心を複数の(サブ)システムの構造的複合体とみなす私の「心の多重過程モデル」では、心の過程を以下のように分けている。
明晰な意識過程=「システム2」
知覚されるが意識過程を素通り=「システム1」
知覚されない過程=「システム0」
このモデルにおいて、言葉の正しい意味での”無意識”は「システム0」、
すなわち自律神経・内分泌・免疫過程に限定される。
一方「システム1」は、認知過程における無自覚過程から周辺意識(意識の端をかすめる)までが該当する(中心意識はシステム2)。
すなわち科学的心理学と同様にこのモデルにおいても、フロイト的な「無意識」は想定されない※。
※:フロイト的精神分析療法を実施するのは心理学者ではなく精神科医
では逆に(フロイト以降を含む)精神分析における「無意識」は多重過程のどこに配置しうるのか。
それを考える時、もちろん「無意識」を実体視するフロイトの説明は無視し、
「無意識」とされる心理現象(防衛機制・転移・夢など)の中身から検討する。
フロイトは、心の本能的部分である「エス」を、自我が住まう意識に(系統発生的にも個体発生的にも)先立つ領域としての無意識に配置した。
すなわち自我・意識⇔エス・無意識の2元論が基本である(後から超自我がまたがって居座るが)。
多重過程モデルでは前者がシステム2なので、後者はシステム1に収まりそうだが、システム1はむしろ条件づけメカニズムが作動する世界で(条件づけで全てを説明する行動主義は「無意識」を認めない)、自我意識の及ばぬ領域とて、ここには収まりにくい。
実はシステム2にも自我の及ばぬ領域がある。
むしろシステム2の本体は自我(モニター)ではなく、システム1(知覚→行動系)には存在しなかった想念(イメージ表象・思考)機能の方だ。
想念は、自我が主体的に制御している部分もあるが、自我とは独立して作動しうる。
その作動パターンについては別の記事(→リンク)で説明済みなので、それを前提とすると、
「抑圧された思考」は自我を離れた想念なのでシステム2に属する。
さらにユングが「集合的無意識」の機能とした「神話的思考」もシステム2の典型的想念機能である。
すなわち広義の精神分析学派が想定する「無意識」は、高度な想念構造をもっており、それは動物的なシステム1ではなく、人類に創発されたシステム2、ただしシステム2内で主役のつもりでいる自我の制御を離れた状態の想念機能に相当する。
心のそれぞれのサブシステムにはアンバランス状態を補正する機能があり※、
システム2においても自我が関与しない補正機能=防衛機制は作動しうる。
※:それでも補正しきれないことがあるため、その解決として高次システムが創発される
転移は、想念機能がシステム1の記憶と感情を媒介に連合された現象であり、
夢はシステム0の特定状態(REM睡眠)において想念のイメージ生成機能が睡眠中ながら作動している自我を巻きこむ現象である(夢は意識現象!)。
システム2を意識とみなすなら、精神分析的「無意識」は意識の一部であり、
ただ自我の制御から離れている意識状態である。
だからこそフロイトの精神分析療法の目的である「無意識の意識化」(=自我による統合)は実現可能なのである(それに対して原理的に無意識であるシステム0は意識化できない。自我が心の一部であるように、意識も心の一部である)。
このように心の多重過程モデルは、心を最も幅広く扱うため、既存の心理学理論を全て包摂でき、それらを構造的に配置できる。
そして心理学の枠組みそのものを拡大する。