Thank youとはよく言われる言葉なり。たまの海外旅行に行っても、よく使われる。ボキもそうだ。しかし、appreciateという単語はなかなか使わない。使わなかった。深い感謝という意味があるのだそうな。しかも、価値を高める・高く評価するという意味もあるのだそうな。
世の中こうでありたいもんじゃよ。
今朝は、早く起きられた。昨日はバイトをやっていなかったから、疲れがとれた。睡眠が非常に大事だとは知っていたが、実際昨日のように寝坊してみると睡眠の大事さがよくわかる。NHKのラジオ講座が間に合ったからである。これ、毎日聞いているからルーティンになっている。惚け防止にもなる。
寒いから起きられないというのもあるだろう。実際、ベッドの中は快適であるからだ。しかし、いつまでも寝ているわけにはいかない。時間は限られているからだ。いつまでも寝ていたいのなら、棺桶しかない。しかも、すぐ焼かれてしまうではないか。
知人でも亡くなる方々も多い年代になってきた。去年は、お世話になった友人の奥様が乳がんで亡くなった。すぐかけつけて永久の別れを申し上げてきた。独身時代に、飯の食い方で注意されたこともあったっけ。いつも腹を空かしていたから、夕食に招待されたのだった。面倒をおかけした。
感謝しかない。こころからの感謝である。Thank youなんてぇもんじゃなかった。こころからの感謝である。まさに、appreciate。深い感謝である。
家人に対してもそうだ。二人の子供たちにしてもそうだ。いろいろあったが、よく育ってくれた。感謝である。孫までいる。良い孫達である。これまた、ボキの孫に産まれてくれて感謝である。
こういうのは、自分で書いたシナリオなのであろう。人生のシナリオ。そして、そのとおりに生きてきた。自分は、自分勝手に生きてきたのではなかったのである。
今回、大学院に入るのもシナリオどおり。
そういうことを願っていたからである。高校時代から、こうなりたかったのである。倫理社会という科目が大好きで、高校の恩師が東大のインド哲学科卒であった。新任教師だったのに、仙人みたいなひげをはやしておられた。鹿児島のご出身で帰ってしまわれたが、大好きだった。高校で初めてインド哲学というのがあると知ったのであった。可能なら東大インド哲学科を受けてみたかった。担任の先生に笑われて、ジエンド。それに、能力がない。ないから、断念した。挫折の始まりであった。それから50年以上たってから不思議なご縁でインド哲学を学ぶことになった。大学院である。私立大学で、ある宗派が経営している。しかも教授は、全員東大インド哲学科卒。因縁である。ボキのようなアホでも、学べることに感謝である。
マジに。
ううううううううううううううううううううううううううううううむ。
これで良いのだ、これで。
I really appreciate!である。