今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

感染予防の優先順位:外出自体は危険でない

2021年05月09日 | 新型コロナウイルス

第4波がますます大きくなり、とうとう愛知県も緊急事態宣言下に入る。
といっても昨年の今頃のように、授業も会議も完全遠隔という措置にはならない模様(個別対応)。
東京と愛知を往復せざるをえない者にとって、この大波を乗りこなすサーフィンが強いられる。

それだからこそ、感染予防には人一倍気を使う。
コロナとつきあって1年以上たっている(変異株になっているが)。
そう、感染力が増しているからこそ、惰性ではなく、冷静に、感染予防の優先順位を”考えて”みる。
まず、全住民の外出を不可とする無思考策を最適解としない(経済以外に心身の健康面でもマイナス)。
政府や知事が”人流の抑制”を第一義とする理由は、無思考な一定数の人々が外出して、外出先で感染を拡げるからだ。また、同調して外出者それ自体を責める人々(含マスコミ)も無思考だ(外出先での行為が問題なのに)。かように無思考な人たちが一定数いるのは統計上仕方ない。

ただ最適性(best)を追究したいわれわれは、”全員一律”という全体主義的無思考※に委ねず、きちんと考えよう。
※:独裁者に決定を委ねた方が楽というメンタリティが、民主主義的手続でナチス政権を誕生させたという(E.フロム『自由からの逃走』)。

予防の基本は飛沫感染を防ぐこと。
接触感染の確率が、当初言われていたよりははるかに低いのは、ほとんどの人がマスクをして、さらに手指消毒をしているため、ウイルスが物や指につかないからである。

ただし、マスクをしていれば安心という態度は”安全”でない(安全≠安心)。

最重要なのは、換気(飛沫の無限大の希釈と蒸発の促進)。
けっこう密(近距離)になる公共交通機関がクラスターにならないのは、通常の室内空間よりも換気力が強いためだ。
室内の換気力は、空気清浄機のみ<窓の開放<外気の強制的交換(風を入れる)となる。
公共交通機関は走行中に換気するため、通常の室内より喚起力が強い。
もちろん一番強いのは、風程(空気の移動距離)が長い、すなわち完全希釈が実現する屋外(野外)。
山だと、自然に風があるので、ハイキング中はマスクは不要(人口密度が高い高尾山は例外か)。
逆に室内で空気清浄機だけに頼って換気している気になって安心してしまうのは問題。
空気清浄機を作動させる時は、必ず窓をあけること(花粉症者、黄砂がひどい地域を除く)。

換気を確保した上で、実現すべきなのが互いの距離をあけること(=希釈空間の確保)。
そして最後の砦がマスクだ(口鼻腔からの侵入防止。ただし完璧ではない)。
といってもマスクが”最後”となるのは、感染しない対策であって、
感染させない対策としては飛沫の放出を防ぐ”最初”の対策となる。

誰が感染者か分からない公共空間(屋内)では、互いに疑心暗鬼にならない(他者を不快にしない)ために、マスクを着用する(この配慮ができない人は外出すべきでない)。

ちなみに、マスクの材質では、一般向けでは不織布マスクが最適(best)だが、屋外ではウレタンマスクで充分(不織布マスク着用でのハイキングは酸欠になる)。
すなわち、充分な換気空間である野外(≠公共交通機関内)でのウレタンマスク着用者(無言でいる)に非難の目を向けるのは行き過ぎ。

以上から、公共交通機関(ないしはマイカー)を使って野外に遊びに行くこと自体は、感染上危険な行為ではない(外出そのものが危険なのは、原発事故など大気が放射線汚染している場合)。

もちろん外出先で不特定多数の人と密になって飲食することはダメに決まっている。
すなわち換気力の弱い(空気清浄機だけ?)室内での、不特定多数の人が出入りする空間での会食・高歌放吟・口角泡を飛ばしての会話は禁忌。
仲間との路上飲みも2密になってしまう。
これらと個人の外出行動そのものを同一視しない。

私がこのように政府や知事と異なった主張をするのは、国民=無思考者(バカな大衆)とみなさないからだ。
行動の選択(行動の自由)を前提にして、きちんとした予防対策を各人が考え、実行することが、成熟した民主主義社会だと思う。