ヒトのゲノム塩基配列解読はますます日常的になっていますが、他の種の大半ではまだそれほど一般的でなく、ゲノム・データベースで捉えられているのは多様な生物種のうちのごく一部だけです。そこで広範囲の有胎盤(カンガルーやカモノハシの仲間以外の)哺乳類についてゲノム解析が行われ、最近のネイチャー誌に論文が載りました。これはマサチューセッツ工科大学とハーバード大学のエリナー・K・カールソンを中心としたズーノミア・コンソーシアムによる研究で、新たに塩基配列が解読された120種を含む有胎盤哺乳類(真獣下綱)の科(ファミリー)の80%以上を代表する240種のゲノム解析結果をまとめています(「科学的発見と保存のための比較ゲノミクスマルチツール」Zoonomia Consortium., Genereux, D.P., Serres, A. et al. A comparative genomics multitool for scientific discovery and conservation. Nature 587, 240–245 (2020))。
サンディエゴ動物園にグローバル冷凍動物園という施設があり、そこには絶滅危惧種を含む1万種の脊椎動物の細胞が保管されています。その施設を中心にDNAサンプルが収集されました。ゲノム解析には、Progressive Cactusと呼ばれる新しいソフトウエアが使われました。具体的なハード面とソフト面の解析方法は、私にはなかなか理解がおぼつかないので省略します。
すでに得られていた121種のアセンブリ(ある生物種のゲノム・セットをこう呼んでいる)と今回新たにズーノミア・コンソーシアムで得られた120種のアセンブリを合わせた240種の有胎盤哺乳類の塩基配列データがそろいました。下図にその全体像が示されていますが、学名表記でしかも小さくて見にくいので、イメージとして載せておきます。
(図.赤四角はズーノミアで配列が決められた種を含む科、灰色四角は以前に配列が決められていた種を含む科、ピンク四角はズーノミアと以前にそれぞれ配列が決定された種を含む科、白四角はまだ配列が決められていない科。)
これらのゲノム・データは、例えば次のような研究に役立っていると述べられています。
・種の分化ー今回得られたメキシコのホエザルと隣接するグアテマラのクロホエザルのアセンブリが比較され、最初に異所性に分かれて、生殖隔離によって種が分化するというドブジャンスキーの理論の実証に役立つだろうとしています。
・ガンからの防御ー今回得られたカビバラ(巨大なげっ歯類)のアセンブリを使うことで、この動物では抗ガン経路が自然選択されてきたことが報告されていますが、アフリカゾウやアジアゾウのような大型の哺乳類がガン抑制遺伝子TP53の余分なコピー(レトロ遺伝子)を持っているという報告と呼応しています。大型の哺乳類のガンは予想以上に少ないという観察結果(ペトのパラドックスと呼ぶ)の解明に役立つかもしれません。
・毒の収斂進化ーハイチソレノドン(トガリネズミ目)のアセンブリを使用して、彼らの作る毒の産生が調べられました。この毒は、トガリネズミやハイチソレノドンなど少数の真獣類が有しています。この毒をコードする遺伝子カリクレイン1セリンプロテアーゼ(KLK1)のパラログ(相同な遺伝子)が特定され、この遺伝子がトガリネズミとハイチソレノドンでそれぞれ独立して毒産生に使われるようになった収斂進化(それぞれ独自に似た形質が進化すること)の例であることがわかりました。
・生物多様性の保全戦略への情報提供ーオオカワウソのアセンブリの分析は、彼らの低い多様性と有害な遺伝的変異の負荷が高まっていることを示しました。これは乱獲と生息地の喪失による個体数の減少を伴っています。しかし、南部や北部のラッコの持つ有害な遺伝的変異よりは少ないことから、オオカワウソは集団が保護されれば、これらの種の中では生息数が回復する可能性が最も高いことが示唆されました。
・種の感染リスクの迅速な判断ーズーノミア・データと数百の他の脊椎動物のゲノム・データを用いて、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の原因ウイルスであるSARS-CoV-2の受容体であるACE2の構造が比較されました。それによって、ウイルスの貯蔵庫、中間宿主、またはCOVID-19の研究のためのモデルとして非常に適した47種の哺乳類を同定しました。そして、コウモリに特異的なACE2受容体の結合ドメイン(部位)が正の選択を受けてきたことを発見しました。
今回拡充された有胎盤哺乳類のゲノム・データは、世界中の研究者たちが利用でき、今後の進化学研究の役に立つことでしょう。
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