今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

2021年を私的に振り返る

2021年12月29日 | 歳時

年末恒例、今年を私的に振り返ってみる。

まず正月は東京の緊急警戒宣言で始まった。
そんな中、母は予定していた膝手術のため入院。
宣言下で面会もままならない中、病室に荷物を届けるという名目で見舞った。
術後の回復は順調で現在に至っているが、転倒が怖いので外出時は今でも歩行用カートを押している。

コロナ禍の影響で、5月に遠隔授業となったが、6月に対面に復帰した(以後はずっと対面)。
もちろんその間にワクチンを接種。
ただ2021年もずっとコロナ禍だったので、毎月やっていた温泉旅は5月、8-10月、12月は行かなかった。
7回行ったうち3回は中津川の定宿で、1月には「誰もいない馬籠宿」(歩いているのは自分一人だけ)という貴重な経験をした。

山は、2020年は高尾山に1回だけだったが、今年は高尾山に3回、それに小学校入学直前の姪と天覧山・多峯主山に行った。
以上、行くにしてもごく低山になってしまった。

川歩きは、荒川3回目(赤羽→彩湖)、境川(町田→多摩境)、それに名古屋で堀川(庄内川→納屋橋)を歩いた。
境川と堀川は歩きを続けるつもり。

11月に高校同期会が2年ぶりに開催されたが、慎重を期して欠席した。
結局、自宅での家族以外との飲み会は一切やらなかった。

研究科長をしていると仕事が多いこともあって、研究活動は低調で、紀要に1本(しかも論文ではなく資料)がやっと。
その代わり3月に私のことが書かれている『茶臼山パワースポットの謎—”計測マン”教授の挑戦』が出版された(ただし非売品)。
私のカエル館についての本ブログの記事がずらりと引用されているのだ。

本ブログに関しては、記事を連載することしばしで、3月に「危険な活断層」(2話)、4月に「サイキック・パワー講座」(8話)、9月に「夢を見る心」(4話)を連載した。
あと災害や事故・犯罪の発生時に、防災・安全についての記事を載せるようにしている。
ただし、読者の閲覧上位の記事はいずれも昨年以前のものばかりで、今年の記事でヒットしたものはなかった。

個人的に比較的大きな出来事は、8月にそれまで使っていたガラケーが壊れたので、やっとスマホ(アンドロイド)に切り替えたこと。
ただそれまでも通話以外はiPadとiPodtouchを使っていたので、大きな混乱はなかった。

そういえば落とし物が相次ぎ、そのiPodtouchは2月に、スマホは使い始めたばかりの8月に、そして 11月に サーモグラフィカメラ、12月にBoseのイヤホンを紛失した。
サーモグラフィは年末の大掃除で自宅のベッドの下から2ヶ月ぶりに見つかり、残りの3つは拾った人がしかるべき所に届けでくれて、すべて手元に戻った。

というわけで、個人的にな大過なく一年を終えることができた。
ただ世間では、伊豆山での土砂災害によって今年も気象災害での死者が出て、無差別殺人(未遂、既遂)が続いて公共空間でも安心できない状態になった。
危機管理は怠れないことを痛感する。


心とは何か:浅野孝雄氏の著作紹介

2021年12月29日 | 作品・作家評

暮も押し詰まった29日、自室の大掃除が終ったので、今年中に書くつもりで残しておいた記事を仕上げる。

それは浅野孝雄氏の一連の著作の紹介。
氏は脳神経外科の医学者で、埼玉医大名誉教授。
世間的には”脳科学”と言われる脳神経科学の臨床的立場の研究者である。
いわば心の科学的研究の最前線で活躍してきた人。
その立場の人が「心とは何か」を問い続けていて、その一連の著作が私にとってとても参考になった。
以下の4冊を原著の出版年順に紹介する。


まず氏が訳したフリーマンの『脳はいかにして心を創るのか—神経回路網のカオスが生み出す志向性・意味・自由意志—』(産業図書、2011、原著は1999)から紹介すると、
フリーマンは心の基本作用を”志向性”とする。
志向性とは現象学よりずっと以前の(中世スコラ哲学の)トマス・アクィナスによれば、「身体の世界への突き出し」であり、
それは意識はもちろん欲求にも先行する、生命力の発現を意味する。
その志向性の人類における中枢は(海馬や扁桃体がある)大脳辺縁系であり、そこから運動系と感覚系(ともに大脳皮質)へ信号が送られる。
つまり、感覚(大脳皮質)が最初の経験ではなく、志向性が感覚を組織化し有意味化する(志向性にひっかからない感覚刺激はスルーされる)。
これら2つの経路が循環的な相互作用システムをなし、それが”心”であるというのがフリーマンの理論。

ちなみに、フリーマンも引用している、意識(気づき)は行動反応の神経活動のに経験されるというリベットの研究は、
すでに脳や心の研究界では常識になっている。
すなわち、我々は気づいてから行動するのではなく、脳内で行動指令が出た後に気づくのであり、
意識ができることはその開始されようとしている行動を停止することだけである。

また、心の中枢を大脳皮質(しかも前頭前野)ではなく、辺縁系においている点も新鮮。


そして浅野氏は、『脳科学のコスモロジー』(藤田哲也氏との共著、医学書院、2009)で、
脳神経科学の最新成果である、グリアル・ネットワークの役割を紹介する。
従来は脳の活動はニューロン(脳神経細胞)の活動と同一視され、脳の容積の半分を占めるグリア細胞はほとんど無視されていたのが、
最近になってグリア細胞はニューロンとは別個のネットワークを構成し、グリア細胞の1種アストロサイトのシナプス可塑性に対する役割が注目されている(アストロサイトはシナプス活動を背後から制御している)。
すなわち、従来型のニューロンのみの発想では脳活動の理解は不充分で、ニューロンとともに脳を構成するグリア細胞の理解が必須なのである。
残念ながら、フリーマン自身も年代の制約のためグリアル・ネットワークには言及していない。
※:グリアル・ネットワークだけ知りたいなら、毛内 拡(著)『脳を司る「脳」—最新情報で見えてきた、驚くべき脳のはたらき—』 講談社ブルーバックス、2020がお勧め。
この本を読んでから、私は集中する時、電磁ネックレスを頭に巻くことにしている。


つぎの『プシュケーの脳科学』(藤田哲也氏との共著、産業図書、2010)では、
心(psycho)の原語であるプシュケー概念の変遷から、心についての二元論的視点(プラトン、デカルト、科学)と相互依存性の視点(アリストテレス、ヘーゲル、ジェームズ、メルロ=ポンティ)の系譜を紹介し、
一方で脳におけるニューラル・ネットワークとグリアル・ネットワークの機能の比較から、前者を意識、後者を無意識過程に比定し、
両ネットワークの相互作用的統合の方向(すなわち氏自身は相互依存性アプローチに属す)を示した。


そして『(古代インド仏教と現代脳科学における)心の発見—複雑系理論に基づく先端的意識理論と仏教教義の共通性—』(産業図書、2014)では、
フリーマン理論と仏教、とりわけ唯識思想との照合が試みられた。
氏の探究の原点といえるフリーマン理論は複雑系理論をベースにしており、心という複雑系を語るにふさわしい論理系である。
さらに経験=心(脳)の中の過程=認識論的独我論とみなせるなら、それを精緻にモデル化している唯識に代表される仏教思想(当然、相互依存性の視点)が最適であるとして、それらを紹介している。


以上、最新の脳神経科学と複雑系理論と精緻な仏教心理学を統合する氏の視点は、心の多重過程モデルを構想している私にとって学ぶ点がとても多い。
※心の多重過程モデル:”心”を以下のサブシステムからなる高次システムとみなす私のモデル
システム0:覚醒/睡眠・情動など生理的に反応する活動。生きている間作動し続ける。
システム1:条件づけなどによる直感(無自覚)的反応。身体運動時に作動。通常の”心”はここから。
システム2:思考・表象による意識活動。通常の”心”はここまで(二重過程モデル)。
システム3:非日常的な超意識・メタ認知・瞑想(マインドフルネス)。体験可能ながら、体験せずに終る人が多い。
システム4:超個的(トランスパーソナル)・スピリチュアルレベル。ニュートン的物理法則を超える量子力学的サイキック・パワーの領域?体験できる人とできない人に分かれる?


氏が心のアプローチとして(心理学ではなく)”現象学”を置いているのも、私と一致する(私にとっては現象学=心理学のつもり)。
まず脳神経科学という氏の専門は、多重過程モデルにおいては特にシステム0〜システム2の低次過程の理解の参考になる。
ただし、システム0の中枢は辺縁系というより視床下部を含む脳幹であり、心の概念は私のモデルの方が広い。
一方で氏は、慈悲の根拠の論考で(私自身、仏教における慈悲の論拠に釈然としないものをもっていた)、
慈悲の出所を個我を超えた超越的な精神(スピリチュアリティ)に見出していることで、
システム4に繋がっている(通常の自我意識(システム2)と超個的精神(システム4)を仲介する過程として、
私のモデルにはシステム3があるが、氏は仏教にまかせているようだ。確かに仏教の行でシステム3は創発される)。

心の多重(複雑)過程における脳神経科学的根拠、そしてトランスパーソナル(超個)的過程まで視野に入っている点で、
私にとってこれほど視野が一致する理論は他にない(自分の進んでいる方法が決して間違いではなかったと安堵した)。
ただし読みこなすにはそれなりに敷居が高いので、少なくとも複雑系理論の基本概念(アトラクターなど)は知っている必要がある
※複雑系理論の基本参考書:吉永良正(著)『「複雑系」とは何か』講談社現代新書