?モンロー姉さんが出ているからである(^_^)。しかも、街娼役である。俳句と似たような軽みすら感じますなぁ。オー・ヘンリーの作品は、諧謔にも満ち満ちているし。

古びた教会のシーンは、まるでドストエフスキーでありまするよん。酔漢マルメラードフみたいです。

あ、またまたサンクトペテルブルグに行きたくなっちまった。もっとも、この映画はニューヨークだ。太刀打ちできませんな。サンクトペテルブルグには。さすがのモンロー姉さんも、ロシアの美女と比べたら・・・・おっとこれ以上は発言禁止(^_^)。




『警官と賛美歌(The Cop and the Anthem 、1904年』あらすじ

 

(あらすじ)

若いホームレスのソーピーは、寒い冬に備え3ヶ月ほど刑務所に入ろうと思った。刑務所なら寒さをしのげ食物にもありつける。ニューヨークの比較的恵まれた連中が避寒地へのチケットを買うのと同じように、ソーピーもアイランド(流刑島)への避難という慎ましい手配(軽犯罪を犯す)を毎年繰り返してきた。彼はチャリティー活動を嫌悪していた。法律の方が博愛よりも優しい。公共なり慈善団体なりの施設に出向けば簡素な宿と食事を受けられるが、誇り高い精神から言えば、チャリティーの贈物は逆に心苦しく、精神的屈辱を受けなければならない。規則で運営される法律の方が、プライベートに過度に干渉しない。人を傷つけるなどは思いも付かないソーピーが考えた、簡単で一番心楽しい犯罪は、高級レストランで豪勢な食事をとった後、文無しを告げて警官に逮捕される事。後は親切な治安判事がやってくれる。ソーピーはブロードウェイの小奇麗なレストランに入るが、ヘッドウェイターが身なりを見て歩道へ追い出した。次に、6番街のライトアップされたショーウィンドウに敷石を投げつけた。警官が駆け寄ってきて色めきたって犯人について尋ねた。「おれがやったとかいう可能性は考えてみないのかね?」とソーピーは愛想よく言った。犯人は一目散に逃げ出すと思った警官は、走って行く1人の男の追跡に向かった。

ソーピーは2回の失敗にうんざりした。次に、見栄えのしないレストランに入り、ビーフステーキ、パンケーキ、ドーナッツにパイを平らげ、ウェイターを呼び自分が文無しだという事実を打ち明けた。「急いでお巡りを呼びな」と言うが、「きさまにお巡りなんぞいるもんか」と歩道の上に放り出された。逮捕はバラ色の夢にすぎず、アイランドは遠く彼方に思えた。若い女性がショー・ウィンドウの前で陳列品を見ていて、2メートルの所に警官がいた。ソーピーは「ナンパ師」の役割を演じようと思い「おやベデリアじゃないか!うちに遊びにくる気はないか?」と声をかけると、女は「行くわよマイク、ビールをおごってくれる」とうれしそうに言った。ソーピーは角を曲がって連れをふりほどき逃げだした。恐ろしい魔法をかけられて逮捕されない体になったのか、やや取り乱した彼は「騒乱行為」という藁にすがった。舗道上で不快な声で酔いどれ騒ぎの真似事をはじめた。警官は通行人に「エール大学の連中ですよ、完勝したのでお祝い騒ぎです、害はないですから」と説明した。諦めて、次に煙草屋で身なりのいい男のシルクの傘を盗んだ。男が慌てて追いかけてきた。ソーピーが「どうして警察を呼ばないのかね?おれはあんたの傘をとったぜ」と言うと、傘の持ち主は「それは今朝拾ったもので…」と言って退散した。ソーピーは憤怒のあまり傘を工事現場の穴に放りこんだ。

捕まえて欲しいのに、向こうは俺が誤りを犯す筈がないと思っているらしい。次に、マジソン・スクエアの閑静な街角にきて足を止めた。柔らかな光がステンドグラスから溢れだす趣のある古い教会があった。オルガン奏者が奏でる賛美歌を耳にしたソーピーは、金網にしがみついた。母、薔薇の花、気高い志、友人たち、純真な心、そして真っ当な仕事、在りし日々の人生が満たされていた時、その讃美歌をよく耳にしていた。ソーピーの魂は突如として変化を遂げた。感動に打ち震え、自分を支配していた邪悪を打ち払った。時間はある、まだそれなりに若い、かつての熱意に満ちた希望をくじけずに追いかけよう。厳粛で甘美なオルガンの調べが彼の決意を固めさせた。明日は、喧騒に満ちたダウンタウンに赴き仕事を見つけるのだ。その時、ソーピーは自分の腕に誰かが手をかけたのに気づいた。あわてて振り向くと警官の大きな顔が映った。「ここでなにをしているのかね?」と警官は言う、「なにも」とソーピーは答えた。「じゃあ、ちょっときてもらおうか」と警官は言った。翌朝、法廷で治安判事は「アイランドに3ヶ月」と言った。

 

 

 

 

Charles Laughton & Marilyn Monroe - 'The Cop and the Anthem' ('Full House')

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月20日(木)のつぶやき

2017年07月21日 04時57分45秒 | とーま君の流儀2017
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/