昨年”思いもかけず”(失礼!)大ヒットしたアニメ映画『君の名は。』をレンタルDVDで観た。
そもそも昨年の公開時は、同時期の『シンゴジラ」を2度観に行ったが、こちらは全くスルー。
そりゃゴジラ世代の私だから、ゴジラは外せないのは当然だが、こちらは、まず批評レベルの評判がよくなかった。
漏れ聞くストーリーも、高校生の男女が入れ替わるというものなので、私の世代だと大林宣彦の『転校生』が頭に浮かび、その焼き直しかと勝手に想像し、この年齢で高校生の恋愛ものに感情移入はできそうもないので、観たいという気持ちにはなれなかった。
もっともアニメ自体は毛嫌いしてはおらず、少し後に公開された『この世界の片隅に』 は映画館で観て、本ブログに感想を載せた。
ようするに、上の観たものと見比べると、私はこの映画を観る”世代”でないという気持ちだった。
だが、批評家の低評価をものとせず、ロードショーで快進撃を続け、すなわち一般の人々からは熱く支持され、聖地巡礼まで出現するという事実に目を背けることはできず、DVDが出たらレンタルで観ようと思っていた。
そして、観た結果、
いい意味で予想が裏切られた。
まず『転校生』の焼き直しではまったくない。
ありきたりのハッピーエンドではない。
面白いことに、アメリカでの評価ではもっとハッピーエンドを期待したらしいが、日本人の感想ではこれでも充分ハッピーエンド。
だから”ありきたり”=ハリウッド的定型という意味。
空間だけでなく、時間も超えている(物語を複雑にしている)。
単なる恋愛ではなく、”存在”(在ること)にまで達している。
”存在”こそが私のツボなのだ。
そして映像が美しい。
オープニングの幾層にも重なる雲の映像だけで、気象予報士にして雲が大好きな私は満足してしまった。
飛騨の里山風景だけでなく、東京の風景も美しい
(周囲に街がある円形の湖は、一目見て諏訪湖がモデルと確信)。
実写と見まがうほどの精彩な映像は、かえってアニメで表現することの意味を考えてしまう。
この作品がハリウッド版になれば、例のごとくCGふんだんの迫力映像になるだろうな
(この作品を観る前に、同じくレンタルした『キングコング:髑髏島の巨神』を観て、CGに食傷していた)。
アニメ(絵)は必要な部分を強調し、不要な部分をカットしても不自然でない点が、すなわち知覚的なリアル(実写)に依存しないでリアリティ(現実感)が表現できる点が有利なのだ。
特定の世代ゆえに観た他の2作(シンゴジ、この世界)と異なり、むしろこちらの方が幅広く受け入れられそう。
大ヒットに納得した。
だから、「一度観てもう充分」という感想にはならない。
今後、幾度も観ることになり、そのたびに新しい発見がある作品だ。
この作品と出会えてよかった。
そして、最後のシーンの聖地、四谷の須賀神社(新宿区須賀町)の階段に行ってみたくなった(国会図書館の帰りに寄れる)。 →後日、聖地訪問を果たした!