1945年5月25日、敗色濃い太平洋戦争の終盤、大阪でうまれ、そして歳を重ねること73回目の誕生日をまあまあ元気に迎えることができた。
いつもは寿しをとって同じ5月生まれの妻とワインで乾杯するのだが今年は赤ワインと焼肉で先ほど夕食を終え今ブログを書いている。平均寿命80歳まであと7年、1日自由時間10時間として25000時間、あるがままに生きよう。
昨夜はずっと行けていなかった原鶴温泉筑後川の川開き花火大会にでかけ、道の駅ばさろで車中泊。去年は水害で鵜飼いが中止、ことし20日に再開され、その後の木曜日に花火大会を開催するようになった。ということで同じく宿題になっていた浮羽のつづら棚田の水田の模様をチェックすることもかねて24日出かけた。道の駅原鶴バサロで花火大会のプログラムを入手、インフォメイションセンターの女性から情報収集。この道の駅も大会の臨時駐車場に指定されているようだ。
それはさておき、とりあえず浮羽つづら棚田をめざし移動。30分。一番山手のつづら山荘で先般知り合いになった「写団うきは」のメンバーの作品が展示してあるのをみた。3か月に1回、写真の入れ替えをかねて合評会をされるらしい。一人1泊2食7000円の1棟借りができるようだ。
棚田の水はほぼいれられて朝夕、陽をあびれば美しい景観になりそう。
14時、写友のYさんが去年、386号線の裏手の山から花火を撮影された。木の丸公園の先から左折して九州自動車道の下を横切っていくらしいが撮影ポイント発見できず、15時、原鶴温泉中央橋近辺の花火大会指定駐車場に車をとめてロケハンを開始。FZ300をぶらさげて土手をあがり中央橋をこえ、ホテルパーレンスの横を通過して筑後川の河畔におりる。所要10分弱。
ずらっと川沿いに出店がスタンバイ。鵜飼い船も係留されている。今宵はここで宴会をしながら花火を楽しむらしい。鵜飼いはない。この橋の向こう側が筑後川下流の打ち上げ場所。反対方向の上流にも打ち上げ場所が設定され2か所から、交互に14回、最後のフィナーレをいれて15回3000発の花火が打ちあがられるようだ。ワイドスターマイン、仕掛け、連発、特別連発など、打ち上げは20時から。上流から下流まで歩いてみる。風下をさけて、カメラの前に観客が来ない場所で撮りたいイメージの写真をとれそうな場所ということになる。
大会本部席の放送担当のおじさんと会話。毎年助っ人しているらしい。17時駐車場にもどり夕食。コンビニの焼き肉弁当をたべて撮影機材を準備、リュックにいれて再度河畔へ。夕闇がせまり風が出てきて暑さは収まっている。最下段、川岸、舗装路に三脚設置(これがミスジャッジ)
鵜飼い船は客がのりこみ打ち上げを待っている。
8時前、原鶴温泉のマスコットや観光大使がのった船がやってくる。市長や知事の挨拶があり、いよいよ打ち上げスタート。
ペンタックスK3、レンズ16~45mm広角。AFでピントを合わせたあとMFにしてテープで固定。絞りはF5.6、シャッター2秒で3枚の多重露光。合成は平均に設定。下流のコンデジFZ300はマニュアルF8で2秒単写に設定。
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いろいろロケハンしてベストポイントをおさえてつもりが最下段舗装路に観客がふえ子供たちが走り回る。ダメだこりゃ。
下流の打ち上げもFZ300で撮ってみる。軽めの三脚、カメラがぶれる。上や下やとバタバタ撮るのははダメだね。
川への映り込みだけを狙う。ばたばた撮影をして1時間があっという間。
21時フィナーレ。終了。 あっけなかったね。機材を整理して駐車場所にもどる。観衆がぞろぞろ。駐車場から車がのろのろ出てゆく。時間がかかりそう。結局、道の駅原鶴、バサロのついたのは22時。クーラーボックスに入れておいた冷たいタオルで顔をふく。生き返った感じ。いっしょに冷やしておいたワンカップをのむ。写真の出来はダメだね。たまにきての夜の花火撮影はてこずることが多い。慣れが必要だね。23時就寝。暑くないのは助かった。
4時、目が覚める。5時、近くのセブンによる。熱いコーヒで目を覚まし、帰路に着く。途中、甘木公園によって早朝散歩。
30分ほど歩く。水面に空のまだらな雲が写り込んでいる。
紫陽花が咲いていた。8時帰宅。誕生日の朝は睡眠不足。眠い。午後一番、九博のボランティアに出かける。そして17時、焼き肉の夕食と相なった次第。73歳の誕生日はざっとこのような1日でありました。・・・・