2020年オリンピック・パラリンピックの開催地が東京に決まった事は、
日本人として素直に喜びたい。
かつて石原前都知事が東京招致を打上げた時は、都民の一人として反対だった。
1964年の東京オリンピックが”高度成長”の起爆剤になった過去経験に束縛された発想に思え、
成熟した今の東京には必要に思えなかった。
名古屋に勤務する者としては、過去に苦杯を舐めた名古屋がリベンジするなら応援できたのだが。
私の気持ちが変わったのは、東日本大震災がきっかけ。
日本、とりわけ東日本に元気がほしかった。
復興を乗り越える目標となる元気が。
その意味では仙台でもよかったが、名乗りを挙げるのは都市の判断だから、
自ら手を上げない所を支持するわけには行かず、
日本全体を元気づけるという意味では、首都東京で文句ない
(そもそも東京も死者を出し、放射能を浴びた被災地だし)。
だから東京招致のアピールには、「震災の影響はない」と切り離してほしくはなかったが、
震災復興を第一義にしてしまっては、国内向けの理由になって、逆に国際的には説得力がなくなってしまう
(もっともどこの候補地も本音は国内経済の活性化のはずだが)。
東京は、イスタンブール・マドリードに比べて客観的にも優位にあったが、
直前になって福島原発の汚染水漏れが明らかとなり、それが唯一気がかりだった。
もし、東京が敗退した場合は、
「福島原発問題の解決を優先しろ」と言う世界からのメッセージなのだと受けとめる心の準備をしていた。
翌朝知った結果は、東京の圧勝!
実際には、安倍総理の「心配はない」という演説が奏効したようだ
(個人的には、高円宮妃のスピーチがすばらしかた)。
それなら、その演説が嘘でないことを証明するしかない。
これは、国が全面的にバックアップすることの宣言であり、福島にとってもいいことだ。
東京オリンピック招致が、我々日本人を精神的に元気にしてくれるだけでなく、
実質的に震災復興の起爆剤になってくれれば、文句ない。
何しろ、兆単位の経済効果が期待されるのだから。
会場は東京だが、東京のためのオリンピックではない。
日本人として素直に喜びたい。
かつて石原前都知事が東京招致を打上げた時は、都民の一人として反対だった。
1964年の東京オリンピックが”高度成長”の起爆剤になった過去経験に束縛された発想に思え、
成熟した今の東京には必要に思えなかった。
名古屋に勤務する者としては、過去に苦杯を舐めた名古屋がリベンジするなら応援できたのだが。
私の気持ちが変わったのは、東日本大震災がきっかけ。
日本、とりわけ東日本に元気がほしかった。
復興を乗り越える目標となる元気が。
その意味では仙台でもよかったが、名乗りを挙げるのは都市の判断だから、
自ら手を上げない所を支持するわけには行かず、
日本全体を元気づけるという意味では、首都東京で文句ない
(そもそも東京も死者を出し、放射能を浴びた被災地だし)。
だから東京招致のアピールには、「震災の影響はない」と切り離してほしくはなかったが、
震災復興を第一義にしてしまっては、国内向けの理由になって、逆に国際的には説得力がなくなってしまう
(もっともどこの候補地も本音は国内経済の活性化のはずだが)。
東京は、イスタンブール・マドリードに比べて客観的にも優位にあったが、
直前になって福島原発の汚染水漏れが明らかとなり、それが唯一気がかりだった。
もし、東京が敗退した場合は、
「福島原発問題の解決を優先しろ」と言う世界からのメッセージなのだと受けとめる心の準備をしていた。
翌朝知った結果は、東京の圧勝!
実際には、安倍総理の「心配はない」という演説が奏効したようだ
(個人的には、高円宮妃のスピーチがすばらしかた)。
それなら、その演説が嘘でないことを証明するしかない。
これは、国が全面的にバックアップすることの宣言であり、福島にとってもいいことだ。
東京オリンピック招致が、我々日本人を精神的に元気にしてくれるだけでなく、
実質的に震災復興の起爆剤になってくれれば、文句ない。
何しろ、兆単位の経済効果が期待されるのだから。
会場は東京だが、東京のためのオリンピックではない。