コロナ禍で、旅そのものが抑制される中、行き先はおのずと限定される。
こういう時、どうせ泊るなら”定宿”だ。
それは経営的に応援したいという気持ちだけでなく、そもそもお気に入り第一位なので、必然的に選択対象となるから。
私の定宿は、ここで再三紹介しているように、岐阜県・中津川市にある「ホテル花更紗」。
毎年複数回利用しているが、コロナ禍になってからの1年以内に、今回で5回目の投宿。
名古屋から毎月の温泉旅をしていた(コロナ禍では抑制)この私にとっても、結局、定宿は早くからここに固定し、ずっと変更がないまま今に至っている。
まず私が利用する宿の価格基準として、上限は一泊二食付きで15000円程なので、世間でいう”高級宿”は対象外(実際には上限を超える宿にも泊る)。
下限は私の表現でいう「安宿チェーン」で、8000円台。
安宿チェーンは設備の古さと料理の質に満足できないので(その中で毎年1回は利用するのが、湯快リゾートの「恵那峡国際ホテル」)、いちばん利用しやすいのがその上のグレード帯で11000ー12000円の休暇村レベル(休暇村では「休暇村茶臼山高原」を年2回利用)。
といっても休暇村クラスは、貧乏臭さがないレベルで、定宿にしたいというほどの高得点には至らない(グリーンプラザの方が高得点)。
この基準からいうと、ホテル花更紗は上限に近いので、価格的にはここより安い宿を選びたい。
高額なほど質も高くなるのは確かだが、ここが気に入っているのは、一言で言えば、感性的に心地よいからだ。
この宿から得られるのは、リッチさではなく、飾らない上品さ。
”これ見よがし”の、あるいは”ツンとした”上品さではない。
たとえば和服姿の従業員が一列に並んでお辞儀をするとか、アート的なインテリアをあちこちに配置するようなわざとらしさとは違う、もっと自然に表現されるもの。
宿のたたずまいから浴室(総檜!)、料理※、そしてスタッフの応対に至るまで、この飾らない上品さが一貫している(宿の造りは質素にしか見えないかも)。
※:夕会席の「前菜」の意匠を毎回楽しみにしている。今回の前菜三種盛りは、蟹とんぶりオリーブ和え(中津川産ちこりを添えて)、鮑白和え(殻盛り)、鮟肝ポン酢掛け。
飾らない上品さこそ、本来的に身に付いた品性が表現されたものではないだろうか。
といっても私がそれに敏感なのではない。
それを素直に感じさせてくれるのが、この宿なのだ。
この慎ましい品性は、安宿チェーンにはもちろん望むべくもないが、かといって「すごいでしょ」とばかりに設備や料理の豪華さを”売り”にするリッチな宿にも見当たらない。
豪華さだけでは、品性に直結しない。
この上品さを受ける側の私も、もちろん常連風を吹かすことはせず、慎ましくサービスを受ける(ただ鶏肉が苦手なのはわかってもらっていて、料理に配慮される)。
かつては苦言を呈したこともあったが(すぐに改められた)、逆に私が改めさせられたこともあった。
私自身がここの自然な上品さに感化されたともいえる。
同宿の客に眉をひそめたことはなく、むしろスタッフが奥に退いた食堂で「ごちそうさま」と声を張って伝えようとする客の振舞いに感心した。
もともと有名観光地でないこともあり(多くの客はここを素通りして木曽や下呂に向う)、客層もそれなりに絞られるようだ。
私にとっては、観光地としては魅力ある木曽路に行く際も、ここを素通りすることには勿体なさを禁じ得ない。
それに加えて、宿の周囲に広がる恵那山麓の里山風景、そして近くの木曽馬籠宿の存在もこの宿の魅力に貢献している。
観光写真に載るような風光明媚さはないが、ロケーションからして慎ましく上品なのだ。
安宿は何かしら不満を覚え、リッチな宿はコスパ的に満足しないため、定宿にはならない。
心地よい上品さにひたれてこそ、滞在中なのに「また来たい」と思う定宿になる。
追記:2022年3月、残念ながら、定宿ではなくなった→定宿だったのに