はや9月。株式市場は大荒れ。ようやく暑さがおさまるか、夜中は扇風機も不要。9月は雨が一番多い月らしい。台風もやってくる。二百十日、立春からかぞえて210日目というわけ。稲の収穫時に台風がやってくる。一度、ぜひ見てみたいと思っているのが富山の風の盆という祭り。これはもともと作物の無事を祈る風鎮めの祭りだと24節気の本にでていた。
雨もやんだようなので、久しぶりにカメラをぶらさげて1時間ウオークにでかけた。ずっと家で本をよんだり、パソコンをみたりしていると心身がなまってくる。みかける野鳥はサギや白セキレイ、カラスなど。ファミマによってアイスコーヒーとドーナツ、店で休憩。おでんも出始めた。
先月16日に山鹿千人踊りに行って以来、車旅は小休止、そろそろもやもやの虫がでてくる。曽野綾子さんの「老いの才覚」を引っ張り出し再読。
著者は1931年生まれの84歳、作家三浦朱門の妻、吉川英治賞や国際協力賞など受賞のスーパーレディ、凡人とは発想、価値観が違うことは確かだがうなづけること多しである。50で失明寸前の眼病をわずらい奇跡的に手術が成功、人生観の大転換もあったようだが腹がすわった国際人である
1、 くれない族の老人(65歳以上)がふえ、才覚を失っている。
① 子供のころから才覚をもてと教育された② 世界には乞食(日本では差別語)はいっぱいいる。日本は超過保護社会③ 読書しないー言語単純―思考単純④ 年寄―権利―遠慮する気持ちなし。してもらって当たり前
写真展をやっていつも感じるのは会場で日がなスポーツ新聞を読んだり、居眠りしたりボーっとしている高齢者が結構多い。どう余生をすごそうが余計なお世話と言われそうだがもう少しなんとかならんのか。まあ人のことは偉そうには言えないがね
2、 老いの基本は自立と自立
① 自分でできることは自分でする② 教会、レストランで帽子をとらない、サラダの皿をもちあげて食べる。世界の非常識③ 生きて行く限り緊張感は必要、国家さえ信じてはいけない。
食事マナーなどどうでもよさそうには思うが日本人の常識は世界の非常識とか。もう海外にでることはないと思うし日本で気楽にいきたいものだ。がその日本があやしい。1000兆円の借金をかかえていつ預金封鎖になるやも知れない。国家さえ信じたらだめという著者の提言、真実味を帯びてきたね。
まあいろいろ考えないほうが気楽ではあるね・・・。3以降はまた次回。