12月1日夜の部を見に行きました。
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南座は元和年間(1615~1623年)四條河原に公許された7つの櫓のうち、明治まで残った櫓が二つ、明治26年に北側芝居も廃座となり南座だけが歌舞伎発祥の現在地に残ったものです。
現在の建物は1029(昭和4)年竣工。歳末の吉例顔見世興行は戦中も一度も絶えることなく続けられてきたそうです。
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午後4時20分開始の夜の部前には四条通り南側歩道は入場を待つ人でぎっしり、これから歳末の26日までは昼の部の開始10時半前とこの時間には、四条通りを通らないほうがよろしおすえ。
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演目は、
第一 梶原平三誉石切(かじわらへいぞうほまれのいしきり)
鶴ヶ岡八幡社頭の場
第ニ 寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)
劇中にて中村錦之助の襲名口上あり
第三 京鹿子娘道成寺(きょうかのこむすめどうじょうじ)
坂田藤十郎喜寿記念
第四 河内山(こうちやま)
質見世より玄関先まで
第五 上 三社祭(さんじゃまつり)
下 俄獅子(にわかじし)
それぞれが30分から1時間かかり、その間には15分から30分の休憩時間があったので、全部見て終わったのは午後10時5分になっていました。
はーっ。歌舞伎を見るってこんなに大仕事だとは思っていませんでした。
皆さん幕間に幕の内お弁当を食べておられる方が多かったですが、私達ははねてから食べに行こうと思っていたので、じっと我慢の子。
それに会場がスースーと寒くて足元が冷えて冷えて、コートを着ても冷え切ってしまいました。
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それでも、カブキ見れてよかったです。
ここに日本の伝統芸能が凝縮したようで、啖呵に大見得、宙返りに早変わり。花道、せり上がり、隈取り、豪華な衣装。浄瑠璃、長唄、清元にお囃子(違いがよくわかっていない)、三味線、太棹、太鼓に笛の音、その他の音響効果もすごくて、踊りのお囃子には思わず身体も動きそうになってきました。
藤十郎の道成寺はどう見ても娘としか思えないしぐさで、動きの激しい長い踊りを見事に踊られて、喜寿記念とはびっくり。
着物の裾さばきとか所作とかもすごいなあと、お勉強になることがいっぱいありまいました。
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南座は元和年間(1615~1623年)四條河原に公許された7つの櫓のうち、明治まで残った櫓が二つ、明治26年に北側芝居も廃座となり南座だけが歌舞伎発祥の現在地に残ったものです。
現在の建物は1029(昭和4)年竣工。歳末の吉例顔見世興行は戦中も一度も絶えることなく続けられてきたそうです。
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午後4時20分開始の夜の部前には四条通り南側歩道は入場を待つ人でぎっしり、これから歳末の26日までは昼の部の開始10時半前とこの時間には、四条通りを通らないほうがよろしおすえ。
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演目は、
第一 梶原平三誉石切(かじわらへいぞうほまれのいしきり)
鶴ヶ岡八幡社頭の場
第ニ 寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)
劇中にて中村錦之助の襲名口上あり
第三 京鹿子娘道成寺(きょうかのこむすめどうじょうじ)
坂田藤十郎喜寿記念
第四 河内山(こうちやま)
質見世より玄関先まで
第五 上 三社祭(さんじゃまつり)
下 俄獅子(にわかじし)
それぞれが30分から1時間かかり、その間には15分から30分の休憩時間があったので、全部見て終わったのは午後10時5分になっていました。
はーっ。歌舞伎を見るってこんなに大仕事だとは思っていませんでした。
皆さん幕間に幕の内お弁当を食べておられる方が多かったですが、私達ははねてから食べに行こうと思っていたので、じっと我慢の子。
それに会場がスースーと寒くて足元が冷えて冷えて、コートを着ても冷え切ってしまいました。
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それでも、カブキ見れてよかったです。
ここに日本の伝統芸能が凝縮したようで、啖呵に大見得、宙返りに早変わり。花道、せり上がり、隈取り、豪華な衣装。浄瑠璃、長唄、清元にお囃子(違いがよくわかっていない)、三味線、太棹、太鼓に笛の音、その他の音響効果もすごくて、踊りのお囃子には思わず身体も動きそうになってきました。
藤十郎の道成寺はどう見ても娘としか思えないしぐさで、動きの激しい長い踊りを見事に踊られて、喜寿記念とはびっくり。
着物の裾さばきとか所作とかもすごいなあと、お勉強になることがいっぱいありまいました。
どこかの銀行でも歌舞伎を見るための積立貯金というのもあるらしいですので、来年はいかがでしょうか。
と、悪所に誘う・・(笑)。
私なんか演技どころか、話の筋もよくわかっていなかったので、梶原平三誉石切や河内山はまだわかりましたが、 寿曽我対面は登場人物の関係もイマイチ。売られていた解説本を読むか、貸出イヤホンをつければよかったのかもしれません。
よくわかった大向こうの人の掛け声がしょっちゅう飛んでいました。
歌舞伎の世界も奥が深そうです。
ちと庶民にとっては・・・。
およばれ、でもされないうちは、行けませんねえ。
ぐっすん。
また、このチケットだけは貰ったことがありませんワ。
両親は歌舞伎が大好きで、子供の私に留守番させても見に行ってました。彼らは戦前からファンでしたが、父は昭和36,7年頃の顔見世から帰ってきて、「もう2度と歌舞伎は見ない、わしらが見てきたエエ役者はみんな死んでしもた。あんな時姫を見るくらいやったらもう歌舞伎は見ん!」とわめいて死ぬまでほんとに2度と見に行きませんでした。
なんでもその時、東京から来た役者がぶっさいくな時姫をやったそうで父のイメージとは違ったのでしょう。
おやじは忠臣蔵を見たとき、ほんとに浪士が47人いるか数えた、というのが自慢で「あの役者はやっぱり大したもんや、ちゃんと47人揃えとった」とかケッタイなことを楽しみにしてました。
勿論カブキも顔見世もたくさん行かれたのでしょうね。また薀蓄のあるところをいろいろと教えてくださいね。
私もよく初代天外が主宰していた松竹新喜劇を見に連れていかれました。
曾我廼家明蝶・曾我廼家五郎八・石川薫・石浜裕二郎?等がそれぞれ個性的な芝居をしていた新喜劇ののほうが、寛美中心の芝居になったサービスしすぎの新喜劇より気に入っています。
天外が脳出血を起してからも出ていましたが、痛々しい感じでしたねぇ。
当時、松竹家庭劇というのもあって、曾我廼家十吾が主宰してました。これはしんきくさい感じで、新喜劇のほうが人気がありました。
昔行った時には桟敷席があったように思いますが、平成の改修で全部椅子席になったようです。
「顔見世」を検索していたら、かいらしいyumeさん
藤山寛美、小島秀哉、渋谷天外。。
母が「南座」へ新喜劇を見に行く時、幼い私も連れられていました。
今のそこいらのホールなどとは違って、赤い絨毯が敷き詰められ高級感があったようで。。二階席などは升席になっていたようで。。
花道もありました。。
そんな遠い記憶があります。
「南座」の中に入ってみたいなァ。。と言う。近代建築ファン的な興味がすごくあるのですが、なにか機会があれば 一度「顔見世興業」にも行けるといいなぁって思います。