進化学の視点で病気の原因などを解明する進化医学という分野において、最近の進展が網羅的にまとめられている、米国ヴァンダービルト大学のメアリー・ローレン・ベントン博士らによるレビュー論文「Benton, M.L., Abraham, A., LaBella, A.L. et al. The influence of evolutionary history on human health and disease.(進化の歴史が人間の健康と病気に及ぼす影響) Nat Rev Genet 22, 269–283 (2021).」の紹介2回目です。生命誕生から最近のヒトの進化までの過程に起きた重要な進化的イベント(上段)と病気の起源(下段)との関係についてまとめられた年表(下図、私が和訳)がなかなか良くできています。
この年表にある深い進化的過去(左)は、必要不可欠でありながら、病気の基礎ともなる生物学的システムを形成しています。最近のヒト進化の過程(右)では、新しい形質の発達や近年の急速な人口増加や環境の変化により、遺伝型と現代の環境とのミスマッチが生じ、病気を引き起こす可能性が生じています。
今回はこの図の左のほう、「深い進化的過去」を見ていきます。生命誕生から人類誕生前までの進化の歴史です。
40億年前に自己複製を行う分子が誕生したことは、生命の基礎となりましたが、同時に遺伝病の根源ともなっりました。同様に、非対称細胞分裂は、細胞損傷を効率的に処理する方法として進化したかもしれませんが、多細胞生物における老化(加齢)の基礎を築いたともいえます。ヒトや他の多くの多細胞生物に見られる無数の加齢関連疾患は、この最初の進化的トレードオフの現れです。
数十億年前の多細胞の進化は、何兆個もの細胞を持つ複雑なボディプランを可能にし、細胞サイクルの制御、成長の調節、複雑なコミュニケーションのネットワーク形成といった細胞の能力に関連する革新をもたらしました。しかし、多細胞化はまた、がんの基を作りました。細胞周期の制御を行う遺伝子は、しばしば世話役と門番の2つのグループに分けられます。世話役は、細胞周期の基本的な制御やDNA修復に関与しており、これらの遺伝子の変異は、しばしば突然変異率の上昇やゲノムの不安定化をもたらし、いずれも発がんリスクを増大させます。門番遺伝子は、細胞の成長、死およびコミュニケーションを制御する役割を果たすことで、腫瘍形成に直接的に関連しています。ある患者における個々の腫瘍の進行も同様に、進化的な視点によって理解ができます。腫瘍における薬剤耐性の進化と不均一性を考慮した治療法の設計は、現代の癌治療の信条となっています。
数億年前の免疫系の進化もまた、調節障害と疾病の土台を設定しました。哺乳類の自然免疫系と適応免疫系は、ともに古くから存在します。自然免疫系の構成要素は、多細胞動物(後生動物)や一部の植物にも存在する一方、適応免疫系は顎のある脊椎動物に存在します。これらのシステムは、自己/非自己を認識し、病原体に応答する分子メカニズムを提供しますが、多くの異なる既存の遺伝子やプロセスを用いて、それぞれのシステムが個別に進化しました。例えば、内在性レトロウイルスを利用することで、インターフェロン応答に関する新たな制御因子を得ることができました。また、ヒトの免疫系は、蠕虫などの寄生虫と何百万年もかけて共進化してきました。蠕虫の感染は、ヒトの免疫応答を誘導し、また調節します。
数億年前から進んできた発生に関する進化論的分析により、新しい解剖学的構造は、生命の歴史の中でより早い時期に確立された既存の構造や分子経路を共用して生じることが多いことが明らかにされています。例えば、動物の目、四足動物の四肢構造、哺乳類の妊娠はそれぞれ、古くからある遺伝子や制御回路を新しい方法で適応・統合することによって進化したものです(自然のブリコラージュですね)。このように新しい形質が既存の生物システムのネットワークに統合されることで、多様な形質の間に、その発生や機能の根底にある共通の遺伝子を介したつながりが生まれます。その結果、多くの遺伝子は多面的であり、一見無関係に見える複数の形質に対して影響を及ぼします。このことがまた、病気の発生する基盤を形成しています。
1億7000万年前に出現した胎盤哺乳類の妊娠は、胎児由来の一過性の胚外器官である胎盤を介して、胎児と母体の組織が生理的に統合されるものです。ヒトを含むいくつかの哺乳類では、胎盤形成は母親にとって非常に侵襲的であり、資源の供給をめぐって母親と胎児の間で生理的な綱引きが行われます。この不安定なバランスが崩れると、妊娠に伴う病気が発生する可能性があります。胎盤形成中の母体の動脈リモデリングがうまくいかないと、胎盤の侵入が制限され、その結果、ストレスを受けた胎児による代償反応が引き起こされます。このアンバランスは、母体では炎症、高血圧、腎障害、タンパク尿を、胎児では酸化ストレスの増加や自然早産を引き起こすことになります。タンパク尿を伴う妊娠関連母体高血圧症は、臨床的には妊娠高血圧腎症(子癇前症)と定義され、未治療では母体・胎児ともに予後不良となります。妊娠高血圧腎症は、母体と胎児の進化的な綱引きの結果であると理解できます。
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