表題の絵を観たいと、「至上の印象派展:ビュールレ・コレクション」は前売り券で買っていた。
会場の国立新美術館はうれしいことに月曜も開館なので、混雑を避けて行ってきた。
絵画史上最強の美少女とは、ルノワールの「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」(画像は主催サイトの画面)。
あの横向きに座っている髪の豊かな美少女である。
モデルとなった彼女は、なんと8歳。
小学校2,3年だから、少女というには幼なすぎる。
丁寧に描かれた髪の毛の質感がリアル。
観たい絵って、ずっと観ていたいので、立ち去るのに思い切りを要する。
そして、後ろ髪引かれているので、一巡した後、引き返して、今生の見納めとして、もう一度眺める。
この絵、本展一の目玉とあって、ミュージアムショップでは、彼女のお菓子や、 Tシャツ、リカちゃん人形、眼鏡拭き、アン・クリアファイル(中が見えないクリアファイル)など揃っているが、8歳の女の子の大々的な横顔が描かれたグッズをこの私が持ち歩くには、ロリコンだと思われそうな抵抗感に勝てず、部屋に飾る小さな絵はがきで我慢した。
ホントは持ち歩き用のチケットを入れるファイルを購入したかったのだが、人目をはばかって、ロートレックが描いたモンマルトルのスレた年増女性の絵にした(こちらなら私が持っていても違和感ないだろう)。
この個人コレクション、すごい充実ぶりで、印象派の前と後を含んで、西洋絵画が近代化・現代化していく過程がよくわかる。
すなわち、写真のようなリアルさが追究された印象派以前の絵(カナールの風景画、アングルの肖像画)から始まって、印象派(モネ、ドガ、ルノワールなど)を経由して、さらにセザンヌ・ゴッホを経て、ピカソに到る過程、すなわち写実画が解体していく過程が通覧できる。
形に閉じこめられていた色彩がまずは爆発して、光による視覚体験を再現しようとし、次に色彩によって解体された具体的形態が今度は形態そのものであることを主張して 、固定的視覚体験を解体していく。
その橋渡し的存在であったセザンヌの絵を見ていると、もう具象画である必要ないんじゃないの、言いたくなってくる。
そして、キュービズムのブラックの絵「ヴァイオリニスト」は、完全にゲシュタルト崩壊※を示している。
この絵の絵葉書がなかったのが残念だった。
館外初出展=本邦初公開のモネの睡蓮の大作も見ごたえがある(この絵だけ、写真撮影OK)。
東京での展示は5月7日まで。
その後”美少女”たちは福岡、名古屋を巡るらしい。
※:構成要素は同じでも要素間の関係がくずれ、秩序立った意味のある形態に見えなくなる事。現代芸術(音楽を含む)の”わからなさ”の心理的理由。