ゴールデンウィークの茨城への帰省中(2023年5月3~5日)、田植えの時期の田園風景を眺めに行ってきました。実家の裏のほうをしばらく歩いて行くと、昔ながらの田園風景が私の小学生時代(約50年前)と変わらずに残っています。「田園に生きる」というタイトルは、寺山修司の短歌集・映画「田園に死す」をもじってつけてみました。死にはしないのだと。
トノサマバッタ。
この田んぼは、田植えの準備前。向うに見えるのは加波山。
田植え前に、土を耕して平たんにします。
そして田んぼに水を張って、苗を運んできて田植えをします。ここはまさに田植えの最中です。
ここは田植えが完了しています。向うに見えるのは筑波山。
田植えのあとに、カモが数羽泳いでいる田んぼもあります。
古郡(ふるごおり)という部落。りっぱな百姓家さんが軒をつらねています。先日ご紹介した新治郡衙跡(にいはりぐんがあと)もこの地域にあります。
農道も昔と変わらず。
古郡にある香取神社。こういった無人の神社が多いですが、境内はわりときれいに整備されています。どうやって管理しているのかなと不思議に思います。
キジのつがいがいました。キーなんて声を出すもんだから、私が目ざとく見つけてしまいました。元は田んぼか畑だったのでしょうが、耕作放棄されているぼさっとした場所に動物は生息しているのですね。
オスは走って逃げます。
メスは飛んで逃げます。ビニールハウス手前の中央に羽を広げて飛んでいるのがキジのメスです。雌雄で姿形の異なる鳥は多いですが、行動の仕方まで雌雄で異なっている例ですね。人間もそういうところあるよな。
もしかしたら、逃げる前にいた場所で抱卵・子育てしていたのかもしれません。あとになってから、よく確認しておけばよかったなと思いました。
観音川という農業用水のような水路があります。たぶん小貝川から水を引いていて、田植えの時期にはこのように水量がけっこうありますが、それ以外の時期は水量がチョロチョロになってしまいます。田んぼでは、観音川から水を引いたり、地下水をくみ上げたりしています。
昔は、この観音川はもっと川幅が広くて、船が通っていたくらいなのですが、農耕地を広げるために川幅が狭くされてしまったらしいです。船着薬師という古寺が残っていて、そのあたりが船着場だったことの名残となっています。観音川は最終的に霞ケ浦につながっています。
観音川わきに用水機場という設備があります。
なんの目的かわかりませんが、観音川から取水して貯められているようです。
リールで釣りをしている人がいます。何が釣れるのでしょうか?
すぐ近くには、水戸線の線路が通っています。
この線路下の観音川で、小学生だったころ友達と遊びました。川には入らなかったと思うけど、網で水をすくったりしたかな?よき思い出です。
このあたりは米だけでなく、麦もけっこう耕作されています。
日本の水田風景と思って頂きありがとうございます。こういった風景がこれからも残っていくためには、もう人口は増えないほうがいいと思うんですよね。少ない人口で、いかにして豊かさ・幸せ・付加価値を生み出していくかにかけてほしいのですよ、国の上のかたたちに。
踏切の写真を出すかどうか迷ったのですが、そこに反応して頂きうれしいです。わかる人にはわかるように、向うに筑波山が見えるような構図にしています。
いい地域ですね。
日本の水田風景が多く残る。
最後の方の踏切の画像がまたいいです。
道があって、踏切があって、向こうに
水田。踏切左手の自動車の絵がある
標識が懐かしいです。